強欲1
◇
金谷悠希は、窓の外に広がる景色をただなんとなく眺めてみる。
大都会を一望できるロケーション。東京タワーにレインボーブリッジ。全てが片手を広げた中におさまる。
この部屋をとても気に入っている。窓辺に置かれたリクライニングチェアに座り、ショパンの音色に酔いしれながら、夜を過ごすのも嫌いではない。
オイルヒーターが程よく暖かく、他にどんな演出が必要なんだ? と鼻で笑いリクライニングチェアに深く背を預けた。
「大槻は今頃どうしてるんだろうな……」
問いに答える者はいない。自分の独り言に笑いが堪えられない。
「無様だな、大槻」
キャリア警察官僚として、警視庁に勤務する悠希。国家公務員資格第Ⅰ種を取得。東京大学法学部を卒業、まさに王道と言われるキャリア官僚の階段を上りはじめたばかりだ。
本庁勤務のキャリア警察官僚。この呼ばれ方もとても気に入っていた。
キャリアこそが全て、この上下関係が全ての職業で自分はトップに上り詰めるべき人間だと思っている。
その為に、邪魔者はいくら排除してもかまわない。そのくらいの考え方一つできずに官僚が務まるわけがない。
例えば、同じ東大法学部を自分より良い成績で卒業したあの男。本庁勤務を少しして、アメリカ連邦捜査局への半年間の研修に出向いてしまった。
誠実で真面目で賢い。おまけに女にもモテた。武道は軒並み有段資格を保有していて、未来の長官、期待の星。
それが、帰国後すぐに田舎の県警のしがない刑事に転落だ。世の中何が起こるかわからない。
今まで連邦捜査局で直面してきたような凶悪犯罪も国際的社会的に注目されるような事件にも関わることはないだろう。
精々、重要な仕事は本庁で取り扱う重要事件の使い走り的な役割を担うくらいだ。
◇
悠希の朝は忙しい。本庁はいつも事件で溢れている。
朝の会議には、朝食代わりのコーヒーを片手に出席する。朝刊に目を通しながら、大きな会議室で、どんな犯罪者が誕生したのか耳を傾ける。
通報だけで一日三百件以上も寄せられる街。ひったくり、空き巣、暴力事件、少年犯罪、交通事故、うんざりする程の被害情報が並べられていく。
「金谷さん、昨日検挙した事件お手柄だったんですってね?」
悠希と同じようにコーヒーを片手に新聞を開きながら、隣の席に座ったのは溝口 みさと。同期の警察官だ。
悠希は、「それほどでも」と謙遜して会議に集中する。隣から発散される女の色気というものには、うんざりしていた。
溝口 みさとは、女性刑事という肩書きを持ちながら、くるんと上を向いた睫毛にくっきりとした二重。小さな顔に、栗色のふわふわとした髪。おまけに今日の服装はタイトなスカートにアンゴラのカーディガン。
ここは、警察庁だぜ? お前は、腰掛けOLか、と怒鳴り散らしてやれたらどんなに楽か……悠希は朝から憂鬱な気分に陥った。
「そういえば、金谷さん。今夜お時間ありますか?」
みさとは、声を潜めて悠希の耳元で囁く。悠希は「ゴホン」と咳払いをする。そして、みさとに同情の眼差しをくれてやった。
腰掛けOLというのも強ちたとえ話でもないかもしれない。みさとは、出向前の大槻にも、かなりのモーションをかけていた。大槻が戻ってこないとわかると、次に出世しそうな悠希にモーションをかけているのだとしたら最低の女だ。
「今夜は先約がある」
悠希が断り、つれない態度をとるとみさとは頬を膨らませた。
「またなの? 金谷さんは、いつ時間あるんですか!」
今度は直接交渉というわけだ。
時間なんてない。女にうつつを抜かせていれば、同期にあっという間に追いつかれてしまう。
一人でも多く犯罪者を検挙して、上司に気に入られて安心して人事異動の結果を待ちたい。
その為には、遊びも趣味も二の次でいい。
会議は、銀座のクラブで売上金七百万円が盗まれたという事件の詳細が読み上げられていた。
悠希は、タブレット端末を取り出し次々に情報を入力していった。
犯行時間は不明。クラブのオーナーが昨夜の売上金を金庫に入れようとしたところ七百万が消えていた。一晩の売上分に相当する金額だという。
金庫の鍵はかかっていて、店内に何者かが侵入した痕跡はなく。他に盗まれたものはない。
────内部の人間の犯行だろう。
端末の画面を眺めながら、直感的にそう思ったが自分の直感だけで捜査をしては視野が狭くなるだけだ。
「金谷くん、溝口くん。現場の聞き込みをお願いする」
「わかりました」
機敏に返事をしたが、胸のうちは毒ついていた。こんな女といるなら、一人のほうがマシだ。
みさとは「やった!」と喜びの声をあげていたので、さらに気分が滅入ってしまいそうだった。変な噂にならなければいいが、女のせいで身を滅ぼす男は、悠希が一番毛嫌いする人種だ。