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献花1



───────数日後。


 大槻は宿舎の脇に停めておいたハーレーダビッドソンの車体を磨いていた。

 車体はいつも綺麗にしていたのに、ここ数日間の激務で手を抜いてしまった。

 黒い車体が輝きを取り戻す。鍵を差し込んでエンジンをかけると、低いうなり声をあげてモーターが回転する。

「へそ曲げんなよ……忙しかったんだから、仕方ないだろ」

 身元不明の遺体があがり、傷害殺人事件が起こった、かと思えば政治家が政治家を陥れるための収賄事件。こんな大きな事件が連続して起こり全ては繋がっていた。

 最低ラインの人員しかいない県警では、皆が不眠不休で働いた。

 久々の休みは、こいつで海岸を走ろうとずっと決めてきた。


「大槻さん! どこに行くんですか? 私も連れてってください!」


「彩乃! 勝手に飛び乗るなっ!」


 彩乃は大槻の腰に腕を回して「へへ」と笑った。

「だって、丁寧に頼んでも絶対ダメって言うでしょ? だから、去り際のタイミングはかって飛び乗ることにしてるんです」

 平日の午前中、非番の警官は少ない。大槻は誰かに見られていないか気にして辺りを見回す。

「大丈夫ですよ、大槻さん。それに紗英さんには人前でほっぺにチュッとさせといて、私はダメなんておかしいです」

「あのな……紗英は皆にあんな感じだからだよ。おまえは違うだろ」


「はい! こんな事、大槻さんにしかしません! 好きです! 大槻さん」

 彩乃は大槻の背中に顔をうずめた。この為に大槻の休日に自分の休日を合わせた。背中が上下に動き、深いため息が聞こえる。

「手を離せ!」

「嫌です、私も一緒に連れて行ってください。今の大槻さんを一人にはできません」

「連れていくよ。予備のメットがシートの下だ。抱きつかれてたらとれないんだよ」

 彩乃は慌てて手を離す。大槻はシートの下からヘルメットを取り出して彩乃にかぶせた。

 少し大きめのヘルメットから顔をのぞかせた。

 いつもは苛々している以外の表情が読み取りにくい大槻だが、その顔は辛そうに歪められていた。楽しい気分になんてなれないという顔をしていた。


「大槻さん……」

「行くぞ、ちゃんとつかまってろよ」

「はい」


 よく晴れた暖かい日だ。ハーレーダビッドソンはうなりながらスピードをあげていく。

 海岸の曲がりくねった道に出る。海面は穏やかで、太陽の光を浴びて輝く。

 ハンドルを倒してカーブを曲がる、山道をひた走り、大槻の気が済むまでハーレーダビッドソンは止まらなかった。

 退屈に続く山道を目的もなく走り続ける。

 彩乃は大槻の背中で、そっと目を閉じた。冷たい風から守ってくれる優しい背中だけを感じていたかった。

 それに、大槻が抱えた傷を少しでも和らげたいと祈るように目を閉じて寄り添った。


 こんなことくらいしか出来ない自分が不甲斐なくて泣けてくる。



 休憩もなく、隣の県まで走り大きな橋を渡る。無言でアクセルを握りしめる大槻。

 事件を振り返っていたのかもしれない。だけど、本当は何も考えず、頭の中を空にしたくて走っているのかもしれない。

 彩乃は何もわからずに、ただ大槻の気が済むまで付き合った。

 嗅ぎ慣れた磯の香りがして、見慣れた景色が訪れて、浜辺でハーレーダビッドソンが停車する。


 大槻は彩乃を残して、浜辺の砂を鳴らして歩いていく。

 疲れ果てたハーレーダビッドソンは、駐車スペースでほっと一息ついているようにも見えた。


 先程、大槻は瀬尾家の屋敷に侵入して勝手に花を摘んでいた。何に使うのかを訊いてみたが答えはなかった。

 花を無造作に浜辺に置いた大槻は少し後ずさりしてから、そっと両手を合わせた。

 穏やかな風に吹き飛ばされそうなくらいの、弱々しい献花だ。


 そこは、あの夜『瀬尾このみ』の遺体が発見された場所。手を合わせて目を閉じる背中に、彩乃は何も言えなくなった。


────君が何故命を落とさなければならなかった。本当に救うことができなかったのか……俺にはわからない。


 大槻は、瀬尾このみを想い手を合わせている。

 彼女は、自殺で間違いない。悠希はそこを疑い何度も何度も検証した。他殺の可能性はゼロに近かった。


 自殺の原因は、多分一年前に母親が殺害された事件に何らかの要因があるのだと思う。


 黙祷を捧げる大槻に、一人の男が近づいていく。



「金谷警部……?」彩乃が呟く。






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