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隠蔽2


 ナイトクラブ店長殺害事件の本部会議室に入ると、事態は急変していた。店長殺害について、不審な車を目撃したという情報を元に捜査していたところ鷺原系の施設に出入りする車と同じナンバーだと判明した。

 今朝の会議で捜査員たちに、『鷺原の組織の動きをよく観察するように』と指揮したのは紛れもない悠希本人だった。

 その知らせを聞いて悠希は「そうか」と短い返事をしただけだ。


「金谷警部、お電話です」

「俺に?」

 悠希は、このタイミングで何事だと不審に思いながらも電話に応じた。


 相手は県警の刑事。行方不明のホステスについての問い合わせだという。


 指名手配した効果があったか……待てよ、ここの県警は……


『金谷警部。お久しぶりです! よっ、警部。すげぇな、もう出世かよ』

「大槻か……嫌がらせの電話なら切る。俺はお前と違って忙しい」

 電話の向こう側は、とても静まっている。こちら側は騒ぎしいくらいだというのに。

『まあ、そう焦るなよ。悠希』

「気安く呼ぶな!」

『怒るなって、倭凛菜の情報が欲しいだろ?』

「彼女を知ってるのか?」

 悠希は拳を作って机を叩いた。叩いた手がジンジンと痛んだ。

 よりによって関わりたくない奴が、情報を掴んでいる。


『正確には、倭凛菜かもしれない女の遺体があがってるって情報だ。警視庁の公開しているデータとこっちの鑑識が確認してみたが、詳しいデータが欲しい』

「倭凛菜の遺体!?」

『だから決めつけるな。あくまで、かもしれない、ってだけだ。

 遺書を残して海に落ちた。身元を示す所持品がなくて、髪を切り取られている』

 大槻は淡々と話す。あの全てを見抜くような眼力が電話越しでも威力を保ちながら悠希を見抜いてくるような錯覚に囚われる。

「瀬尾このみ、この名前聞いて誰のことかすぐにわかるよな?」

 大槻の息をのむ声が聞こえてきた。

『今日会ったばかりだよ、多分ね』

 瀬尾このみの実家は、大槻が勤める県警の管轄だ。悠希は身震いする自分を抑えるのに必死だった。


───この事件、何か裏がある。


「今から、そっちに行く」

『はあ? 来るのかよ、でも日付的には凛菜は窃盗事件には関与があっても殺人には関係ないぞ。お前のことだから、殺人の方が重要とか思ってんじゃねえの? 俺はただ話しやすいから悠希に電話しただけで……』

「殺人の容疑者はもうわかってる。倭凛菜については不可解な点が多い。後で会おう、出迎え頼んだぞ」

『ちょ! 待てよ、悠希! 今から来たら、こっち着くの夜遅くっ……』


 悠希は一方的に通話を終えると黒いコートを羽織り、マフラーを適当に巻き付けた。


 大槻から受けた報告を端的にまとめて報告書をつくる。走り書きのメモ程度のものをみさとに渡した。

「金谷さん」

「今日は戻らない、何かあったら携帯に連絡くれ」

「待ってください! 殺人の容疑者を逮捕しないでいいんですか? 倭凛菜はそれからでも」

「誰か別の奴にやらせてやれ」


 それだけ言うと、悠希は警視庁の長い通路を走り出していた。


────まったく、どうにかしている。県警の事件のほうこそ別の奴にやらせればいいのに……


 ただ、大槻は凛菜かもしれない遺体と言っていたのが気になる。凛菜が死亡しているとなると、こっちの事件の辻褄も合わなくなる。

 何かがおかしいんだ……瀬尾このみは、何を知っているんだろう。重要なことを見逃しているような気もする。


 自分で自分の行動が理解できない。大槻なんかに関われば間違いなくマイナスの評価がつくとわかっているのに。

「金谷警部、急いでどうした? 冷静な君が珍しいな」

「長官!」

 悠希は足を止めて敬礼する。

「事件で有力な情報を得まして、それを自分の目で確かめに行こうとしていたところです」

「それは結構だ」

 長官が悠希の肩を叩く。通路は行き交う警官が大勢いる。だけど、長官に呼び止められて肩を叩かれる警官は滅多にいない。

 悠希は、姿勢を正した。何か、自分だけがこんな特別扱いをされていることに憤りを感じたからだ。


 普段なら優越感しかかんじない。それなのに……


「長官、実はお話したいことがあります」

「ここでかい? 急いでいるんだろう、また改めて席を設けよう」

「いえ、手短な要件です」

「いいだろう」


 長官は深く頷いた。付き人が、長官……と苦言を示したが、それを手で制止させる。それくらい悠希は特別な存在なのだ。


 こんな事を今話さなくてもいいはずだ……自分の中で隠蔽してきた感情。何故だろう、あいつの声を聞いたら無性にまっさらな正義が恋しくなった。


 学生時代に、思い描いていた正義を────


 そんなものは、要らないと隠蔽してきたはずの感情が溢れ出す。

「同期の大槻についての報告ですが、私はあの暴行事件の現場に彼の次に到着しました」

 大槻が県警に飛ばされる原因となった事件の話だ。長官は、小さく首を振る。余計なことは話すな、という合図だ。

「彼は、暴行を目の当たりにしてただ傍観していた。私は暴行を止めさせようと、犯人と被害者の婚約者の間に入った」

「知っているよ。報告に受けた通りだ」

「あの現場では犯人は被害者の婚約者に対して、被害者を侮辱するような発言を繰り返していました」

 被害者は、犯人に陵辱された上に亡くなった。被害者には悪意も過失もない。

「俺も犯人が許せなかった。大槻が止めなかった気持ちが痛いほどよく理解できた……」

 長官の後ろに控えていた部下が動揺の声をあげた。

「その事は報告しませんでした。俺は狡い」

 悠希は、長官の老いた目を真っ直ぐ見つめた。年老いて上り詰めた警視庁長官という最高の地位。

 その地位に立つこの人は、この目でどんな世界を見ているのだろう。


「報告を受理していいのかな?」

「はい」

 真実だけしか述べていない。

「けっこう」

 長官はまた深く頷くと、俯いた。

「金谷警部、君はこんな無駄な事に時間を割く人間じゃないと思っていたが」

「はい、申し訳ございません」

 失望されても、それを取り返す自信はある。

「君は将来、警視庁長官になるべき人間だ」

「は?」予想外な発言に意表をつかれ間の抜けた声がでてしまった。長官は「けっこうけっこう」と笑いながら顔を上げる。

 その顔は、とても真面目で警察社会の頂点に立つ者の厳しい顔だった。

「彼のミスだが、私は水に流してもいいと思っていた。連邦捜査局で半年過ごし戻ってきたならまた本庁へと考えていた。でも彼が望まなかった」

「大槻が……?」

「もう少し忙しい職場がよかったようだが、受け入れ先がなくてな。彼の行動は毎日報告を受けている。大槻くんもとても優秀だが君とは質が違う。彼は生涯現場で走り回っていたほうが生き生きと良い仕事をするだろう。本庁に座り心地の良い椅子を用意してやっても座ってはいれないだろう」


 確かに……と、悠希は思う


「それに引き替え、君はどんな椅子でも見事に座りこなしそうだ」

「ありがとうございます」

「礼を言いたいのは、こっちの方だ。大槻くんを大事にしろ。椅子に座れば、自由に動ける奴が必要になる」

 最後の言葉は悠希だけに耳打ちされた。長官に敬礼をして、クラウンのキーを握り締めた。

 自分の信じた道は間違っていない、と強く握り締めた。


 警視庁の立体駐車場を出たところで、マナーモードにしていた携帯が振動した。無視しようかと思ったが、事件の連絡だったら不味い。

 ワイヤレスマイクを耳に装着して通話ボタンを押す。

『悠希、東京駅八重洲口八番出口。すぐ来て』

「紗英……、悪いが今は相手している時間はない。それに勤務時間に連絡をしてくるのは約束違反だ」

『うるさいわね、いいから来なさい薄情者。みさとちゃんに聞いたわよ。私もその県警に用事があるの』

 クラウンはさっそく内堀通りの渋滞に捕まる。東京駅は目と鼻の先だ。

『収賄で参議院を辞職した政治家の地元で調べたいことがあるの、内緒で、一緒に連れて行って』

 悠希はしばらく考えた。

 何故、大槻はこうも事件という事件を寄せ集める男なのだろうと……

「わかった。待ってろ」

『ありがとう! はやく来てね』








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