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追憶3

「お前、何考えてんだよ! 有り得ないだろ。バレたら俺もお前も立場ないだろ?」

 男子寮に着くと、彩乃は郵便受けを確認して迷わず大槻の部屋に向かった。三階建てのアパートの一階。コンクリートの通路を歩く。彩乃の足は止まらなかった。

 こんな場面を誰かに見られたら困るからと、大槻は部屋の鍵を開いてひとまず彩乃を部屋に入れることにした。

 彩乃は、悪戯っ子みたいに「ふふ」と笑ってローヒールのブーツを揃えて脱ぐ。

 大槻は革靴を乱雑に脱ぎ捨てた。片方の靴は裏返しになる。


「人の話聞いてるのかよ!」


 少し酔ってるだけだろう。女子寮は私道と駐車場を挟んだ南側だ。すぐに送っていくことはできる。

 大槻は「まいったな」と首を振った。

「大槻さん、今“めんどくさい女だな”って思ったでしょ?」

「思ってねぇよ」

 部屋の蛍光灯で照らされ、ほんのりと赤く色付いた頬。潤んだ瞳は、たまらない威力だ。

「私、大槻さんのこと好きになっちゃいました……」

 大槻は頭をかいた。本気で困った時の彼の癖だ。ついでに煙草に火をつけて、ニコチンを肺に送り込むことができればいいのだけれど、今の彩乃を前にそんな事はできない。

 彩乃の気持ちは薄々気づいていたが、相手の好意を受けることができないのならば、せめて自分の領域に足を踏み込ませるべきではないというポリシーを持っていた大槻に予想外の奇襲ばかり仕掛けてくる彩乃。

 戸惑いを隠せずに、大槻は自傷気味に奥歯をギリと噛み締めた。

「大槻さん、聞いてますか? 私本気ですよ!」

 ワンルームの狭い部屋。八畳の部屋の窓際にはセミダブルのベッドが一つ。朝起きてそのままの形に掛け布団がフリーズしている。

「聞いてるよ。そんな事言って自分の置かれた状況理解してんのかよ?」

「理解してます」

 決意に満ちた力強い頷き。だけど、コートの裾を握り締めた手は微かに震えていた。

 彩乃と対峙する大槻が一歩前に足を進めた。彩乃は動かない。

 背の高い大槻。部屋がとても狭く感じる。その端正な顔は無表情で、彩乃には大槻が何を考えているのは全くわからない。

 いつもそうだ。彼は、人を見抜くような鋭い眼光を向けるくせに、自分のことは一切見抜かせない。

 そこが大槻の魅力的な面でもあるのかもしれない……

 どれくらい見つめ合ったのか。彩乃が大槻に試されている。

 彩乃が耐えきれず目を反らした隙に、一瞬で間合いを詰められベッドに押し倒されていた。

「俺が好きでもない女を抱くような男だったら、どうするつもりだ?」

 上から見下ろされる。その無表情に、彩乃は息を飲む。

「大槻さんは、そんな人じゃない」

 見つめられるだけで、体がジンと熱くなる。それなのに、緊張で指先だけが冷たい。

「どうして言い切れる? おまえも警官だろ。根拠もなく信じるのか」

「だって……強引に押し倒されたのにどこも痛くなかったから」

 彩乃にとって十分過ぎる根拠を得ていた。冷たい指先で大槻の頬に触れた。意外な柔らかさと暖かさ。

 本庁から来たエリート、キャリア警察官、おまけにアメリカ連邦捜査局に出向していた。田舎町の警察署では、奇妙な存在だった。

 大槻は好奇の目を向けられて、本部長も彼を邪見している。

 それでも彩乃は、大槻の内なる絶対の正義を感じていた。そこに強く惚れていた。


 大槻の手がゆっくりと彩乃の首筋をなぞる。


「警察官は人を疑うのが仕事だろ……」

「人を信じるのも仕事です」

 コートのボタンが外れた。ゴツゴツと骨ばった指が彩乃の鎖骨を弄ぶ。

 余計な肉付きがなく綺麗な鎖骨。浮き出た青い血管が肌の白さを象徴している。

 大槻がゴクリと喉を鳴らす。彩乃は、瞳をそっと閉じた。ベッドがギシリと鳴る。


「あ、痛い!」


 彩乃の額を、大槻の指が弾かれた。

「ばーか。でこぴん攻撃。何その気になってるんだよ。はやく帰れ」

「酷い! 大槻さんだって、その気になってたじゃないですか!」

「彩乃の肌見てたら、二日前に発見された遺体を思い出した。同い年くらいだよな。はやく身元がわかればいいんだけど……」

「わ、私、生きてますよ! 大槻さんの頭の中仕事しかないんですか? 女の子抱きたいとか厭らしいこと考えたりしないんですかっ!」

 大槻は彩乃の言葉を聞き終える前にベッドから降りて暖房のスイッチをいれるとデスクトップのパソコンを立ち上げた。

「おまえには関係ない」

「関係なくないですよ! 私、大槻さんに告白したんですよ? 返事ください」

「返事ね……」



 記憶の中の『もう何も欲しくない。失うのが怖いから』と言い捨てたあの男。彼は全てに嘆いていた。

 恋人も家族も……彼の人生では悲しみの対象にしかならないのかもしれない。

 どんな事件に関わっても悲しみに溢れている。ずっとその悲しみを引きずっている自分は刑事に向いてないのかもしれない。

「彩乃……」

「はい」

 その気になってなかったわけじゃない。彩乃は魅力ある女だ。

「気をつけて帰れよ」

 大槻は稼働をはじめたパソコン画面を見た。彩乃のことを直視できなかった。

 ひょっとしたら泣かすかもな……大槻は煙草をくわえた。机の上の灰皿は溢れていて灰がこぼれ落ちている。

「……私諦めませんから! 明日、大槻さんにお弁当作ります。こっそり机の中に入れときますから大丈夫です。大槻さんが、うん、って言ってくれるまで猛烈に攻撃仕掛けますから」

 百円ライターで火をつける。ゆっくりと肺にニコチンが流れた。

「何が大丈夫なんだかね……」

 パソコン画面から目線をそらさずに頬杖をついた。なかなか手強そうな相手だ。

 彩乃が部屋を出て行くと、大槻は指先で過去の事件を検索する。そうしていないと彩乃の綺麗な鎖骨の感触ばかりを想ってしまいそうだった。




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