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事件2



 その日の夜、悠希は警視庁長官に呼ばれて老舗の料亭に向かっていた。タクシーは三車線道路の真ん中の車線を走る。悠希の頭の中は事件のことで溢れていた。

 第一発見者の女性は、クラブの店長の交際相手だという。二人は一年交際を続けていて女は家事見習いという名のフリーター。半年前までは、あのクラブでホステスとして働いていた女だ。

 店長は、頭部を陶器で強打されほぼ即死。打ち所が悪かったらしく、相手は背後から力いっぱい彼を殴りつけている。

 部屋からは、無くなったものはない。散乱した床からは店長の財布や携帯電話が発見されたが現金は手付かずで放置。

 おまけに、あの店長が所有していたとみられる高級ブランドの品々も盗まれたものは何一つない。

 強盗殺人の線は薄い。

 だとすれば怨恨。相当な怨みだろうな……悠希は窓の外を眺めながら、あの恐怖に満ちた顔を思い出す。


 究極に美しくない死に方だ。


 死にたくないともがき苦しみ、必死に抵抗を繰り返し、強烈な痛みの中絶命する。

 犯人は何故、そのような非情な手段で彼の命を奪ったのだろう?

 第一発見者の交際相手は、彼が死んだことが余程ショックだったらしく、うまく会話もできない状態だった。

 たまに発せられる声は、涙と共に弱々しく吐き出されて、『殺されるような人じゃない』『鍵をあけて、部屋に入ったら彼が倒れてた』といった内容を繰り返しただけだ。

 彼女から、犯人もしくは犯人に繋がる痕跡を聞き出すことが難しかった。悠希は、もう一度クラブの従業員を中心に聞き込みにあたった。

 皆動揺が隠せず、中には泣き出すホステスもいた。人望はまずまずあったのかもしれない。

 消えた七百万と、リンというホステスは、未だに忽然と姿を消したままだった。

 明日は、リンが昔通っていた大学までに捜査範囲を広げることが決まっていた。

 タクシーは、立派な松の門をくぐり、緩いスロープを走り料亭に到着した。

 警視庁専用のプリペイドカードを出そうとして、思い止まり一万円札を運転手に渡す。

 上司からの呼び出しだ。交通費を経費とあてても問題はないが、悠希はその点はとても堅実だ。

「領収書はいりますか? お客さん、接待か何かでしょう?」

「いえ」

「そうですか。ありがとうございました。こんな立派な店で食事なんてしたことないですよ。ハハッお客さんが羨ましい」

 愛想のいい運転手に愛想笑いを付き合ってやる。タクシーから降りるとすぐに店に入った。

「いらっしゃいませ、ようこそ。お疲れでしょう? 奥の部屋に案内いたします」

 タクシーの運転手に続き、また愛想のいい料亭の女将が出迎えてくれた。格式高いこの料亭、だが女将は家庭的で人情味のある女性だ。母親に出迎えられるような暖かさがある。

 この料亭に来たのは二度目だ。けれども女将は、悠希の顔を覚えていて、彼をどの部屋に案内すればよいかを心得ている。刑事に向いてるかもしれない、と悠希は悔しくなる。



「お待たせしました」

「やあ、金谷くん! ご苦労様、今日は大変だったろう?」

 すでに酒を喰らった長官は赤い顔で悠希に手招きをした。両手に侍らせた芸妓が「いらっしゃい」と甘い声を出す。

「いえ、いつもの事です」と微笑み指定された席に正座する。

「ははは、足を崩してかまわないよ」と笑われて、「失礼します」と足を崩した。

 目の前の『警視庁長官』

 喉から手が出るほど欲しい肩書きだ。

「君の話はよく耳にするよ。今日もいち早く現場に駆けつけ事態を上手く把握し、無駄のない捜査。こんなに優秀な刑事は中々いないだろう」

 着物姿の芸妓が一人、悠希のグラスにビールをつぎながら「まあ、素敵」と感嘆の声をあげる。

「いえ……お褒めいただきありがとうございます」

 グラスをかかげて、きめ細かい泡のビールを一口味わう。

「金谷くん……いや、金谷警部と呼ぼうか」

 悠希は、グラスを握りしめた。

「警部?」

「君の警部昇格が決定した。今夜はその昇格祝いだ」

 悠希は、自分の頬の筋肉が緩むのを感じて慌てて手を添えて口元を引き締めた。

「おめでとう。君は、よく頑張っているよ」

「ありがとうございます」

 こんなに美味いビールを飲むのは、いつ以来だろう……悠希の目の前には、彩り豊かに盛り付けられた京懐石料理が並ぶ。

「ところで、金谷警部。県警に送ったあの要注意人物とは連絡をとっているのかな?」

 長官の試すような視線に、顔が自然と引き締まる。


────厄介者め、大槻。お前は俺の昇進祝いの席でも、その存在を誇示するつもりか?


 腹の内とは異なる涼しい表情で、悠希は答える。

「いいえ、彼とは大学時代からさして接点がなかったもので」

 真実を述べた。大槻と悠希は、油と水のようなものだ。

 大槻が冬休みを利用してスキー場で住み込みのバイトをしていたならば、悠希はカナダでヘリをチャーターして新雪の中を滑っていた。

 大槻が大衆居酒屋で安い酒を仲間と楽しく飲んでいたならば、悠希は高級イタリアンで気を許した友達とワイングラスを傾けていた。

「そうか、ならばいいんだ」

 長官は、芸妓に「踊りを見せてくれ」と話題をかえた。

 艶やかな着物姿の芸妓は、美しい舞を見せる。赤地に白い牡丹の刺繍の着物だ。珍しいな……と眺めながらも、悠希の意識は大槻のことを考えていた。

 

 正義感というものだけなら……あいつに勝てる警官はいないだろう。


 ただ、運がなかった。それに正義感というものは、時として邪魔になる。

 長官は、アイツをどう評価していたんだろう? 

 誰よりも勘が鋭く、誰よりもはやく犯人をみつけるのがうまいあの男を……

 悔しそうな顔をして、暴行現場で立ち尽くしていたあの男を……

 もし、大槻があんな事件にさえ関わっていなければ。

 もし、大槻が一番最初に犯人に辿りつかなければ。

 今日、この場に座り、警部になっていたのは大槻のほうだったかもしれない。

 

 美しい踊りに、長官は盛大な拍手を送る。それに倣って、悠希はろくに見てもいなかった踊りを賞賛した。





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