執念3
県警本部鑑識課。司法解剖に立ち会った臨床医から話をきく。
身元不明の女性の遺体、年齢二十歳前後。死因は溺死。死亡推定時刻は二日前の深夜一時前後。
「二日前?」
「そうだな。仏さんは、海岸に打ち上げられてから発見されるまで丸一日以上あそこにいた。なにせ、波も荒く人通りの少ない海岸だ。仕方ないだろうな」
「仕方ないですか……」
大槻は、メモを続けた。藤は、青白い顔で眉をしかめたまま硬直していた。まるで、海岸に放置されたままの遺体みたいだ。と、大槻は冗談を言ってやろうかと思ったが、また吐かれても困るのでやめておいた。
「他に不振な点は?」
「外傷は、崖から飛び降りた際にできたもので間違いない。あの付近は海底も浅く岩がゴロゴロしているからな。他に怪しい点はない。睡眠薬を服用していたようだが、医者から処方される程度の量だ。長期的に服用していたみたいだからな、余程深い悩みがあったのかもしれない。自殺で間違いないだろう。死体は嘘をつかない」
死体は嘘をつかないか……大槻は、メモをとるのをやめた。
「上への報告も、自殺とみて間違いないとするよ。こんなに見事に怪しい点がない自殺遺体だからな」
「ほんとに、見事に怪しい点がないですね」
大槻が、唇を引き上げて笑うと臨床医は小さく頷いた。
怪しい点がないほど、怪しいものだ。
「そうだ。大切なことを一つ忘れていた。仏さんの髪だが……短く切ったのは最近だ」
「死ぬ直前にヘアチェンジ。失恋ですかね?」
「さあな、ただあまり腕のいい美容師ではなかったようだ。毛先が不揃いで切り取られたような感じだった。それが、最先端の流行だと言われたらそれまでの話なんだがな」
臨床医は首を振った。初老というには、まだ早過ぎる年齢だが寂れたよれよれの作業衣が確実に彼の年齢を老いてみせていた。
「わかりました。ありがとうございます。藤、いくぞ」
「はいはい」
大槻は、臨床医に頭を下げて部屋を出る。藤は、嫌そうにその後を追いかけた。
「大槻さん、マジで捜査しようとか考えちゃってますか? 午後は幼稚園でパンダの着ぐるみきて交通安全指導しなきゃいけないんすよ? 人員が足りないって、彩乃ちゃんが怒ってましたから」
大槻は、コンビニから入手した防犯カメラの映像を調べていた部屋に入る。延々と続く退屈な海辺を映し出した映像は死因と明確な死亡推定時刻がわかってから見ようと決めていた。
「パンダは、お前がやってこい」
「えー、相方のカンガルーくんがいなきゃ無理っすよ」
「ノックダウンされたくなきゃ、一人で行ってこい」
大槻の鋭いジャブが藤のみぞおち手前でピタリと止まる。
「そうですね! 僕一人で頑張ります!」と裏返った声があがると藤は回れ右をして部屋からでた。
ガチャンと乱暴に閉められたら捜査室の前で藤はガクッと肩を落とす。
「大槻さん、気性荒すぎ……あんな野獣みたいな人、こんな平和な街にいらないよ」
藤は、肩を落したまま県警の暗い廊下を歩く。通りがかりに、交番勤務の坂田とすれ違った。
「お疲れさま」
互いに小さく敬礼し合う。
「大槻さんに呼ばれたのか?」
「はい、なんでも『重要な捜査があるから来い』と言われ、自分が呼ばれました」
「重要な捜査ね……、坂田」
「はい!」
交番勤務の巡査とでは県警刑事の藤の方が、上下関係では上になる。
「あの人と会話したことは克明に調査書にして報告するように」
「ええ? 会話を全部?」
「そうだよ。本部長命令だ。なんでも、『要注意人物』らしいからな」
「わっ、わかりました」
坂田の表情が引き締まる。
「そんな構えた顔するなって、怪しまれるぞ」
「はい」
藤は、坂田の肩を二回叩くと「さて、パンダになってくるかなー」と伸びをした。




