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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未完成プロローグ

作者: ひなぎ

今読み返すと恥ずかしい、やばい。

でも、せっかくなので加筆や修正は加えてません。

私がそれに気がついたのは、小学校三年生、まだ8才のときだった。


学校からの帰り道。ふと見つけた蟻の行列。


いつもならさほど興味を示すこともない日常の一コマ。


しかし、今日は違っていた。蟻の行列の中に不釣合いな巨体が混ざっていたのだ。


私はそれに気を惹かれて近づいてみた。近くに寄るまですぐにはそれの正体は分からなかった。

だが、それは形を変えただけの見知ったものだったのだ。

それにはおよそ歩行手段と呼べるものが備わっていなかった。

頭から尻まで一直線に伸びた肢体。

自然界で生きてゆくにはあまりにも不自然なその造形・・・。

否、違う。

これは元からそう在ったものではない。

口元を手で覆いながらも、私はその肢体に見入っていた。

それは、手足を捥がれたバッタ。

おそらく心ない子供の仕業だろう。

蟻たちの何倍もの大きさを誇りながら、その蟻たちの食料として為す術もなく巣へと運ばれていくその巨体。

とても残酷な現実。

誰もが心を痛める光景。

でもその時の私は違った。

なぜかその運ばれてゆくバッタに、ある種の愛おしさにも似た感情を抱いていたのだ。

理由は分からない。

常の自分なら、きっとそれを助けていただろう。

でもなぜだろうか。

今日はそれを行動に移すことがひどく憚られた。

それから一時間。

私は助けるわけでもなく、憐れむわけでもなく、ただただそのバッタが巣へと運ばれていくまでを、初めて抱いた感情と共に、暮れゆく赤い空に撫でられながら、ただただそれを見守っていた。





                           


それから月日は流れ、私は中学に入学した。

この頃から私は刃物というものに興味を惹かれるようになっていた。

極限まで鍛えられたその切っ先の煌きに美しさを感じたのだ。

でもまだ子供の身である自分には、その身一つでは買うことさえも叶わない。

だが幸いにも家は裕福で、父は自分がねだれば何でも買い与えてくれた。

さすがの父も刃物が欲しい、なんて私の言葉に最初は訝しんだのだが、私が芸術的な観賞品として欲しがっている、ということが伝わると扱いには気をつけるように、という当たり前の条件と引き換えに買うことを承諾してくれた。

後日刃物専門の店に父が連れていってくれた。

見たこともないような色とりどりの刃物。

調理用の包丁にも色々種類があることを初めて知った。

ぐるりと店の中を見てまわる。

ふと、観賞用の刃物のスペースで足が止まる。

煌びやかな装飾が施された刃物たち。

何かの儀式に使うようなナイフから、戦国の武将が使っていたような槍まである。

その中にある、比較的サイズの小さいナイフに目を奪われる。

煌びやか、とまではいかないが、しっかりと丁寧に施された装飾と、刃渡り10cm程の刃。

恐る恐るそのナイフを手に持ってみる。

あ、軽い――。

そのナイフは見た目によらず軽かった。

おせらく私にでも自由に振るうことができる重さだろう。

そしてなにより、まるで私の為に造られたかのように手に馴染んだ。

手を放すのが躊躇われるほどにこの手にしっくりと納まっている。


気がつけば、私はそれを買っていた。



                                 

                             




それからというもの、私はそのナイフを片時も手放さず持ち歩くようになっていた。

家の中は言うに及ばず学校にまで持ち出していた。

煙草ではないが、そのナイフを手に納めていないと何か手寂しく感じたのだ。

父は自分が買って与えたものを娘が大事にしてくれていることを嬉しく思ってくれていたのだが、母はそうはいかなかった。

家の中でならまだ許せたとしても、さすがに学校にまで持ち出すとなると話は変わってくる。

私の通う中学は私立の名門だった。

学校に刃物を持ち込んでいるなんて事が知れれば大問題になるだろう。

当然ながら母は私に学校へはこのナイフを持っていくなと言ってきた。

馬鹿ではない私は、もちろん表面上ではきちんと言うことを聞いた振りをした。

だがそれからも私はこっそりとナイフを持ち出していた。

ナイフには収納用の鍵つき保管用ケースが付属していた。

鍵は私が管理していたので、持ち出していることが母にばれる心配はない。

初めのうちは学校に持ち出すだけで満足していたのだが、そのうち休み時間の度に触れるようになっていた。

だからそれは当然の結果といえた。

そう、先生の目に触れることになるのは遅かれ早かれ時間の問題だったのだ。

先生から親子揃って厳しい指導を受けたその日、母が初めて私に手をあげた。

娘がずっと自分を欺きナイフを持ち出していたことや、学校での自分の顔に泥を塗られたことなど、色々なことが重なった結果だろう。

私は自分が全面的に悪いことを認めていたのでそれらをすべて甘んじて受けた。

それでこの日の出来事にはきちんと決着が着いた。

はずだったのだ。

しかし帰ってきた父が腫れた私の左頬を見て、事態は急変した。

父が母を呼び出し、私にしたのと同じ様に母の左頬を叩いたのだ。

不意をついた思いもよらないその仕打ちに母は愕然とした。

父からの叱責に母は静かに耳を傾けていた。

父は最期に仲直りのしるしとして私と母に握手をさせた。

そのとき、私を見下ろしていた母の瞳を私は生涯忘れることはないだろう。

実の母からの明確な敵意と、握ってくるその手のひらの力に、私の身体は震えていた。






その次の日、学校から帰宅して私服へと着替えてからナイフをケースの中から取り出した(さすがに今日は良心から持ち出さなかった)。

ほんの数時間離れていただけなのに、ずいぶんと長い時間に感じられた。

鞘からナイフを抜き出し、その刀身を丁寧に磨いていく。

はぁ、と息を吹きかける。

一瞬白く曇った後、曇り一つない刀身が自らの姿を映しだす。

これがこのナイフを手に入れてからの日課となっていた。

再びその刀身を鞘へと納めてから、左手に握ったままリビングへと移動する。

リビングへ着くと母とバッタリ出くわした。

母がこちらに気付き、すまなそうに微笑む。

昨日とは違いいつもの母に戻っているようだった。

たぶんあれから、自分が娘にしてしまったことを後悔したのだろう。

微笑みながら近づいてくる母に、私も表情を緩めながら近づいていく。

だが、母は私の手に握られたそれを見たとき急激に表情を変化させていった。

その瞳にははっきりとした憎悪が見て取れた。

私の手からナイフを取り上げる。

そして手を振り上げて、表情は変えず、ただその瞳だけ憎悪に曇らせて、それを思い切り床に叩きつけた。

さらに、間髪いれずに叩きつけたそれを、思い切り足で踏みつけた。

ふん、と鼻を鳴らし、踏みつけたそれを一瞥するとソファーへと踵を返していった。

私はその一部始終をコマ送りのように見つめていた。

ソファーへと戻った母が最後に、冷めた声でこう言った。


”そのガラクタを今日中に処分しておきなさい―――”


そのとき―――。


ぶつん、と。


私の中で何かが爆ぜる音がした。




                              


気がつくと――、床一面に朱の色が広がっていた。その中心には母で在ったものが横たわっている。胸の辺りから壊れた水道管のように、今なお朱色の液体を零し続けている。

はぁはぁと、自分が息を荒くしていることに気付く。

いったいあれから何があったのだろう。

思考にぼんやりと霞がかかって思い出せない。

思い出そうとすると、ズキリと頭が痛んで、反射的に頭を押さえる。

ぬるりと、頭に何かが纏わりつく。

嫌な予感がした。

私は目を閉じたまま頭から手を放し、そしてゆっくりと目を開いてゆく。

――――っつ!!!

その手のひらは赤い液体で濡れていた。

いや、もう自分を誤魔化す必要もない。

その手のひらは紛れもない母の血で濡れていた。

左手を見る。

その手にはあのナイフ。

塵ほどの曇りすらなかった刀身が、今は根元まで紅く染まっていた。

身体がガタガタと震えだす。

床には母で在ったものの肢体。

目を逸らしたいはずなのに、視線はそれを捉えてはなそうとしない。

震える手が床へと伸びる。

ぬるりとした、まだ温かいその液体を指でなぞる。

身体はまだガタガタと震えている。

床から指を離し、まだ赤を湛えたままのその指を、幼さの残る唇へとひいてゆく。

真っ赤な口紅は、そのまま顎を伝って首筋へと滴ってゆく。

不意にその紅い水溜りに自分の姿が写りこむ。


その顔は唇に朱を宿したまま、恍惚の表情に歪んでいた。


なんだ、そうだったのか――。


最初から、私の身体は恐怖に打ち震えてなんていなかった。


思えばあの幼き日に見た、手足のないバッタに抱いた感情も。


ナイフに惹かれたその感情も。


そして今、震えるほどにかみ締めているこの感情も。


すべては同じ衝動に起因するものだったのだ。


愛おしいなんて、美しい感情じゃない。

私の心はただただ「死」を迎えるその瞬間を見つめることに悦びを感じている。

なんてひどい。

なんて最悪。

なんて醜悪。

そして、なんて傑作―――。

クスリ、と、無意識に笑みがこぼれる。

自分の中に在るもう一人の自分を見つける。


こんにちは、もう一人の私・・・。


そしてさようなら、今までの私・・・。


窓から見える空は、少しずつ赤みを帯び始めていた。


魂が抜け落ちたかのように、茜色に染まりゆく空を見上げていた。


雨も降っていないのに、私にはその光景が、ひどく滲んで映っていた。




                        プロローグ 終

当時「空の境界」に触発されて書いたものです。

主人公に朱色の口紅をひかせたい。

と思ってたらいつのまにか完成していたのでした。

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