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電車に揺られる。揺られるっていったってたいした揺れはない。さーっとながれるように走る車両。
「俺、電車とか、久しぶりかも」
さっき名札の名前を見た。西脇。西脇…知らないな。
「ふうん」
そう言いながらも「電車とか」って、ほかにはなんだよとか、「久しぶりかも」って、自分のことだろとか考えていた。矛盾してる。人のこと言えた義理じゃないけど。
「真中さんて電車通学なんだ」
途切れた会話を埋めるようにして出た言葉。今産まれたのね、テキトウに、考えなしに。でも、今は許すよ、だって、そういう人なんでしょ? 西脇、というこの人は。
「うん」
「どこから?」
「黒沢」
「えっと、黒沢って四つ先だっけ?」
また、そんなおかしなこと言って。分かってるんでしょ、と言いたい気持ちは胃の中に閉じ込める。
「三つさき」
まじでか、と西脇は大げさに言った。カレーを食べ終わった鍋の、淵に着いたカレーがぺらっとはがれた時みたいな、爽快な、まじでか。それには嘘はなさそう。きっと、悲しいってことを知らない、そんなさわやかさ。無知の幸福。
「俺、五つ先からチャリなんだけど」
「嘘」
本当に驚いた。横を見る。自転車は学校に近い家のやつが乗るもんだろ、と突っ込みたくなる。でもそれも押し込めて。
「何キロくらい? 」
「さあ? 」
「わかんないの… 」
諦め交じりのラストセンテンス。変な会話。かみ合ってるはずなんだけど、でも何かずれてる。前に向き直り、頭を上げ、窓に映る自分と外の流れる景色をぼんやり眺めた。
ねえ、これがあたしの住んでる世界なんだって。信じられる?
そう思って隣をむいた。
「うん。いつも同じじゃないし」
センテンスはつながっていた。
「え?」
「毎日違う道で来てるから。雨の日は一番近道だし、暑い日は川沿いので来る」
ふうん、そう。言葉は喉に引っ掛かっている。胃から出てきそうなほど、溢れそうなほど。
「電車、いいね」
「雨の日くらい、電車にすれば」
「考えてみる」
雨の中、傘を盾にして自転車に乗る西脇…
「傘差し、捕まるよ」
「そんなバカな」
「ほんと」
マジの顔で言う。当然でしょう。
「…冗談っしょ?」
「冗談じゃないよ」
西脇はまた大げさに、まじでか、と言った。
痛い、でも痛い顔はしちゃダメだ。
電車が黒沢に着いて、停まった。
「降り口は左側でございます」
人が流れる。流れに沿って下りる。扉を交差する。歩きながら、アナウンスの真似をして、小声で
「でございます♪」
と西脇が歌うように言った。そして上機嫌に鼻歌まじりで、くるくるまわりながら歩いている。ちらっと後ろを見て、ああやっぱりこの人なんか変、そう思った。
「どこなの、そこ」
「うえ」
あ、そ、と西脇が言う。あたしと歩いていて平気なのか、この人はと、ふと疑問に思った。
「楽しみだなあ」
西脇の一言一言がいちいち気になる。この人の存在は何か、どこか、変。どこ、とは言えない、そこも変だ。
「別に、普通の喫茶店だよ」
あたしの言葉遣いまで、何か変。
「真中さんさ、」
西脇がぐっとあたしの腕を掴んだ。そして引き寄せられる。ちょうど家まで一キロの、駅のホーム。
「エンブレム、折れてる。さっきから気になってたんだけど」
顔が近すぎて、腕が自分の腕じゃないみたいに固まった。痛い、痛い。何か痛い。
「自分でやった?」
そんな顔してたんだ。目、意外と小さい。そらせない。匂いがする。甘い、ペこちゃんのアメの匂い? それとも香水?
「これ、めっちゃ高いの知ってる?」
突然現実に引き戻されるような感覚。
「知って」
ぱっと離れる。
「る」
「大事にしないと、服装検査、引っ掛かるんじゃない?」
西脇の長い足が、私を追い越していく。
「引っ掛からないよ」
声は自然と、大きく出た。
西脇のただ乗りは無事成功するだろう。ここまできて見つかることはまずない。
「やったね」
うん、そだね、と階段を登りながら言う。長い階段。声が突然響きだす。
「あのさ」あのさー
「うん」うんー
「いや、なんでもない」いやなんでもないー
「なにそれ」
「真中さんてさ」
「俺のこと知ってたあ?」
西脇が、ちょっとだけ期待してるみたいに見える。迷わない。迷った風に見せたほうがいいのかな? いや、素直が一番でしょ。
「知らなかった。今もだけど」
うつむいた、隣の頭。
「やっぱり」
予想は外れて、痛みはなかった。
商店街を並んで歩く。中国雑貨のお店。花屋。生パスタのうまいレストラン。
「ねえ、どこ」
西脇。
「もうちょい」
「何食う?」
「なんでもいいよ」
「俺、金ないかも」
だから、ないかもって何よ、と思いながら
「あたし、あるよ」
とぼそり。
「まじ?」
嬉しそうな西脇に、やられた、と思った。
ねえ、西脇なんていうの? と心の中で言ってみた。もちろんその声が届くはずはない。