(第一話) 伝説の岩のある続き石
時は平安時代の後期である。
(1063年)九月に安倍氏を滅ぼしたとされる。この戦いを「前九年の役」という。
この戦いから後の時代、1180年代の頃後半。
奥州は風雲急を告げるような神のいたずらと思えるような展開を向かえ、まさにその時の流れが押し寄せていたのである。
そんななか、奥州の奥地を逃避行のように進む一行がその場所に差し掛かっていた。あたりは暗がりが映え始め、長い試練の時を迎えようとしていた。
降りしきる雨の中、大切な主人を気遣いながら、側にいる大きな男は、その主人である男を庇うように気にかけるように立ち上がる。
その荒法師は、怪力を見せびらかすように大きな手で岩を掴むと、土台と見込んだ二つの岩を間隔を置き水平に並べ、その上に、人が到底持てるようなものでない長さ五間もある大石を軽々と乗せてしまった。
それを見ている周りの男らはあっけにとられた。
「なんという奴だ!」
その男たちの中心にいる男がつぶやいた。
「殿、この下でお休みくだされ。僅かでも、雨が凌げますゆえ!」
雨の勢いが急に増してきて、滴る雫に濡れる主人を不憫と思っているのは、彼の郎党である武蔵坊弁慶その人である。
京都の五条の大橋で、運命的な主従関係の出会いを果たして、その後は離れぬ一番の側近として、主人である男の側に片時も離れぬ家臣である。
その怪力無双の荒法師は、元は比叡山の荒僧で武術を好み、学問にも精通していて、義経主従達には大いに役立つ存在でもあった。
その様子を普段から見慣れている色白の美男子の武将が、郎党の力む顔を見るなり、その大男に労わりの言葉をかけた。
「あまり、無理をするでない。 弁慶よ!」
その怪力の配下の弁慶を心より心配しているのは、九郎判官こと源の九郎義経である。
京都の鞍馬で幼き頃を過ごし、壇ノ浦で平家を滅ぼした稀代の英雄は、兄の頼朝の確執により、奥州の平泉に逃れてきていた。
そして、平泉の高舘を襲撃された後、配下とひそかに抜け出して、再起を誓いその命を長らえていた。彼にとって、これから続く再起の戦いが運命を変えてゆくことになるのである。
その大男の持ち上げる岩を目の当たりに見ていた者らは雄ロロ機の声をあげていた。
「弁慶の怪力は、馬鹿力よ。いざとなれば、一万の兵に匹敵しますな!」
そう云う、義経の配下の者がいる。その男こそ弁慶と双璧をなす、義経主従の側近中の側近である片岡常春そのひとである。
「なあに、常春様もいざとなれば、百人力の名将でありますぞ!」
弁慶と義経が、雨に濡れた馬の世話をしていた男を見た。
「喜三太も、口が上手くなったわい!」
弁慶が、小柄な喜三太を笑いながら見ている。
喜三太は京都にいた頃からの下僕であり、特に義経の馬回りを担当していたことになる。身分は一番低く、義経主従のなかでは一番の小兵であるが、弓をとらせれば、「平将門」にも劣らぬ名手であったと言われている。
「しかし、このような場所で雨宿りになるとは、自然にはまさに勝てぬのう。そう思わんか? 六郎?」
そう呟いた男が鈴木三郎で、話しかけられた男は弟の亀井六郎である。
平安時代の末に藤白鈴木氏から出た鈴木三郎重家・亀井六郎重清の兄弟は、源義経に郎党として仕えていた。
その鈴木三郎重家の弟・亀井六郎重清は早くから源義経に臣従して一の谷、屋島、壇ノ浦と数々の戦に軍功を建て武名を顕していた。
義経奥州に落ちるに及び、弟の「亀井重清が隋行する」と、兄の藤白・総頭領三郎重家に報じたのである。
それを聞き、鈴木三郎重家は叔父・七郎重善と共に源義経に随行を決意し、逃避行の難に赴いたが、叔父の七郎重善は三河矢矧駅にて脚の疾に罹り、そこにて休養中するため、義経主従とは涙の別離を演じていた。
「仕方ないだろう。雨は自然の天候だしな!」
六郎が、他の主従を見ている。
「まったく、仕方のない事ですわ!」
「わははははっ」
主従が、一斉に笑いだす。その他、この一行には伊勢三郎、片岡弘経、増尾十郎、鷲尾三郎、駿河次郎、備前平四郎が従っていた。
伊勢三郎義盛は、『平家物語』では伊勢鈴鹿山の山賊とあり、『平治物語』では上野国で義経が宿泊した宿の息子としている。
『源平盛衰記』では伊勢出身で伯母婿を殺害して投獄され、赦免されて上野国で義経と出会い「一の郎党」となったという。義経が鞍馬山を出て平泉へ向かう途中でその家来となったとされるが、いずれも物語中での話であり実際の出自は不明であるといわれている。
片岡弘経は常春の弟で、西国に下ろうとする義経主従が乗った船が、大風に見舞われ、行く手を阻まれた時に、帆柱に登って綱を切る役を演じたのが弘経である。その後は、義経主従とはぐれていたが、後に義経主従に合流していた。
増尾十郎兼房は、正妻の北の方の幼いころからの盛り役であり、一番の年長者である。義経の最期を見届け、北の方と幼い娘御を刺殺し、涙ながらに役目を終えた兼房は、館に火をかけ、壮絶な最期を遂げることになっている。
鷲尾三郎は、元は播磨山中にて猟師をしていたという郎党。義経主従が鵯越に差し掛かった折に、難所を越えるため弁慶に道案内を探させた時に、老いた猟師と出会った。その猟師の三男が鷲尾三郎であり、その後に義経の従者になったという。
駿河次郎は、元は猟師であったという。初めは源頼朝の家臣だったが、源義経の郎党になる。その後、義経に従って宇治川の戦い・一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いなどに参陣している。
備前平四郎は、奥州に義経が落ちてきたときの従者である。
その他、藤原忠衡とその主従も、義経らと行動を共にしていた。
この義経主従が通りかかった場所は、奥州の内陸地に入る玄関口なる場所であり、三陸に抜けるには大切な場所柄であるといえた。
「ここは、なんというところであるのか?」
義経は、小高い丘の上にある石を見つめ、雨の降りしきるなか、三陸路へいく街道筋を見つめている。
川並みに続いている土手が、どこまでも長く続いているように作られているように思えた。
今日、春の季節に立ち並ぶ桜並木が、見事で行く人を和ませる場所である
「これよりは、阿曽沼氏の治める土地のようです」
主従の片岡常春が、雨の中、はるか遠くにそびえる山並みを望んでいるが、霧がかかっていて見ることはできない。
一行は、雨の降りしきる奥州の山奥の地で、進路を如何にとるかを決めかねていた。
その場所で、一夜の雨宿りをすることになるが、弁慶の乗せた石が、一晩中のこと泣き明かしている。
一行は、困り果てた。
「岩よ、何故に、そんなに泣き崩れる!」
弁慶は心配したように、岩に話しかける。
「あなた様が、乗せた石が私より、位が低いのです」
岩は、わんわんと泣いている。
「おい、弁慶。 その石をどうにかしろ!」
義経は、岩を不憫と思い、弁慶にとりなしをするべく話しかけた。
「仕方ない、土台の岩を交換しようではないか!」
そう言うと、弁慶は近くから岩を運んで来て岩を説得した。その岩は、今後の為になるならと、快く承知することになる。
「ありがとうございます」
お礼を伝えた岩は、その経験が悔しかったのか、今でもその場所で泣いていると云う。




