機刀零式、血炎槍 その三
水口山は、国境に位置する険しくも寂れた峠の中で最も高い山である。前は良質のヒノキが育っていたこともあり、日本一の城、大坂城建造の為の材木が切り出された山であった。しかし、戦を重ねて傷付いた城を修復する為に更に材木が伐採され、いつの間にか裸の山にされてしまったのだ。
周辺の住民もより豊かな暮らしを求めて城下町へと赴き、誰も手入れされぬまま野晒しにされた水口山は、緑とも茶色とも言えぬ奇怪な色をした山肌を露出させ、人々に人間の業の深さを知らしめているかのようであった。
螺子姫三懐刀に名を連ねる迅刀のお釘は、その水口山のごつごつとした岩だらけの道なき道を一人歩いていた。城下で仕事を請け負った後、螺子姫や納斗、くさび達を城下町に残し、単独でこの地へと赴いたのだ。
「関所要らずの水口山、か…確かに、こんな足場のひどい山道を歩いて国を越えるくらいなら、関所で役人とやり合った方が幾分か気が楽そうだ…」
お釘だけを見れば少々傾斜の急な山道を登っているように見えるが、実際はというと足場は岩ばかりでありながらも風化がひどく非常に脆い、一歩進むだけでもただ足を置くだけではいつ崩れるかも知らないような道であった。軽装で、しかも忍びであるお釘でもなければ、間違いなく足を取られて岩肌に頭を打ち付けてしまうだろう。
「晴れている間にヤツの家に着きたいところだねぇ…ん?」
こうして全く楽しみも高揚感も無い登山に勤しんでいたお釘だったが、麓の町が胡麻粒ほどに小さくなる位まで上ったところで、傾斜が無くなり、開けた景色が彼女の目の前に広がってきた。
殺風景で寂れた荒涼な光景であるのに変わりはないが、まるで巨石が降り積もってできた山のごとくごつごつとした今までの登山道とはうって変わって、小さな荒野のような一帯へ辿り着いたのだ。
そこには、せいぜい見かけても朽ちた木々しかなかった水口山には不釣合いな、立派で瑞々しいヒノキを組み上げて立てられた一軒の小屋があり、その前にある小屋とほぼ同じ位の広さの畑で、大根を収穫する青年の姿があった。
彼女は人の姿を察してすぐさま軽く地面を蹴った。するとその身は煙のように音も前兆もなく消え、次の瞬間には三十歩は必要な遠さにある手頃な岩陰に潜り込んだのだ。これが彼女の迅刀たる所以でもあった。そして、神妙な面持ちで顔を覗かせた。
「あれが、野孤斬 靖枝…なんか、良くも悪くも、予想以上に、普通だ…」
しかし、お釘は岩陰に身を潜めながら、その男をどこか残念そうな目をして見つめながら呟いた。
土塗れになりながら大根を土から引っこ抜いている彼は、確かに野孤斬 靖枝である。歳は二十過ぎといったところで、顔の輪郭はまだ若々しい。毬栗のようなつんつんの黒髪に、身の丈より一回り大き目の黒色の麻の着物を、帯から上は筋骨隆々の右半身を露出させて着こなすその格好がなかなかに様になっているだけに、懸命に農作業に従事する姿がお釘には違和感を覚えずにいられなかったようだ。
「うほっ、大物きだぜこれ!! 今までで一番じゃないか…っておい!! 虫食ってるじゃねーか!! ちくしょー、俺が大事に育てた大根から出てけこのっ!!」
一人で虫に巣くわれた大根相手に大きな声で独り言を語り続ける靖枝は、人形と戯れている少女の面影を醸し出していた。お釘にしてみれば、気味が悪いだけかもしれないが。
「あの男に、どれほどの秘密があるってのよ…?」
すると、靖枝は収穫したての野菜を畑横の井戸水でさっと洗い土を落とすと、荷車に次々と載せていった。荷車は本来牛に引かせる為のもののようで、大人が十人は余裕で乗れるほどの大きさであったが、その上に山なりになるほどの野菜を積み込んだ。
「よいこらせっとぉ…」
靖枝は見ただけで重たそうな野菜が満載された荷車を持ち上げると、車輪が軋んで悲鳴を上げながら家に背を向け歩き出した。
「まさか、麓の村に野菜を売り込みに行くつもり? いくら何でも欲張りすぎでしょうよ、あの山道をその荷車引っ張って降りるなんて、私でもできないってば…」
その様子を見ていたお釘は、彼の無茶っぷりに少し可哀相に思う目をしながら呟いた。忍びの者が登るだけでうなだれる山道を降るとは、とても思えない姿であるからだ。しかし、靖枝は何食わぬ顔で荷車を引き続けていた。
そしてそろそろ山の傾斜がきつくなってきたところで、靖枝はいきなり野菜の載った荷台に飛び乗ったのだ。直後に荷車は斜面にさしかかり、ひとりでに山道を降り始めた。荷車はやたらと頑丈なようで、その重量と相まって山肌を剃刀で削るかのように地形をもろともせず走り続けた。文字通り爆走である。
しかし、急斜面である水口山なだけあって荷車が走る速度はすぐに馬の駆ける速さに達したが、靖枝は野菜の上でむしろこの状況を楽しんでいるようだった。
「ひゃほーーーーーーーーーーぅっ!!!」
「むっ、無茶苦茶だーーー!!」
お釘はこの予想斜め上の行動に出てあっという間に視界から消え去った靖枝に、素直な感想を突っ込みとして叫んでしまった。だが、冷静になって靖枝の家に目をやると、しんと静まり返っているのだ。他に同居する人間はいないようであった。
「探りを入れる相手は馬鹿な農民、しかも一人暮らしでこれからしばらく帰る様子は無い、か。ちょっと都合が良すぎて逆に嵌められた気分だわ」
時間が過ぎるにつれて任務遂行の難度が下がる中、お釘は堂々と玄関から靖枝の家の中に潜入した。潜入というより、お邪魔した。
家の中はかなり質素であった。外観こそ立派だが、必要最低限の家財道具以外は何も置いていなかったのだ。あれだけ一人でも明るく振舞えるのに、ここでは食事と睡眠以外にできる事が、あまりにも少なそうだった。
「さて、何をどう探ろうか…家の中もさほど広くないし、やましい物を隠す場所も大して無さそうだし、いきなりどん詰まりって感じ…」
頭をポリポリ掻きながら、お釘はそう漏らした。家の中にある物は数える程度だった。使い古した食器、男物の着物、畑のものであろう野菜、中身の少ない米びつ、出しっぱなしの布団、お釘の身の丈に迫る大きさの布がぐるぐる巻かれた図太い長方形の物体、土がびっちり付いた農具が、あちこちに散乱していた。
彼女はとりあえず部屋の奥にあるふすまを開けて、中を重点的に探した。床板や天井の板を外して見回るも、そこには蜘蛛の巣が張ってあるだけだった。畳も一枚一枚剥がしていったが、いたのは子ネズミの家族が一組だけだった。
「本当に何も怪しいものは隠されてないじゃない。まさかさっきのネズミが幕府の存亡に関わるものとか? 城の柱を食い荒らして大坂城を倒壊させちゃう、的な?」
お釘が最早ネズミを疑わないといけない位に、靖枝の家にやましいものは存在しなかった。早々に手詰まった彼女は、どかっと畳の上に腰掛けた。
「冷静に考えれば、水口山をあんな単純な発想で駆け下るようなヤツが、まともに秘密を隠せるわけないか…じゃあ逆に、私の忍者の勘が働かないくらいバレバレだとか…?」
開き直った思想になったお釘は、もう一度改めて部屋を見回った。すると、堂々と彼女の手元においてあったのだ。お釘の身の丈に迫る大きさの布がぐるぐる巻かれた図太い長方形の物体が。
先程は「怪しい物とは人目に付かない所に隠されている」という彼女の固定概念のせいでか目にも留らなかったようだが、今一度それを見たお釘は、それに釘付けになっていた。生活必需品しか存在しない靖枝の家だが、このような巨大な形であり布に巻かれる必要のある生活必需品は、彼女の脳内には存在しなかった。
お釘はこの物体に巻きついた白い細布をはらはらと脱いでいった。物体は見た目そのままに彼女の体重に匹敵するほどに重く、巻かれた布の量ゆえに全容が見えてくるのに少しばかり手間を要したが、その姿を見た瞬間にお釘の表情は固まった。
「こ、これは…」
彼女が見たのは、一振りの日本刀であった。しかし、それを日本刀と呼ぶ根拠は通常より一回りほど大きい柄だけであって、それ以外はおよそ刀の姿はしていなかった。柄の先には赤い鍍金が施された分厚い鋼の箱が取り付けられ、その合間からは彼女の人差し指ほどの長さのある刃がぐるりと縦に連なって配置され、さながら巨大な鋸といった様相であった。
そして、その鋼の装甲の根元に、金色の小さい文字が刻まれていた。そこには、「傀儡機刀零式、血炎槍」と記されていたのだった。
「まさか、これが…あの、傀儡機刀…?」
今までまるで締まりのない態度であったお釘の表情が一瞬でこわばった。悪い夢でも見ているように瞳の中を不自然な軌道で泳ぐ目線は、目の前の現実を受け止めていない証拠だった。
忍びとして様々な戦史、歴史にも学のある彼女は傀儡機刀の逸話は十分に知っていた。それがどれだけ自然の理を超越した刀であるかも。
そしてお釘は震えていたのだ。一振りの刀を見ただけで。螺子姫三懐刀と語られる身になっても、彼女の中で傀儡機刀とは偶像としか思えないほどの力を有する存在であったようだった。
直後であった。ばたばたと忙しない足音がこちらに向かって迫ってきた。ここは水口山の山頂付近、そんな場所へやってくるのは、靖枝以外は考えられなかった。
「ちぃっ!! 何故もう帰ってくる?! せめて、こ、これだけでも…」
お釘はとっさに、この予想斜め上の戦利品だけでも持ち帰ろうと柄に手をかけるも、血炎槍は畳の表面をかつら剥きするかのように抉り取ったのだ。いくら鍛え抜いた忍びとはいえ、血炎槍は重すぎた。
お釘は細腕だが腕っ節は並の男より遥かに強い。だからびくともしないわけではない、運ぶことはできる。でも迅刀のお釘も鈍らとなってしまっては、靖枝から逃れるのは不可能だった。
「せめて納斗なら持ち出せるだろうけど、これが私の限界か…だが、この収穫は大きい。大きすぎる。まさか傀儡機刀が眠っているとは、上様の驚かれる姿が目に浮かぶわ…」
血炎槍から手を離した彼女は、そう呟いてほくそえんだ。直後に、慌てた様子で靖枝が家の中に飛び込んできたのだが、既にお釘の姿は消えていた。靖枝と入れ違いに玄関から出て行ったのである。速すぎて、消えたように見えるのだ。もっとも彼女の存在を知らない靖枝には、消えたかどうかも分からない速度であったが。
「やべぇやべぇ、今日は遠出だから握り飯を作っておいたのに、危うく置いて行くところだった…って、あれ?」
しかし流石にお釘が血炎槍をほったらかしで出て行ったので、忘れ物を取りに帰ってきた靖枝はすぐに異変に気付いた。鋭い目つきで、荒らされた部屋の様子を見つめ、事の次第を確認した靖枝は、ほどかれた血炎槍の巻き布を元に戻しながら呟いた。
「久しぶりに血炎槍を狙う輩が出てきたか…ほんと、誰も知らないんだなぁ、この血炎槍が、俺にしか使えない代物だって事に…」