第壱刀…機刀零式、血炎槍 その一
将軍家のお膝元、城下町たる大坂市街の一角にある、とある高級料亭。手入れが行き届き、木々の一本一本が耽美で池の鯉一匹一匹が優雅な中庭を臨むそこの八畳ほどの一室に、その落ち着いた空気にはそぐわぬ雰囲気の一組の男女がいた。
男は歳こそ若そうだが、庶民が羽織るような、袖の短い麻の着物を着た少々小汚い痩せこけた姿をしていた。見るからに不健康そうである。
一方の女は、歳にして十ほどの幼子であったが、目つきは狐のように鋭く、金色の長い髪を団子状にまとめ、長いかんざしと派手な着物を身に纏った、かぶき者のような格好をしていた。見るからに変わり者である。
「ご足労ッス螺子姫ちゃん。わざわざ近江からこの城下にまで参上頂けるとは、螺子姫ちゃんも意外と優しいんスね~」
「か、ん、ち、が、い、するな、鳶よ。あたしは御上の命に従って、溝鼠も顔負けの肥溜め臭い仲介役の貴様の頼みを、溢れんばかりの涙を呑んで聞いてやっているだけだっつーの」
肘掛にもたれ掛かり立膝をついて、およそ姫らしからぬ姿勢で開口するやいきなり罵倒の嵐をぶち当てた螺子姫。彼女はこの成りだが、幕府直轄で困難な任務を請け負っている仕事屋であるのだ。表立っては行えない事、幕府の手回しとは知られたくない事を代わりに行う、身代わりのような存在なのであった。
そんな彼女に、鳶は罵倒が聞こえているのか疑わしいほど真顔で答えた。
「螺子姫ちゃんが相変わらずおれっちへの風当たりが強いのが確認できて良かった良かった、元気そうで何よりだよ」
「うるさい、それよりも任務とは何だ? こっちは旅路の疲れも癒えぬままここに足を運んでいるのだ、長話なら日を改めて頂戴」
「へいへい、そんじゃお話しますかね」
鳶は少しため息混じりに言うと、もぞもぞと姿勢を正した。そして、ほんやりと天井を見上げながら話を続けた。
「んま、螺子姫ちゃんにはちと物足りない、ってかやりがいのない仕事かも知れないけど、とある男の身辺調査をやってほしいんだよね~」
「身辺調査?」
「そうそう。ここ大坂と京の境に、水口山っていう殺風景な山があるのは知ってるか? そこに住んでいる『野孤斬 靖枝』という男の身辺を洗ってもらいたいとさ。何でも、幕府を揺るがすとんでもないものを隠し持っているとか」
「また漠然としているじゃない。こっちの主観で探りを入れろと?」
「詳細は分からないんだよ、機密文書なのか、徳川の埋蔵金の地図なのか、はたまた武器か…情報元もいい加減でな、とにかく足を運んでみるしか正体は分かりそうにない。嘘の情報かも知れないが、今の幕府は臆病なんだ、この仕事は保険というやつだ」
「目的が曖昧だとやる気が五割減だ…しっかし、のこぎり やすえ、ねぇ…いかにも林業で稼いでます宣言してるような名前だなぁ」
鳶の話した仕事の内容が本当に拍子抜けなのか、螺子姫はうなじの辺りをポリポリ掻きながら言った。その眉をひそめた不愉快そうな表情は、そんな明らかな凡人相手に幕府子飼いの人間を差し向けるのは、自分達をおちょくっているのか欺いているかのどっちなんだとでも問い詰めたそうであった。
すると鳶は、またへらへらとした表情で答えた。
「螺子姫ちゃんは御上の命で動く人間。その御上の言いつけに、『え~何それ邪魔くせ~』みたいな事思っちゃいないよね?」
「勿論任務は果たす。当たり前だろ。しかしそれくらいむしろ貴様がやれば済むんじゃないの? 曲がりなりにも貴様も忍びだろう?」
「ははは、おれっちも忍びの心得はあるさ。でも今はただの連絡係よ。それに、『迅刀のお釘』を抱える螺子姫ちゃんが他の忍びを頼るなんて、何とまぁ滑稽なことっ」
下品な笑みを浮かべる鳶。すると、螺子姫の背後のふすまの向こうから、厳つい声色の女子の声が聞こえてきたのだ。
「全くだ。よく分かってるじゃない、鳶。忍びの技量であんたが私に敵わないってのがさ」
その声が聞こえた瞬間、鳶は先ほどまでの砕けた雰囲気から一変して気まずそうな表情を浮かべた。そして螺子姫は、対照的にどこか誇らしげに鼻息をひとつ吐き出してみせた。不満さゆえにむんずと閉ざしていた彼女の口も、僅かに綻んだのだ。
次の瞬間ふすまが勢いよく開き、そこには一人の忍び装束の女が立っていた。黒髪の短髪に橙色の籠手と足具を備え、豊満なお乳に黒い足布で絶対領域も完備、そして腰には艶やかな光を放つ忍小太刀を差していた。
「お釘…お前ぇ、いつからいてたんだよ。確かこの辺の蕎麦屋で他の二人と飯食ってんじゃなかったのかよ」
「私は姫様の懐刀だよ、呑気に座談でもしてると思ったの? 鳶はそんなんだから使いっぱしりの下忍から昇進しないんだよ」
その忍び、迅刀のお釘は鳶を見るや、さらりと鼻で笑ってやりながら言った。その刺々しい言葉は、偉そうに言いたい事ばかり喋っていた鳶への仕返しのようであった。
「全く、三懐刀が出てくるとやり辛いったらねぇな…螺子姫ちゃんの天狗っぷりを馬鹿にするのは面白いんだが、お前ら相手に言葉の暴力振るうと何が飛び出すか分かったもんじゃないしよぉ~…」
「姫様を馬鹿にすれば今想像してる三倍はひどい仕打ちに遭うわよ? んま、私達とあんたの貶し合いは免疫ついちゃったけどさ」
お釘はすっかり調子の狂った鳶に向かってそう言った。彼女の台詞からは、鳶を子犬の如く手懐けられるという余裕が伺えた。
お釘の存在こそ、螺子姫が幕府に重用される所以である。彼女は「螺子姫三懐刀」と呼ばれる螺子姫に従う家来の一人であり、「この世で最も鋭く速い剣技を持つ者」と称される。彼女一人で小国の大名の戦力に匹敵するとまで言わしめるほどなのだ。
神速の剣捌きと多彩な忍術を駆使し、幕府が抱える忍びとしては彼女を越える実力者はいないとされるのだ、同じ忍者として同じ場にいるだけで劣等感に苛まれるのは致し方の無いことであった。
「話は聞いてたっぽいなぁ。んじゃあお釘、きっちり職務は全うしてくれるんだよな?」
「当然。忍びは命令が無くちゃ動けない、言わば傀儡だしね。」
閑話休題、鳶がお釘にそう尋ねると、彼女も心なしか邪魔臭そうな雰囲気を臭わせながら言った。
「つーわけで宜しく頼むわ。まぁ今回は三懐刀が派手に暴れる機会は無いと思うけど、報告書だけはちゃんと書いてよね~」
「はいはい、こちとら暴れる元気も無いほどくたびれてるから心配しなくていいよ、お釘にはのんびりやってもらうさ」
鳶の去り際の言葉にも、気だるそうに答えた螺子姫。そして鳶はゆっくりと立ち上がると、お釘の脇をすり抜けて外へと立ち去っていった。
お釘がそっと外を確認して鳶がいなくなったことを確認すると、螺子姫の視線までしゃがみ込んで言った。
「それにしても、偵察任務に我々を使うなんて、幕府は人手不足なんでしょうかね?」
「ま、幕府には人はたくさんいるが、こういう仕事は忍びの専売特許じゃないの~? 鳶もあの様じゃきっとヘマをやらかしそうだし、一番手堅くお釘をけしかけたいんでしょ。ほら、ちゃっちゃと終わらせるよ」
「ですね」
螺子姫は懐から扇子を取り出してしきりに開閉させながら、背後にいるお釘に首だけ向けて言った。その腑抜けた表情は、この程度の任務など、彼女らの中ではお使いの類にすら入れ難しと語っていた。
そして二人はすっくと立ち上がると、料亭の小部屋から出て行った。しかしこの時、幕府が誇る三懐刀にこの役目が任された本当の意味を、彼女達はまだ知らない。多少なりとも感付いていようと、水口山に暮らすただの民に隠された秘密など、想像しうる範疇の遥か上であったのだから。