足りないものなど無い
もちろんフィクションですあしからず。悔しすぎて書いただけのおかしなものですのでまじで気にしないでください。
コンビニバイトの終わり際。午後十時のすこしまえ。俺は溜まったゴミ袋を外に運搬するとき、店の外に髪をさまざまな色に染めた不良少年集団がたむろしているのを見つけた。五人のグループだ。そいつらのなかに見知った顔があった。嫌な思い出が頭をよぎる。二つ上の、去年高校を卒業した年上の男が混ざっていた。俺よりも年齢が上のやつらを恐れたわけではない。相手にしても仕方ないと思っただけだ。俺は彼らを横目に見ながら素通りしようとした。相手のほうも、特に気にすることもなく下品に笑いながら雑談を続けていた。
そのまま何事もなく、いつもの帰り道になるはずだった。
でも、俺の耳がその不良たちの話を拾ってしまった。聞き捨てならない言葉を。
「おまえ、サッカーやってたんだってな? 球蹴り遊びの何が楽しいんだよ」
知った顔の年上の男が馬鹿にするような言葉を浴びせられていた。年上の男はへこへこしながら、「そっすね~」などと薄笑いを浮かべていた。
別の不良が言う。
「だいたい、その球蹴りの最高峰の大会でよ、負けてるのにバックパスだけやってたろ。ザコすぎよな、あれがこの国のあのスポーツの代表なんだろ? 腰抜けで草」
さらに別の不良も言う。
「そもそも、コロコロ転がりすぎなんだよ。演技じゃないなら軟弱だし、だらしねえ。ふさわしいのは劇場なんじゃねえの?」
どっと下品な笑いが上がった。
知り合いの年上の男は、さすがに三年近くやってきたスポーツが貶められて頭に来たのか、「あれは、けがを防ぐために……」と小声で説明しようとしたのだが、言い切る前に、かぶせるように不良は言う。
「じゃあルールが欠陥なんだな。審判が試合を作るのを何度も見たぞ。頭の悪いスポーツ。スクランブル交差点で数年に一度、急にファンが群がるけど、全体的に盛り上がってなんかないよな」
この連中は、本当に試合を見たことがあるんだろうか。
あまりにひどい指摘に、つい俺は声をあげてしまった。
「戦ってないやつが、言うんじゃねえよ」
知り合いの年上の男は驚いた顔をしていた。
不良の一人が反応した。
「あ? なんだお前?」
立ち上がり、見下ろしてくる。
それでも一歩も引かない。
サッカー部にいた頃もそうだった。
どれだけ暴力的なことをされても、俺は引かなかった。結局、なんやかんやあって、俺は部活に行かなくなって、自主練を続けながら、こうしてアルバイトをしているというわけだ。
すっかり俺は不良に囲まれてしまった。
今にも殴られそうだと思ったとき、俺はすでに殴られていた。
「ッ!」
頬に痛みがあったが、殴り返さない。蹴飛ばせばコンビニの屋根まで飛ばせる気がするけど、この足は暴力のために使うものではない。
ただひとこと絡んだだけで、袋叩きにされる危険性が出てきた。知り合いの年上は黙ったままだ。目線をそらしてうつむいていた。
二発、三発、続けざまにもらった時、よく知る先輩の声がした。
「おいおい、年下相手に寄ってたかって、何やってんだお前ら」
先輩は片方の腕で松葉づえをついていた。もう片方の腕には、スマホが握られていて、通報しようとしているようだ。
それを見た不良どもは、舌打ちをして、「次会ったら、お前の頭で球蹴りしてやるからな」などと野蛮な言葉を吐き捨てて、足早にその場を去っていった。
結局のところ、通報を気にする腰抜けだったなと口元を拭きながら俺は思った。
松葉杖の先輩は、軽い調子で笑いながら、
「よう、元気か」
「佐藤先輩、ひさしぶりっす。足、どうしたんすか」
「ちょっと、試合中にやっちまってな。大事な予選に間に合うか、微妙なんだ」
「先輩がいなかったら、左サイドはどうなるんすか」
「そうだな、だからお前に、話がある」
先輩は、俺と一緒に不良たちの残していった甘ったるいジュースの缶や揚げた芋菓子などを片付けてくれた。
ちょうど仕事が終わる頃だったので、俺は他の店員に挨拶をして、二人でコンビニの外で話すことにした。
ミネラルウォーターで乾杯をして、すぐに俺は言った。
「それで、先輩、話って何すか」
佐藤先輩は即答する。
「なに、自然な流れさ。発展途上だった我が高校のサッカー部だが、知っての通り、長年にわたる成績不振だ。そのうえ、お前も巻き込まれた暴力沙汰の噂もある。次で結果を残せなかったら廃部だと噂されてる」
「絶体絶命じゃないっすか」
「ああ、しかもそんな時だってのに、怪我人が続出している」
「誰っすか。佐藤先輩抜きでも、史上最強のチームだって聞いてますけど」
「離脱者は、おれと鈴木と高橋と田中と伊藤だ」
「左サイドのエース・中盤の要でチームキャプテン・右サイドのチャンスメイカー・中央センターバック……ジョーカーで流れを変えられるドリブラーまで。無理すぎる! そんなんじゃまるで違うチームだ」
「そうなんだ。さいわい、選手層を厚くしてきたおれたちだから、チーム一丸、団結して、いい戦いはできると思う。結果を出して、廃部を免れるために、少しでも戦力がほしい。お前は足が速いし、囲まれてもキープできる実力が確かなFWだ。一人で試合を変えることができる能力を持っている。どうか、チームに戻ってほしい」
「もちろんです。もともと、暴力にとりつかれた三年生が抜けたら戻るつもりでいました。明日、監督に会いに行きます」
「ああ、そうしてくれ。おれたちのチームに活力を与えてやってくれ」
「それで、佐藤先輩。最初の相手って、どこっすか」
「渦鳴谷高校だ」
「地区最強、全国制覇経験も多数ある古豪じゃないっすか」
「いまだに強豪だし、何より、そのテクニカルで創造的なサッカーはおれたちが苦手とする相手だ。ただ、近年、創造性はなりをひそめ、組織的なサッカーを指向している。去年、練習試合で勝ってもいるな。だが、その時とはまったく状況が違う。こっちは野戦病院、むこうはやり返そうと本気で来る」
「いきなり当たる相手ですか」
「クジ運が悪いのは間違いない。だが、この相手に勝てば、廃部の噂なんて消えてなくなるだろうよ」
★
俺はサッカー部に戻り、練習に参加した。
俺が自主練をしている間、他のみんなは連携を高めていて、俺はかなり下手なほうになってしまっていた。それでも、他のメンバーの誰よりも足が速かったので、なんとかベンチに入れてもらえることになった。
「それにしても、本当に上手っすね。みんな成長してます。佐藤先輩のいるはずだった左サイドに入ってるやつなんて、全国の強豪チームにいてもおかしくない。トラップやばいし異常なシュートセンスですよ。俺がいなくても、渦鳴谷に勝てるんじゃないっすか?」
佐藤先輩は頷いた。
「みんな、本当によくやっている。このチームでやれる機会は限られているからな。負けたらもう未来が無いかもしれないんだから、目の色を変えてやるよな」
佐藤先輩は自分の足に視線を落として、悔しそうな横顔を見せた。
「不完全燃焼で終わってほしくない。お前なら試合を決められる」
「わかりました。やりますよ、俺は」
そう答えてはみたものの、少し不安もあった。
部活を離れていた間、俺はサッカーの研究をしてきた。映像を何度も細かく観たし、相手の戦い方のイメージもかなり解像度高く掴めている。
たしかに俺たちのチームはレベルが高い。違った特徴がある選手たちが献身的に守備をこなし、一斉に敵陣に襲い掛かる。でも、そもそも、この戦型は俺たちのチームにおいて本当に最適解なのだろうか。すくなくとも左サイドの佐藤先輩と同タイプの選手がいないのに、この戦い方のままでいいのだろうか。
★
俺はベンチだった。
先輩やかつての仲間たちが、すさまじいのだ。
序盤、キーパーがボールをこぼしかけて、ぎりぎりで掴んだ。今のは危ないと思ったが、こぼさなかった。持ち前のセービングは圧倒的だし、課題だったハイボール処理判断も改善され、ラインコントロールも成長中だ。
キーパーは前線に蹴りだした。
「すげえ」
高精度のロングボールがワントップへと正確に飛んで行った。キック力と精度が魅力であり、試合を全く別のものに変えてしまう能力がある。
相手にボールがこぼれても、ディフェンスはラインを高く保ちながら、相手の前線と駆け引きを行い、全体をコンパクトに保つ。
三枚のセンターバックは、空中戦、カバーリング、対人とすべての高水準。縦への運びや楔やフィードで起点にもなれる。
序盤から互いにハイプレスを仕掛けていくなかで、センターバックからの縦への差し込み。そこからチャンスをうかがったが、これは相手が想像以上に高い位置からプレスにきたこともあり、効果的とは言えなかった。
相手がサイドでボールを持った時には、すぐにウイングバックが対応する。
ウイングバックがこのシステムの核だ。突破力とビッグチャンスにもっていく個の力が求められ、そのうえで守備の走りをサボらないことが要求される。ただ、スピード突破型というよりも、テクニカルなフィニッシュ役がこのポジションに入るのはどうなのか。奇策とも言えるかもしれないが、超攻撃的布陣が楽しみである。
ウイングバックが時間を作っている間に、味方のシャドーが猛然とボールを狩るためにカバーにきた。ここでボールを奪えれば、カウンターのチャンスになる。
両シャドーはとにかく走力。すさまじいスピードでのプレスを人間離れした回数繰り返すことのできる、他に類を見ない才能の塊である。それでいてエレガントでもある。
相手のプレスをいなす役割を担うのは、ダブルボランチだ。
今日の試合で出ている二人は、スペースの覇者と中盤に罠を張る制圧者。出来ないことは何なのか挙げるのも難しい。わかりやすく中盤を支配する偉大な才能たちである。それは名門相手でも上回っているように見えた。
ワントップは、彼のための戦術をとらないチームのなかで、ポストプレーから裏抜けから強烈シュートから、何から何まで高水準でこなす万能型として絶対的だ。
個の力でも決して名門に引けを取らないメンバーが集まっていた。
このチーム構造はウイングバックとシャドーへの依存度が特に高く、そしてそこが最も疲弊しやすいため、このポジションができる中心選手が複数抜けるのは、いかに選手層が厚くとも、厳しすぎる台所事情になっていた。
それでも、ベストの布陣を組んだ前半。試合が進んでいくごとに、俺たちのペースになっていった。最高の出来だった。
中でも驚いたのは、キーパーからのロングボールの精度と、それを背負って収めようとするワントップだった。屈強なセンターバックを背負いながらキープして、ほぼつなぎかけていた。
「渦鳴谷高校のセンターバックを相手に、ここまでやりあえるなんて」
俺のつぶやきに、隣にいた監督が静かな頷きをみせていた。
結局、このとき落としたこぼれ球は中盤の選手が拾ったところでファウルによって止められたが、ベンチから見ていても手ごたえがあった。チームとして一体となって動けていた。
ただ、気になったことがある。この日の渦鳴谷高校からは、相手が何をしてきても下がらない気迫を感じた。たとえ守備で数的不利を感じても、攻撃での数的有利を最優先にしていた。
こういう相手を出し抜くのは戦術である。急造レベルになってしまうくらいに怪我人が出まくっている俺たちだったけれど、戦術はちゃんとあるのだ。そうでなかったら、再現性のあるサイドからの崩しを何度も起こせるはずがない。
前半、それでもなかなか点を奪えなかったのは、二億人の部員を抱える名門、渦鳴谷高校の個の力……だったかといえば、最後のところで防がれたところは、そうだったかもしれない。
それでも、前半から相当なリスクをかけてくる相手に、俺たちも負けてはいなかった。ボールを持たれるというよりは、持たせているような感覚を持っていられたし、ラインを下げすぎずに駆け引きができていた。
最も警戒していたスピードもテクニックも規格外の選手も、ライン上で存在感を放っていたものの、俺たちのチーム最高のディフェンダーが好きにやらせていなかった。
気付けば俺の腕には鳥肌が立っていた。
激しい中盤の主導権争いで、互いのボランチにイエローカードが提示された後、やがてチャンスが訪れる。相手がカウンターに出ようと全体が前進し、横パスを出してきた瞬間、ボランチがセンターライン付近で得意のパスカットを見せ、そのままペナルティエリア前まで運び、右足を振りぬいた。ミドルシュートを放った。イエローをもらっている相手ボランチはファウルで止めることができず、キーパーが手を伸ばしたものの届かなかった。
ゴールだ。
歓喜の輪ができた。
勝てる。廃部にならない。物語が続く。
最高の前半を終えた時には、そう思えた。
★
一点リードで折り返した。
後半になると、相手は若手のアタッカーを投入してきた。サイドに入れるか中央に厚みを出してくるのか、練習試合のときはサイドに入れてきた。その時は、俺たちの若手が抑えたのを映像で見ていた。両翼からポケットまで深くえぐってのクロス攻勢かと身構えた。実際、相手の脅威となる左サイドアタッカーがポジションを少し下げ、前を向いた状態でボールを持てるように手を打ってきており、ここに加えて逆サイドに、若手が入ってくると、5バックのブロックは徐々に広げられ、間を突かれる可能性も出て来る。しかし、相手のアタッカーが入ったのは中央の前線だった。
この狙いは何なのかと考えているうちに、試合はまさかの展開を見せた。
あの渦鳴谷高校が、連続でアーリークロスの放り込みを見せてきたのだ。
技術で崩して点を取るサッカーを指向してきた名門が、俺たちなんかを相手に、アーリークロス。
俺は目を疑った。
でも横目で見た監督は、メモ帳を取り出して、全く微動だにしなかった。
まさか、読んでいたというのか。
しかも、このアーリークロスはただの放り込みではない。一度サイドで揺さぶってから、下げて、センターバックからゴールに向かうようなクロスをあげて、それを何度も繰り返して、俺たちの疲弊を狙ってくる。それ一辺倒ではなく、ほかにも、いろいろな種類でクロスを浴びせられていた。まるでクロスを使ってこちらの守りの情報を得ようとするかのように。
大ピンチの連続を守護神がセーブしまくったり、顔面ブロックでぎりぎり何度も耐えたりする展開。これも読んでいたというのか。
そして、まさか、ずるずると下がらざるをえず5バックどころか6バック、あるいは7バックになる場合もあり、そこに相手のボランチがするすると上がってきて、俺たちのワントップがついていくわけにもいかず、マークがずれ、瞬時にラインを上げることも選択できず、あっさりとヘッドで同点に追いつかれてしまうことも、読んでいたというのか?
そして監督は交代カードを切る。
両翼の交換だった。
攻守に効いていた攻撃力のある両サイドのウイングバックを下げた。本職がサイドバックの選手を二人投入した。
右サイドは攻撃型だが、守備的とも解釈されかねない交代。
それでも、上下動を繰り返し続けるなか、個の力を押し殺してまでウイングバックが守備に走ったことで、この試合は成立していたのかもしれない。もう二人とも疲れが見えていた。というか、いまだにプレスをかけまくれる左シャドーのあれがおかしいのだ。
だからこそ、同点でも延長を見据えた守備的な交代と言われようと、こうするしかなかったともいえるだろう。
だが、このチーム全体のコンセプトがそもそも攻撃的でしかなく、ローブロックになること自体が想定外なのだ。俺の目には、みずからチャンスを減らしにいく選択に思えた。カバーの力だけでどうにかなる展開でもない。跳ね返す力をもつセンターバックも、怪我で招集されていない。そもそもこのビッグマッチで、センターバックに交代枠を使うのはアクシデントでもない限り厳しい。最終ラインは時間を追うごとに下がっていく。
今になって思えば、俺たちは徹底的に分析されていたのだ。
「監督、俺たちの右サイドで、タスクの多さでの判断の遅れが見えます。相手のアタッカーに対する恐怖心に負けて、最終ラインが下がっています」
相手が最高峰の快速テクニカルアタッカーの配置を変えてきてからというもの、守り方がうまくいっていない。相手がワンタッチした瞬間に身体を入れるとか、相手に絶対に前を向かせない技術に集中してもらう必要があるんじゃないか。
下がるな、と簡単には言えない。
下がることでしか自分を守れない瞬間があることを、俺は知っている。
だが、
「これでは時間の……」
俺が劣勢を口にしようとした時、監督はまるで俺の言うことがわかっていたかのように俺を制した。
「大丈夫だ。終わり際までは、やられない」
「何を根拠に言ってるんですか、監督」
「相手にもリスクはあったのだ。最も大きなリスクをかけてきていたのは、前線に人数をかけたアーリークロス放り込みの時間帯で、事実カウンターのビッグチャンスもあったが、しのがれた。あのとき、相手は守り側の人数が揃った瞬間に、一気に最終ラインを上げ、私たちの選択肢を一つ削って来た。不運にもコーナーがゴールキックになってしまった場面だ。マイナスに出せていたら違う景色があったかもしれないが、あの守り方に練度の差を感じさせられた。その後、同点になってから、今はもう、すでにある程度は引いてバランスをとり、俺たちをじっくり崩す方向に変えてきているがな」
「まるで、何度も見てきたように言いますね」
監督は俺の言葉には答えず、試合を見つめながら話をつづけた。
「低いブロックを組むことは、間違いとは言えない。そこで点を取られなければ、相手は焦るし、そういった、相手が前線に人数をかけたときにこそ、今の私たちのチームの得点確率が最大に上がるからだ」
それはそうなのだ。だから、押し切られて勝ち越されて負けるようなことがあれば、追加点を取れなかったこと、勝ち越し点を取れなかったことが敗因として真っ先に上がるはずなのだ。もちろんさっきの失点も守備に問題があって、そこを突かれたのは確かだ。けれども、怪我だらけのこのチームが解決すべき問題は、きっと守備ではない。
俺たちも、左シャドーで駆け回る走力の化け物と、化け物ゴールキーパーからの陣地回復フィードとワントップのフィジカルを軸に、チャンスを作りかけるシーンが何度もあった。そして、それは、相手がラインを上げて押し込んできて、前に出てきているからこそ成り立ちかけていたものだ。
だったら、ここはやっぱり、攻撃的でフレッシュな選手を増やして、相手に恐怖を与えて相手を押し下げたい。
「監督、やっぱり、このままだと押し返せないですよね」
「ああ」
「それに、このままだと情報を渡し過ぎます。あいつらは、明らかに俺たちの弱点にあわせて戦い方を変えてきている。シャドーをつり出してサイドで数的有利をつくり、ウイングバックをワンツーでかわしてスペースを生み出してくるシンプルな攻撃がキツすぎます。策はないんですか?」
監督は、「ある」と即答した。
「そうですね、俺を入れて――」
しかし、すぐに俺の言葉をさえぎって監督は言うのだ。
「いや、あった、というべきか。もう、すべて試したのだ」
「え?」
「何をやっても、渦鳴谷は引いてくれない」
「なおさら、俺が裏をとれば決着を――」
「私にはタイムリープの能力がある」
「か、監督?」
「このメモ帳だ。一ページを破れば、試合前に戻る。破ったページは戻らない。有限だ」
「そんな力が」
「七回だ。お前を投入した回数。開始からも、後半頭からも、失点直後からも。お前が裏を取れば、奴らはさらに前へ出た。お前の速さを恐れながらも、いっそう強気に押し潰しに来た」
「ていうか、タイムリープって……」
「なにも無限にできるわけじゃない。メモ帳の残り頁の回数分だけ、試合前まで時を戻せる能力だ」
すぐに監督は交代選手を投入した。
ボランチ同士の交換。スペースを使う攻撃特化型を、アクシデントもあって、やむなく下げた。万能型のボランチを入れた。この新鮮なボランチは渦鳴谷相手にはゴールを決めたこともあり、相性はいいのだろうが、この流れではどうだろうか。ミドルを打てる場所まで前進できるかも怪しい。
さらに、最も攻撃で違いを生み出す可能性のあったシャドーも入れ替えた。新たに入れた選手はターゲットにもなれるしロングスローという武器も持っている。低い位置に下りて攻撃を作るのも上手い。
右サイドのケアよりも、耐えて延長にいきたい。そういう種類の交代に見えた。
それらの交代は一瞬の可能性は見せたものの、連携不足だろうか、試合に入り切れなかったのだろうか、うまく機能しなかった。
監督は、ピッチを真剣に見つめる。
「それでも、勝てると思ったのだ」
監督は折れていない。勝ち筋をさがしている。
その目には、まだ炎が灯っているように見えた。
「一つ、試していないことがある。これまでは、すべて前後半のうちに決着していた。延長に突入した後の時間帯に、お前を投入したことは、まだ無い」
「……はい」
俺は決意を胸にこぶしを握った。
でも、俺が出るためには、同点のまま守り切る必要があった。
監督は言う。
「私は、今、ここに至ってやっとわかった。このチームが粘るために足りないものがあった」
「何ですか?」
「守備戦術だ」
「それは……そうなんでしょうね」
「守備戦術の枯渇によって、相手に押し込まれたとき、狙いどころを与えてしまい、何度やっても失点が避けられない。相手が最後の失点の瞬間にディフェンスラインの間受けを狙って待ち構えるのは偶然じゃない。彼らは、私たちのチームが安全策に一心同体になっていることを見抜き、最終ラインでのオフサイドトラップの可能性が無いと判断して、あの場所に陣取っていた。ならば――」
そして監督は立ち上がった。
勇気の指示が出た。これはリスクもあるし、それさえ利用されたら終わりだ。それでも、可能性は低くとも、技術を見せなければ先に進めない。
監督は「ラインを上げろ」「ラインを上げてオフサイドを取れ」とハンドジェスチャーでディフェンス陣に伝えた。
「ここで失敗したら、もう戻れないぞ」
監督はメモ帳を握りしめた。
左サイドに転がった五分五分のこぼれ球が、そこにくると信じていた相手のサイドアタッカーによって拾われた。そんなところまで押し込まれてしまっていたので必然だった。やがて中央に送られ、そしてゴール前で待ち構えている相手に斜めのパスを出そうとするとき、「上げろ!」叫び声がした。5バックでは難しさもあるオフサイドトラップ。俺は息をのんで見守った。
俺たちのディフェンス陣がサイドの選手に引っ張られることなく、一斉にラインを上げた。
オフサイド。
俺は拳をつきあげた。
そして延長に突入する。
★
延長戦が開始された。全員に疲労が溜まり、両陣営のライン間の距離が広がり、非常にオープンな展開になった。
ボールがゴール前から逆のゴール前まで、繰り返し行き来していた。
そこでチームで誰よりも速い俺が投入された。
FWだらけの前のめりなフォーメーション。
俺はキーパーからのロングボールの着地点を見極めた。その近くにはワントップで相手DFを押さえつけ続けた先輩がいた。勝つと確信していた。誰もさわらずにバウンドしたボールに最速で向かい、誰よりも先に辿り着き、キーパーの届かない場所に蹴りこんだ。圧倒的抜け出しで点を決めたのだ。一人で何度もイメージしてきた形だった。歓喜の瞬間、俺は監督のもとに走ろうとしたが、引き倒されて、次々と先輩たちがのしかかってきた。最高だ。
さらに密集からもう一点取った。裏抜けを恐れて相手が最終ラインを下げ、ボランチとの間が空き、その空間から二次攻撃、三次攻撃があり、相手キーパーがはじいたボールが、俺の前にこぼれてきた。振りぬいて、押し込んだ。
監督がメモ帳を放り投げて、両手を上げてガッツポーズをした。
ところが、ラインを再び下げて5バックのブロックで受け身になったところで、ペナルティエリア角からの逆足ミドルシュートがサイドネットに吸い込まれた。
「ばかな、データにないプレーが、またここで出るか……」
さらに、オフサイドトラップが読まれ、三人目の動きでポスト横に抜け出した中盤の選手が中に折り返し、合わせられ、同点にされた。
あとは最後まで攻められ、なんとかキーパーの指先のセービングで耐え続け、ホイッスル。心臓に悪い延長後半が終わった。
PK戦になった。俺は一人目で蹴って成功した。
最後まで誰よりも献身的に走り切った最高の選手が二人、止められて敗北した。PKはちゃんと成功率の高いコースに飛んでいた。相手のキーパーが上手かった。止められたのはプレスに走り続けた選手と、前半に点を決めた選手だった。
文字通り、負けたら終わりだった。俺らに次は無かった。
このチームは、このままではもういられない。
攻撃力不足、ローブロックの練度不足、キャプテンシーやコーチングの問題、息をつく時間を作ったり、運をつかむ工夫の不足。
観客からの声がきこえてきた。それは、俺の幻聴かもしれなかったけれど、たしかにきこえた。
「主力がいれば勝てた」
「驚いた。名門校に善戦だ」
「彼らが万全なら、あんな臆病な戦い方をしなくて済んだかもな」
それは、走り切って、すぐには立ち上がれないでいる人間に対して、あまりにも残酷な結果論だろう。
それでも、この敗戦は糧になり、各々の人生は続いていく。チームとして続いていくかどうは、いまのところ、まだまだ全然、わからない。
湿った芝の上に、くたびれたメモ帳が落ちていた。俺はそれを拾い上げ、忘れ物ですよと監督に手渡した。
あらためていいますがフィクションです。私はそもそもわざわざ足りないものをきく姿勢にこそ違和感をおぼえたりしましたね。いえフィクションですけど。




