はじまり
午前2時48分。
紺色の制服に身を包んだ色花は必死に駆けていた。全く舗装されていない山道を履きなれていないヒールの靴で走るので何度も転び、足を挫き、既にボロボロだ。だが止まらない。止まるわけにはいかない。振り返ると大勢の大人が追いかけてきていた。
色花は決して老いることのない不老族だ。気が遠くなるような年月を生きているが見た目は十代後半の少女である。老いることがないのは素晴らしいことだと思うかもしれないが、そんなことはない。その原因の一つは人間だ。人間達は不老族の心臓を食うと老いなくなると信じているから、不老族は常に命を狙われている。不老族は老いず寿命が存在しないだけであって不死ではないので、当たり前だが殺されたら死ぬ。人間と不老族は非常に似ている。だけど···いや、だからこそ人間に命を狙われるのはもう嫌だった。
「はぁはぁ···一人に対して大勢で攻撃ってどうなのよ…せめてタイマンにしなさいよっ」
ぼやきながらも、まだ死にたくない、の一心で走る。もう一度振り返ると木陰で猟銃を構えている男がいた。
「いくら何でも殺意高すぎでしょ!?」
あまり人間を傷つけたくないが、このままでは埒が明かない。
「本当は傷つけるつもりなかったんだけど、ごめんね。···でも、悪いのはあんた達よ。」
靴を放り出し、両足で一気に木の幹を蹴って跳ぶ。この際スカートの裾が破れたが気にしない。木を伝い、銃を構えている奴のところまで一直線で行った色花は人差し指と中指を相手の目に突き刺す。ぐちゃり、と嫌な感触がした。
「ぐあぁっ!」
相手が仰け反ったところに一発、回し蹴りをお見舞いする。そして男から銃を奪うと、色花は銃身で周りにいる人間を片っ端から殴り飛ばした。勿論、殺さないように手加減してある。木の上から猟銃で狙ってきていた男の手を撃つと悲鳴を上げながら落ちていった。
「久々に暴れちゃったわね。警察が来る前に逃げておかないと。まあ、自分でやった事だけど死なれたら後味悪いし、応急処置くらいはしてあげるわ」
色花は周りに転がっている人間に応急処置をすると、急いで逃げ出した。もちろん、靴は履き直して。
「ここだったかしら?」
先程の現場から数キロ離れた山中で色花は呟いた。目の前には直径数十センチはあろう巨木がそびえ立っている。両手で狐の窓を作り、指の間からその巨木を視る。すると目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。これこそが白露界と人間界を結ぶ境界の継ぎ目だ。狐の窓を作った両手を慎重に離し、周りを見ると、周囲の景色は一変していた。
自然と神秘の世界、白露界。色花は大好きな故郷に帰ってきていた。
「ただいま。人間界ではすごく頑張ったんだし、もう帰ってきても良かったよね?」
静かで美しい世界で彼女は1人でゆったりと幸せに暮らすはずだった。
···あんな事さえ無ければ。