ラーメン・チート令嬢
「私は【ラーメン】を作ってみせます!」
「なんて???」
娘のサリアが意味のわからないことを言い始めた。
我が娘は昔から少し不思議な子だった。侯爵家の7歳児としては対外的に問題ないのだが、家の中では謎の言葉をウニャウニャと口にする癖があった。しかしながら聡明で、大人顔負けの案をぽんと口にすることもある。
その娘が、不思議な夢を見たというのだ。その話が流れに流れて、飛んで飛んで回って回って着地した先が【ラーメン】だった。いや【ラーメン】ってなに?
ここに至るまでの説明を私は思い出していた。
「とても不思議な夢を見ましたの。いえ、見ていると言うべきでしょうか?」
サリアは昔から不思議な夢を沢山見るらしい。彼女が最近見た夢は、サリアのお友達でもあるリリシア公爵令嬢の夢だった。
リリシア嬢は王子殿下の婚約者になるのだが、とある平民に心奪われた王子殿下に婚約破棄されてしまう。ところが平民というのが隣国からのスパイであり…王子殿下はそのことに気がついていて婚約者を危険から遠ざけ…リリシア嬢も婚約破棄の裏側で何が起こっているか調べ…と壮大な夢を見たらしい。
「私もお友達として暗躍しますの。平民の子は家族を人質にとられており、やりたくもない事をしていたと知り…人質を救出するためアレコレ…その際に奴隷商との戦いがえんやこら」
「壮大だなあ」
「でも、夢のせいで、もう社交界はお腹いっぱい!」
まだ7歳の娘に、ドロドロした社交界は重すぎたようだ。さもありなん。そのせいか難しい言葉をたくさん使っているし…これは元からか。
娘は病気療養のため領地に引っ込んだことにしてほしいと頼み込んできた。ただ悠々自適に暮らすのも申し訳ないので、なにか侯爵家を盛り上げるものを研究すると。
最終結論が【ラーメン】だという。いや、それなんなの???
「夢の中で見た、美味なる食事です。作り方は全て覚えております。お父様も気に入る一品を作りますわ!」
「ええー…」
一度言い出したらサリアは話を聞かない。我が家は資金も潤沢だし、しっかりものの長男とちゃっかりものの次男がいたので「まあ、いいか」とサリアを送り出したのだった。実際、あの子は地方にいたほうが成果を出しそうだったし…。
サリアが向かったのは海辺の町だ。海はあるが地形の関係で大きな船は停泊できず、陸路から向かうのも一苦労だという街だ。だが、魚介類は豊富なので住民が飢えることはないことと、塩作りをしているため収入はそこそこある。サリアはここを熱望した。
「この国に【ソーダ湖】はありませんからね、海から重曹を作ってみせますわ!」
「なんて?」
それからサリアはたびたび近況報告を手紙で送ってくれるようになった。
『私は【かん水】を作るため、重曹から作ることにしました。海辺の町と言うこともあり、材料となる貝殻や海藻がとても豊富で助かります。
つきましては、貝殻を焼いて砕いた粉を送らせていただきます。お父様が以前より、小麦の収量が少ないと仰っていた山辺の畑にお使いくださいませ。ただし小麦を植える一カ月より前にまいてください。まいた直後は土に馴染んでおらず、劇薬となりますので』
貝殻の粉をどれくらい使うのか詳しく記載された紙も同封されていた。この知識はどこから仕入れたのだと不思議に思いながら山辺の村に持って行った。もとより収量の少ない場所だ、ものは試しだと思いながら。
数か月後、山辺の村が「今年は麦の芽がよく伸びる」という報告を聞いた頃、サリアがまたトンチキな手紙を送ってきた。
『調理場は常に清潔であるべきだと思い【ラーメン】と同時並行で、石鹸についても研究しております。貝殻の粉にあわせるべき油はやはり植物性のほうが香りが良いと気付き、植物油を量産するべく日夜奮闘しております。
こちらは温暖な気候なこともあってオリーブの栽培に向いていると思われます。オリーブの苗を送ってくださると助かります。』
オリーブオイルを作ってくれたら助かると思い、苗木をいくつか送っておいた。大量に、とは願わないので少し採取できればいい。しかし、石鹸か。あれ本当に焼いた肉のような臭いがして使いたくないのだよな。それが改善できるのだろうか。楽しみだな…。
それから暫くして小麦が豊作になりそうだという報告を受ける頃、またサリアから手紙が届いた。
『やはり【ラーメン】の命は【出汁】です。美味しいスープがなければ【ラーメン】とは呼べません。ここは海辺の町ですので貝で【出汁】をとると決め、初期から研究しています。
しかしながら、やはり野菜のもつ独特な【旨味】には勝てません。野菜の栽培を進言いたします。この近辺では栽培に不向きなものがありますゆえ、野菜を育てて下さる農家を探してくださると幸いです。こちらからは塩などをお渡ししたいと思います』
この条件で引き受けてくれるか解らないけれど、野菜を育ててくれる場所を探すかと部下に指示を出しておいた。塩か、山間の村は困っていることが多いときくから良いかもしれない。
小麦がたわわになる頃、またサリアから手紙が届いた。
『貝殻の粉を水に溶かしたものは強力であるため、ガラスの容器が必要だと常々思っております。どうかガラスの容器を作れる職人の育成をお願いします』
それなら領内に既にいたことを思い出し、彼に援助をすることにした。それにしても貝殻の粉は水に溶かすとそんなに劇物なのか…。皮膚につくと爛れるとか怖い。はやく職人にガラスの容器を作ってもらえるようお願いしよう。
なんだかんだ怒涛だった一年を過ぎるころ。サリアのまいた種が少しずつ芽吹くのを感じた。相変わらず【ラーメン】の正体はわからないが、サリアのおねだりで投資した事業は少しずつ日の目を見ている。
小麦はいつもより収量が多かったし、農家は冬を乗り越えられる人が多かったと報告をうけた。ガラス職人は投資をうけたことで凝ったものを作ることができたと我が家にプレゼントしてくれた。
「オリーブはまだまだだが、オリーブオイルを送ったら見事な石鹸になったな」
おしゃれに煩い妻が「これは売れる」と豪語する石鹸だ。そのうちオリーブオイルがもっと沢山とれるようになったら、我が領の主力商品になるかもしれない。サリアは素晴らしいものを作ってくれた。
「他には何を作る事やら」
そして【ラーメン】の正体を知りたい。
あれから数年が経った。
オリーブオイルが安定して取れるようになったので石鹸が作られるようになった。実は隣国の端からじわじわと流行り病が広がっていたのだが、この石鹸で体を洗うと病にならないという噂がたってからは大儲けだ。
小麦の収量があがり、野菜が普及し、塩による保存食が発達したため領民たちは飢えにくくなった。他領もこの方法を真似たために国力は上がるばかり。人口は増加傾向だ。
ガラス職人たちのおかげでオシャレな香水瓶が売られるようになり、当家は社交界の注目を集めるようになった。サリアの功績はどれもこれもが芽吹き、我が家を潤してくれる。
「そういえば王子殿下とリリシア嬢の結婚式にはちゃんと帰ってくると言っていたな」
あの二人は婚約していた。とはいえ、驚くようなことではない。この二人が婚約するのはサリアが夢で見るより前からほぼ内定していたためだ。平民の娘も現れなければ、隣国も平和そのもの。
穏やかなまま世界は進歩していっている。
サリアは大量の荷物をもって屋敷に帰ってきた。といっても、一年に一回は必ず帰っていたし、こちらからも会いに行ってはいたので少し久しぶりな程度だったが。
「お父様、やっと私の納得する【ラーメン】ができあがりましたわ」
出されたのは貝を煮込んだスープのパスタに似た料理だった。麺の食感が独特だったが。
「重曹を作り、そこから更にかん水へ落とし込んで、本当に大変な日々でしたわ」
「これがサリアの作りたかったものかい?」
「はい」
これがどれだけ凄いものかは私とサリアぐらいしか知らない。領地を改革して、やっとできた食べ物なのだ。この器の一杯を作るだけで多大な労力が必要とされる。高級料理にふさわしい。
「お二人の結婚式で振舞うといい。きっと王子殿下とリリシア嬢は喜んでくれるよ」
「はい。ありがとうございます」
こうして祝い事があった時には【ラーメン】を食べるというのが我が国の慣習になった。
きっとサリアは知らない。
石鹸が無ければ流行り病が爆発的に増えていたことを。隣国の王太子殿下は体が弱く、病にかかったら亡くなっていた可能性があることを。隣国の第二王子殿下は野心の塊で、常々戦争の機を伺っていることを。
小麦の収量が上がらなければ、塩漬けにした食料がなければ、我が国は飢えて国力が下がっていたことを。狙うのにちょうどいい国に成り下がっていたことを。
ガラス細工で我が領が潤ったおかげで国境の警備が厳重になったことを。奴隷商を捕らえることができたことを。
サリアは知らない、そのはずだ。
彼女はただ一杯の【ラーメン】を作りたかっただけなのだと。