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093 第三十五話 正義を装った悪

 書店を後にすると、なにも買わなかった我々に伏せ目がちな眼差しを向け「あら、お気に召すものは御座いませんでしたか」と、どこか残念にも無関心にも取れる調子でそれだけ言い残して先をゆくペレッタさん。


 お上品な佇まいで石畳の上をコツコツと歩いて行く背中に着いていき、また別の本屋にでも連れて行ってくれるのかなと思っていたら、足を止めたのは一軒の立派な屋敷の前であった。自由時間、少なかったです。団体行動って時に無情なものですね。


「大きなお屋敷ですね~」


「キミの小屋より大きいんじゃない?」


「小屋じゃない、完璧な魔術に護られたお屋敷」


「今じゃ廃屋まっしぐらな無人のお屋敷だねっ。お家がかわいそぉ~」


「捨てるべき時が来た、ただそれだけ」


 貴族娘に連れて来られたその屋敷は、他の家々と同じく白壁やオレンジの屋根に燦々と輝く太陽の光を反射させており、何にも視界を邪魔されない見晴らしの良い海沿いの高台に建っていた。


 高潮の影響も受けないであろう非常に好リッチな場所で心地の良い海風を浴びながら、屋敷の先に広がる海を遠目で見下ろしている背中に「此処は、えーっと」何処なのかと警戒心モリモリで訊ねる。


「お友達のお家ですの」


 するとそのような言葉を返して横顔を見せると、にこやかな微笑みを照れ臭そうに浮かべるのだった。ペレッタさんの家は国境近くにあるらしいので、こうして友人の家にわざわざ連れて来たあたり、雰囲気的にもどうやら此処が今宵の宿となるらしい。


 それは良いのだが、潮風にも負けない丈夫な花々を横目に眺めながらぞろぞろと玄関先へと向かい、オオカミの顔を象った黄金のドアノッカーを手慣れた様子で三度叩き付け、優雅なお時間をお過ごしのところお邪魔しますが、客人が訪れましたよと扉の先に伝えると、しばらくして玄関扉は開かれ、こちらを出迎えてくれたのは、


「ようこそおいで下さいました」


 一人のメイドであった。その姿を前にして咄嗟に後退りした己の足と同じように、ミアの手も後ろのナイフへと向けられており、真顔ではあったがソフィアも警戒した様子でロシューを前に出している。みなメイドイコール追っ手という定式が身体に刻み込まれてしまっているらしい。


「リーゼロッタは居るかしら?」


「お部屋でお休みになられております。お呼びしますので、どうぞお入りください」


 しかし現実は静かなもので、おっかない罵声や眼光などどこにも無かった。目の前に佇むお姉さんの姿をよくよく観察してみると、王宮のメイド隊とは明らかに髪色や衣服のデザインが異なっており、ぶっきらぼうに「どうぞ」とこちらに言うだけで目も合わせてはくれなかった。


 普通はそんな態度を取られたら失礼に思うかもしれないが、今は非常に喜ばしく思う。ホッとため息を漏らして冷静さを取り戻すと、みなある事に気付いたのだった。


 背中を見せた濃茶髪のセミロングさんが履いている長スカートの先端からは尻尾の先が僅かに覗いており、それはイヌミミ族である事を物語っていた。頭に飾り付けられているカチューシャに垂れ耳が押し潰されていて、パッと見でそれとは分からないようになっている。


 メイドの態度は主人である家主にも同様であった。案内されて応接間に通されるとしばし待つように言われ、貴族でもない卑しい賤民ですのでコの字型に置かれていたソファーの下座へと腰掛け、ミアとソフィアに挟み込まれる形でしばらく待っていたのだが、背後から姿を表した若い家主らしき娘に対しても決して視線を交わさず、一歩下がった壁際に立って終始目を伏せており、呼び出しから戻って以降微動だにもしていない。


 それどころか部屋の片隅に顔を向けていて何も無い空間を見詰めている。つまりこちらに背中を向けていて頭でもおかしくなったのかと。


 まさかメイドの姿を目にしただけで追い掛けられる焦燥感が沸き立つとは……。メイド恐怖症に陥り始めている事を悟った。


 ――あ、因みにポチはお外でお留守番です。室内に入れるわけが無いので今後はもう言わない。わざわざ自家用車の状況なんか伝えないだろ? そゆこと。


「ようこそ、私の屋敷へ。今お茶をご用意しますね」


 こちらから見て向かいの席にひとり座り、指パッチンしてキッチンへとメイドを向かわせたその娘は、状況から察するにペレッタさんと同じ貴族、あるいは貴族と関係を結べる大商人や地主などの有力者。だというのにラフな格好――おそらくは部屋着であろう長袖のワンピースを着ており、メイドが言っていた通りに休日を楽しんでいたらしい。昼寝でもしていたのかと思える格好で人前に出て来るあたり、あまり常識には囚われない感じの人なのかもしれない。


 それとなく姿を観察すると、緑に近い黒髪を一つに結って肩から前に垂らしており、バレエっ子のように前髪はオールバックになっていた。案の定光を反射してデコピカになっているが、本人は気にしていない様子。責任感の強い学級委員長のような眼差しが印象的だった。


 屋敷の中に飾られている調度品の数々はどれも品格があり、壁紙もファンシーな花柄で格調高い。座らせて頂いているソファーに至っても豪勢な革張りで、こちらと家主とを隔てているテーブルは此れ見よがしに虎杢入りの一枚板。モノを観る眼の無い凡人でも全てがお高い高級品なのは一目で察せられた。


 金持ちって何故こうも豪奢なのか。見栄っ張りなのか? ほんとプラスプラスの文化よなぁ。侘び寂びってもんは無いのかね。まぁ職人さんのお給料として市中に放出してくれてるわけだから悪くは言えないけどさ。


「貴女、読書がお好きでしょう? わたくし、此処へと訪れる前に一枚堂へと立ち寄りましたの。よろしければ今宵のお供に、この方々の宿賃として差し上げますわ」


「あらそれはご丁寧に。では有り難く頂きますわね? ありがとう」


「わたくしと貴女の仲じゃないですか。親しき仲にも礼儀あり。これも幼馴染としての礼儀です」


 人間としてカウントして良いのかどうかが未だに判然としないロシューは無関心無表情な真顔でソフィアの背後に突っ立ってるだけなのでともかく、あらあらまぁまぁと会話している傍ら部屋の様子を四人で眺めていると、シンシアの隣に座るペレッタさんから見てすぐ斜めの位置、最も上座に座る家主は、そんな事よりも、とでも言わんばかりに受け取った本を膝へと置き、表紙の上で両手を合わせながらこちらへと真っ直ぐ顔を向け、


「お待たせしてすみませんね。すでに聞かされているかもしれませんが、私はリーゼロッタと申します。私はペレッタとは異なり、領地を持たぬ下級貴族。あなたの世界では男爵に相当する地位にあったお父様の跡を継ぎ、今はこの街の商会を仕切っております。ですので、あまり肩肘張らずに接して頂ければと」


 ご丁寧にも身分や職業まで明かして、そう自己紹介してくれるのだった。港町の商会ギルドで長を務めているという事は、全ての貿易や物流を一挙に仕切る超絶金持ちで……荷馬車に乗せてくれた旅商人とも知り合いかもしれない。初対面同士での話しのネタは貴重、こうなるなら名前聞いとけば良かったなぁ。


「あ、どうもそれはご丁寧に。俺は野山を駆け巡るさすらいのシコティッシュ・フィールド。この名前で呼ばれると恥ずかしいので、あなたとかキミとかでお願いしますどうか」


「はふふっ、新たな殿方がこの星に招かれたのは噂に聞いておりましたが、面白いお方ですねっ? では、あなたとお呼びします」


「そうしてください。あ、こっちは、えーっと……ネコです」


 って! あっぶね……愉快な仲間たちを紹介するところだった。あまり名前が知られると状況が悪化しかねない。人脈広い貴族なら尚更だ。


「ネコだけどっ!? ネコだけどぉ~!?」


 それがなにか!? なんか文句あるの!? みたいな声をみゃーみゃー上げている泥棒猫を無視して反対側に顔を向け、お次は、


「そんでこっちは俺よりも歳下に見えるかもですが、実齢三十二才さんです」


 を、紹介する。ソフィアは既に名を知られてしまっているから手遅れだけど、念を入れといて損はないだろう。


「ぴちぴちの三十路です。脚がコレなのでお見苦しく思われるかもしれないけど、失礼する」


 するとソフィアはこちらの言葉も意に介さずに立て掛けていた杖を手にし、リーゼロッタさんに見せるのだった。


「それはそれは、お気になさらずにですわっ。なら、窓の外に見えたあの怪物を足に?」


「いいえ、それは」


「わたしの従者です、少々喘息がありまして、神官様からお譲りになりまして」


 その名を、口に……ぁああああッ! ぁあああぁぁぁぁぁッ……! 聞こえない聞いてない何もなかった! ……ふー、それにしてもやっぱ三十二才さんは貴族相手に商売していただけあって堂々としてんなぁ~。


「そうでしたか、それはお辛いでしょうに。ところで貴女は……」


「あー、そっちは腐女子っすよ。見ての通りシスターっす」


「ふ、ふじょ、え……?」


「美しき理想を追い求める探求者、それが腐女子っす」


 よく知らんけどキュンキュンする事だけは知ってる。――本人はポカーンっとしてるけど。


「な、なるほど……! 崇高なる想いをお持ちなのですね。その修道服は独立国家の神殿の……」


「そっすね、そこのシスターっす」


 流石に隠し切れない、か……。もう吹っ切れるしかなかった。別の服、着てくれないかな?


「わたしは赤子の頃から修道院のお世話になっている世間知らずの身。その目で世を見てこいと神官様に仰せつかりましたので、旅のお供として付き添わせて頂いております」


 そ、その名……おッ! おほッ! へぎゅッ……! 心が気持ちが精神がッ! へぎゅ・おれッ……!


「あの、シコティッシュ様お顔が……?」


「あはい、正常運転なので構わず」


 呼ぶなと言った名を呼んで心配そうな眼差しを向けてきたリーゼロッタさんに真顔で返す。どうやら自分で思っていたよりも心の叫びが顔に出てしまっていたらしい。気を付けねば。


「ってか、なんかほっぺた膨らんでますけど大丈夫っすか? 虫歯? イイ医者知ってますよ」


 話しを逸らす為に必死でキョロキョロと眼球を泳がせてなにかを探してみると、ワケが分からずに困惑した面持ちを浮かべつつもお淑やかに冷静を装おうとしている、今まさに大丈夫かと訊ねてきたリーゼロッタさんの両頬がぷっくりと僅かに膨らんでいて、見方によっては可愛らしい様を浮かべており。


「バレちゃいましたか……」


 こちらの言葉を受けて急に顔を染めたかと思えば、そっと目を伏せてそれ以降は無言になるリーゼロッタさん。どうやら恥じらっているらしく、先程までの委員長みたいな風格はもうどこにも見当たらず、完全に小さな乙女の姿になっていた。


「リーゼロッタが口に含んでいるのは含み紙ですわっ。頬をふっくらと見せる為に、柔らかな薄紙を丸めて口に含ませますのっ。きっと殿方が訪れたと知って、せめてもと……」


「ペレッタ! ……言わなくてよろしいっ」


 解説してくれたペレッタさんの言葉を咄嗟に遮って、その場から逃げるかのようにすくっと立ち上がると、ふと壁際まで歩んで行ってこちらに背中を向け、口元に手をやったかと思えばすぐに戻ってくるリーゼロッタさん。


 リーゼロッタさんが後にしたそこには陶器製の壺が置かれており、おそらくはそれをゴミ箱代わりにして含み紙を捨てたらしい。目の前に戻ってきたリーゼロッタさんの頬からは不自然な丸みが消えていて、正直無いほうが自然に思えた。こんなところで美的センスの違いを実感させられるとは。

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