088 第三十三話 共犯者ども
厚い布に覆われた冷たい闇の中、◯奴隷としての日々をこれから送るのだと諦めながら独り黙々と揺られていた折、急に眩い程の白光が目の前に広がったかと思えば、白煙の中から姿を現して「さぁ行くよ!」と手を差し伸べてくるミア。
握った手の柔らかなぬくもりは、まるで天女のようであった。暗闇の中にこそ光は射す。その言葉の意味が解った気がした。
――突如として巻き起こった爆音によって急停車するものだから勢い良く後頭部を強打してしまい、とても痛いので、きっとそれもある。
助け出すために危険も顧みず生命をかけてくれたミアに反して、俺は言葉で言い返すのみで全く行動せず、鉄拳もあるというのに抗いもせずにアッサリと諦めてしまっていた。これではまるで、助けを期待するまさに他力本願ではないか。もう二度とシスターや信者達を馬鹿に出来ないかもしれない。
縄を切ってくれたミアに心臓を持っていかれると同時に、自分が情けなく思えた。前を走るイケネコの背中に、正直憧れた。
こうして手際良く二度も盗まれてしまった訳だが、これで良いのかどうかはまだ判断が付かないものの、自由の身であることに安堵していた。だからきっと、少なくとも、自分の心からすればこれで良いのだろう。自由、イイネ!
「バンザァ~イっ!」
解放された祝いに両手を上げながら、とろい追っ手から逃げ、
「待てごらぁッ!」
「ボクの獲物は誰にも渡さないよ~だっ! んべぇ~♪」
舌を伸ばしてあっかんべーしている傍ら、なんかオッカナイ声が後ろから聞こえ続けているが、
「万歳っ! ばんざーいっ!」
カネのかかった鎧を御大層にも身に纏っている事がすべての敗因なんだよ。満面の笑みで何度も両手を掲げると、このまま国境を越えてしまう事にした。今が絶好のチャンス、これを逃したらもう二度と亡命は果たせないと二人共暗に悟っていた。
追い付かれる前にいち早く来た道を戻ると、移送もし終わったからか国境線の警備体制は普段の調子に戻っているらしく、見るからに警備が甘くなっていた。
まさか出立したばかりの人間が舞い戻って来るとは思いもしなかっただろう。イヌミミ族も居ないほんの数人の警備など、状況把握能力の高いコソ泥の前では無力。ミアの指示に従って隠れるべき時に身を隠し、ここぞというタイミングを見計らって全力で駆け抜けて行けばなんとかなった。
「そんで結局正面突破かよぉおお……!」
気を抜いて突っ立っている警備員の目を盗んで強引に国境を抜け、自由街道の真ん中を堂々と突っ走って行くと、国境線を越えてすぐの木陰に毛皮を敷いてヒマそうに座り込んでいる方々の姿があり、
「やぁお二人さん。お待たせ」
「おそ……わきゃっ!」
待ちくたびれたご様子でこちらを見上げた方々と落ち合うと、挨拶も程々に文句を言われるよりも早くソフィアを担ぎ、耳元から聞こえてきた変な声を無視して再び走り出す。
上手いこと煙に巻けたみたいだし警備員たちもポカーンっとしていたので、今のところはまだ追って来ている様子はないが、かといってノンビリしているわけにもいかない。早くこの場から去らねばいつ追跡の手が伸びて来るか分かったもんじゃない。
「あら、お友達がたくさん」
「って、えぇえええっ!? 噂をすればなんとやらかよぉおお!」
とかなんとか急いでいる間にも、金属同士が擦れ合う音が後方から聞こえ始め、ソフィアの声に振り返ってみると、やや離れた位置に檻を護衛していた数人の姿があり。
シンシアがロシューと協力してあくせくと荷物を纏めているはずなのだが、後ろから迫りくる近衛兵はそんな二人にも目もくれず見事なまでにスルーして横を通り抜け、逃亡犯の俺にしか興味関心が無いらしい。
「にゃっひゃー! このドキドキたまらないにゃぁああっ♪」
隣を走るネコは、なんだか楽しそうなご様子でした。こんなスリルいらない。
遊園地のジェットコースターにハマるタイプと並走して全力疾走していると、次に聞こえてきたのは乾いた爆音であった。耳元で短く鳴り響いたそれは考える以前に銃の発砲音であり、
「いひっ……いひひっ♪」
堪えきれないと言った調子で身震いするものだから、余裕の無さを少しは分けてやりたい。人間相手でも躊躇無く撃つとは、そんな一面知りたくもなかったよ。
背負っているから顔は見えないものの、きっとその表情は心底愉しそうに歪んでいる事だろう。お澄まし声でおんぶされていたかと思ったらコレなのだから堪らない。
「ソフィアさんっ、敵は鎧を着てますっ! 顔ですよ顔っ!」
「う~、それでは的が小さい……」
「ダメだってソレは流石にアウトォ! 人殺しにはならんで! 足止めするだけでいいから!」
荷物を背負って鞄まで手にしているロシューと共に、まるで二人乗りのバイクが如くガーゴイルの背に乗って、ヒラらしき近衛兵たちを易々と追い抜き隣に並んで来たシンシアであったが、その言葉はあくまでも純粋で末恐ろしいものであった。
逃亡犯と、泥棒と、人殺し……これでは完全に犯罪者グループとして見做され、更なる恨みを買って追跡の手も強化されてしまう。なによりもモノを盗るのはともかく、人間相手にヘッドショットを狙うような狂人にはなってほしくない。――もう狂ってる気もするけど。
「足止め……ならばボディを、穿つッ!」
一晩中待たされてストレスでも溜まっているのか、ステッキを握り締めている片腕をこちらの首に回してしがみつきながら、背筋を伸ばして限界まで後ろに顔を向けたらしく――これでもかと締め上げられる我が首。
その体勢で何度も引き金を引いて援護射撃するソフィアだったが、銃弾は鎧に当たって甲高い音を奏でるのみであった。後方から聞こえる甲冑の音から判断して、飛んでくる弾丸の衝撃に狼狽えている様子ではあるものの、
「死ぬまで走れ走れ走れぇえええッ!」
根性凄まじく、決して諦めてはくれなかった。その場に立ち止まってしまったら負けが確定したも同然ではあるけども……ブラック過ぎんだろ近衛隊。
「もういい、ちょっとコレ噛んでて」
「あ、ふぁい……」
このままだと無駄撃ちになってしまいラチが明かないと判断したのか、あるいはリボルバーに込められていた六発が尽きてしまったのかは知らないが、手にしている杖をふとこちらの口元へと持ってきて、猿ぐつわが如く横から咥えるよう指示すると、
「爆散しちゃえ」
ポケットに忍ばせていたらしき爆弾を取り出し、携帯カイロを用いてこちらのすぐ目の前で火を付けると、迫り来る追っ手にぽいっと投げ付けるソフィア。
数秒ほどしてから聞こえてきたバフンッ……! という、爆弾にしては微妙な音が後方で鳴り響くと、
「なんだか煙ばっかり……」
などと不満げに呟いている声にも構わず、今は立ち昇る煙に乗じて逃げる。
爆弾というよりも煙幕と言った方が正しい気もするが、念の為にブツを渡してくれたソフィアはこうなる事も予想していたのだろうか。やはり天才だ。顎が疲れてきた。
「もうちょっと」
はよ……。という心の声も虚しく、こちらの背中にナイ胸を押し当てながら視界を塞ぐように今度は銃を持ってくると、中折れ式のそれをパカリと折って一度に排莢し、悠長な手付きで弾を込めていくのだからなんとも。
マーキング的に歯跡を残させようとしているのではないかと勘繰ってしまう口元の杖は、持ち手や石突きに金属が使われているだけあってか、口で咥えられる程度の直径、しかも軽そうな木製の割にはやけにズシリとしており、想像以上に顎への負担があった。しかし大切な杖を落とす訳にもいかず、ただ耐え忍ぶ思いで顎を上げ突っ走る。
正義とは綺麗事のことを言うのだ! そして正論を貫き通すのが正義。故に俺は、俺の正義を執行する。これは正義を護る為の逃亡なのだ!
まぁただの理想論的な感情論で逃げてるだけではあるけども、理不尽に絡め取られてしまったら絶対にいつか後悔する。正義と対立するはまた別の正義なので尊重はする。闘うべきは魔者、逃げるべきは王宮。それのみ。正義を試すなおびやかすなやァッ!




