087 第三十二話 ゼロ人斬りの女騎士
私は近衛師団・総長。ただの一人も人間を斬り倒した事はない。
悪しき戦は終焉を迎え、男狩りも終わり、人の世は平安となった。しかし、男が根絶されるに従い魔者や魔獣の被害は増加の一途を辿り、この剣はひたすらに奴ら異形の存在へと向けられていた。これは罪滅ぼしの代理執行であり、償い切れぬ自己矛盾の贖罪であった。
我らは王宮が有する近衛機関に属し、女王陛下並びに司令塔として我らを導くメイド長の下、すべてが決定される。
諜報・偵察活動を行うメイド隊、それと協力して剣を振るう騎士とに分かれており、私は武芸者達を率いる騎士長であると同時に、メイドと騎士が一団となった誉れ高き近衛師団の総長として任命されている。
名ばかりであった自らに厳しい稽古を課し、名実共に一番の腕前として認められ、総長として任命されたのだ。
民に希望を与え、名誉ある近衛師団を率いる者として、いかなる失敗も許されない。私が失敗を犯し、私だけが地に伏せるのならば問題は無い。だが、慕ってくれている部下たちを殉職させるわけにはいかない。人の生命――一度きりの大切な人生を背負う以上、この責任から目を逸らすわけにはいかない。
例えそれが利用する為の象徴であろうとも、私は異名に相応しくあらねばならない。魔者に端を発する問題が多発している現在、人間同士で争っている暇はない。数多存在するヒトの種族を超えて一致団結し、みなを失望させない為にも、私は百人斬りのエルザとしてみなの前に立たねばならぬのだ。
そんな私にも唯一の理解者がいた。戦禍からの凱旋を機に配属され、その頃から行動を共にするメイドだ。
こいつは私の専属としてよく働き、弱音を吐いてしまった時などには慰めてくれるよき友でもあった。いつも無表情で感情に乏しい面はあるが歳も近く、今では唯一無二の相棒となっている。
時には私の尻拭いをして代わりに責任を取ってくれた事もある。それもすべて、忌まわしき私の異名を護る為であった。同時にそれは王宮――ひいては私への揺るぎない忠誠心の表れでもあった。
普段は参謀であるこのメイドと共に二人で行動し、旅をする令嬢風の姿で一般民衆の中に溶け込み、分隊の者たちとは別行動を取っていた。
とはいえあの子もそろそろ年頃。実践研修として引き連れても良い頃合いかもしれない。逃亡犯を追跡し、かっさらったネコも所詮は半端者の泥棒。少ない危険で多くを得られるはずだ。
そう考え、魔法の才覚とそれを組み合わせた剣の実力を買われて、学院中退後、見習いから一気に分隊長へと任命され、赤焔の名を賜った弟子、その付き人であるメイド、そして少数のヒラからなる第四分隊と共に近頃は行動するようになっていた。やたらと弟子のメイドに睨まれている気もするが、まぁ気のせいだろう。うん。
弟子のメイドを除き新米の寄り集まりで構成された通称・若輩者集団――第四分隊の監督に就いたそんな折、市中を見回っていた際に私は刺されてしまった。メイド隊に発見されて王宮へと担ぎ込まれ、手当て療法という神秘の力で一命を取り留めたものの、失われた血液の量は思いのほか多かったらしく、未だ全快とは言える状態ではなかった。
非番だった事もあり責任は追及されなかったが、傷病からの回復祝いとして新たに与えられたものは、移動用のアシであった。それは、これに乗って追跡せよとの命を暗に示していた。
「これは?」
「アイベックスという生物です。類に漏れずあちらからの人々による呼称であり、もっとも近しい生物の名を当て嵌めているようです。走る速度は速く、足場の悪い岩場も易々と進みます」
薄茶色の体毛をしたその動物を眺めると、二本の角は丸く弧を描いて肩上まで伸びており、ほぼ等間隔に凹凸とした節があって、手綱としても握れそうな形状をしていた。人を乗せられるほどの大きな体躯をしていて、シカとヤギの混血が如き見た目をしている。瞳の色は黄色に緑という気味の悪い色をしていた。
「それは良いな。……目付きは、気持ち悪いなっ!」
「基本的には草食なのですが、どうやら肉も好むらしく。眼が前を向いているのが不気味さの要因かと。人は襲わないのでご安心を、好むのはウサギなどの小動物に限りますので」
「シカのようにも見えるのに肉も食うとは、あべこべな奴だな……」
正直気色悪いが、特に前歯が人間みたいで超キモイが、これも王宮からの賜り物。なので顔をしかめるわけにもいかず……。
では早速とコイツの背に跨って手綱を握り、付近を捜索している分隊と合流する為にも出立する事にした。慣れれば可愛いはずだ。まぁ慣れることが出来れば……。
「エルザ様。その様なお身体で鎧も着けずに」
「鎧は邪魔だ」
私はあくまでも私服派だった。鎧は動きの邪魔になるし、魔者は賤民らと同様相手を見て選ぶ。潜入捜査も不可だし、王宮の外くらいは特別扱いされずに、例えそれが仮の姿であろうとも、普通の一般人として街を見て回りたかった。人々の目から逃げているだけなのかもしれない。
久方振りに身の上話しを語ったからか、今朝から色々と思い出してしまっていた。そういえば名前はたしか……シコティッシュ・フィールドと言ったか。神霊の末裔が暮らすニフォンから来たみたいだし、まぁ偽名だろう。――っていかんいかん、職務中に私事などに耽っている場合ではないな。
檻を積んだ荷馬車と螺旋角の馬に跨った弟子、歩むメイド二人とヒラの兵士数人を後ろに引き連れて、王都への抜け道である太古の河川跡を慎重に進んでいた。先頭を切る者としてキリリと背筋を伸ばし、目の前に佇む現実へと目線を上げたとき、それは起こった。
突如として爆発音が鳴り響き、それと共に瞬間的な熱風が追い風となって髪を煽ったのだ。鼓膜が揺れる程の爆音は腹の奥にまで響き渡り、襲い掛かってきた疼きに耐えながら急ぎ後方へ振り返ると、
「今のはなんだッ!」
そこには視界を覆うほどの白煙が辺り一面に立ち籠めており、時すでに遅しであった。
轟きに驚いた荷引き馬の咆哮に片耳を塞ぎながら部下たちに叫び掛けるが、白煙の中から聞こえて来たのはカチカチとぶつかり合う微かな金属音と蝶番が軋む音、そして、
「申し訳ありませんけどやっぱすんませぇーんっ!」
そんな男の声であった。
「逃がすかッ! 追えぇッ!」
「第四分隊の誇りにかけてッ!」
「捕まえろぉッ!」
「行きなさい、メイド」
「では行ってまいります」
呆気に取られている間にもヒラ達の怒声、弟子とそのメイドの会話が聞こえ、
「待て……! 私からも話しを付けてや……る……」
放った私の声は一息遅れてしまっていた。現実へと意識を戻したばかりの隙を付くかのように煙幕爆弾を投じられ、傷の痛みと馬の咆哮も相まって即座に状況が把握できず、呆気に取られてしまった。物陰に潜んで私の顔付きが緩んでいるのを確認し、機を狙われたのかもしれない。完全にやられてしまった。
「行っちゃいましたね」
風に流され始めた煙幕の中から隣に訪れて馬から降りた弟子に、私は顔向けが出来なかった。
アイベックスの背から降り立って煙にむせながら檻を確認してみると、地面に落ちていた錠前の鍵穴には二本の針金が差し込まれており、泥棒を侮っていた我らの失態に他ならなかった。言葉通り、煙に巻かれて逃げられてしまった。
「厄介な男を入れたものですね」
「いや、これでいい。素直に言うことを聞く者では進歩はなされない。難しい相手であるほど得るものは多い。アレを懐柔できれば今後も容易くなるだろう。試金石なのだ。苦労はするさ」
手にした錠前を眺めながら、背後に佇んでいたメイドに苦渋の言葉を返す。新人のヒラ達が追い掛けてくれてはいるが、鎧は足を重くし、音も出る。あまり期待は出来ないだろう。
「砕けなければ良いですが」
「王宮がな……」
連れ去った上で強制など人道に反する。こればかりはどうにか説得して避けなければならない。上も下も、そして前まで見なければならないとは、百人斬りのエルザという者は苦労するな。――にしても。
「どう報告すれば良いのだ……」
二十七才・エルザ。つらいよぉ~……っ!
「わたしがヘマしました。そうしましょう」
「いや、明らかに私の監督責任であって……」
煙に染みる目を袖で擦っていると、真顔でそんな事を言ってのけるルゥナ。もうムリ、泣きそ……。
「この檻の錠前を掛けたのはわたし。もっと頑丈で堅牢な物を付けるべきでした。お姉さまは悪くありません」
「しかし……」
ヒック……と上ってきたえずきを堪えて項垂れていた、次の瞬間、
「いぃんですぅっ……!」
「んぶっ……!?」
強引にキスされ、続く言葉を遮られていた。
「いぃ? わかりましたね?」
「お、おう……」
「ではそういうコトでっ♡」
こいつは、有無を言わさず従わせる気だ。表面上は年相応の無邪気な顔に見えるが、その奥にはイビツなものを感じ始めていた。末恐ろしい弟子を持ってしまったかもしれない。あれもこれもと後悔は絶たなかった。




