081
「泥棒の通行証ってないの? 異星人の通行証は……」
「そんなの、ナイねっ!」
「デスヨネー……」
国境を貫く主要街道へと向かった三人の背中を見送り、真夜中に出入国するなど不自然にも程があるが、まぁ医者と聖職者なら大丈夫だと信じて一時的に別行動になると、なるべく背の高い雑草が生い茂っている箇所を探し、ミアと一緒に草間の影に隠れながら慎重に移動していた。腰を屈ませたまま歩くのって腰にキますね。
「待ってて、ボクが偵察してくる」
宗教都市の外に一歩出ればつまり全てが中央国の領地であり、王の下に位置する大公の国――それ即ち公的には同盟国と言うだけあって、国境は簡単な身分証だけで比較的自由に出入りが可能らしい。だというのに皆が寝静まった深夜に、しかも辺境のこの場所でここまでの厳重な監視がなされているという事は、もしかすると、いやもしかしなくとも両国間で協力し合って、男の捕縛に乗り出ているのかもしれない。
「この辺はやっぱダメだね、そこら中にうようよ居る」
ミアの言葉に従ってその場にしゃがみ込み、しばらく身を隠していると、隣に戻ってきたその声色はいつもの楽観的なものではなく、やや余裕を欠いた険しいものであった。「ボク一人なら強行突破しちゃうけど……」続けて呟いたその言葉が意味するものは、たとえ影のように人目を掻い潜るすばしっこい泥棒猫であったとしても、誰にも見付からずにすり抜けて行く事は難しい事を示唆していた。すぐに戻って来たあたり、状況は芳しくないのだろう。それで更にお荷物を連れて行くのだから厄介。他人事のように言っているが、他人事ではないのがまたなんとも。
「何処かに穴があるはず。それを探そうっ」
隠れる場所の少ない草原の中、暗闇に紛れながら警備網の縁を肌感覚で探りつつ、必ず手薄な箇所があると信じて松明の灯火を順々に見て回っていると、おそらくは地元民や旅商人などが利用しているらしき一本の小道が行く手を拒んでおり、先へと進む為には横断する必要性に突き当たってしまった。靴底から伝わった感触を受けて咄嗟に立ち止まり、身じろぎを止める。
「これダメよね? トラップに引っ掛かるとこだったわ……」
その道が石畳であればなんの問題も無かったが、靴底の感触からして道の地面は乾いた砂らしく、足跡が残ってしまうのではと考えたら、たった一本の狭い道を渡るだけでも躊躇してしまった。
「ここも必ず確認するはず。行くべき方角とは逆の方向に向かって足跡を残そう。ボクが先に行くから、ボクが歩いたようにして」
ミアもそれに気付いたのか、同じようにピタリと立ち止まって地面の状態を靴底で確認すると、それだけ伝えて草むらから身を乗り出し、我々の進行方向を察せられないように敢えて進んでいる方向とは別方面へと足跡を残し、道を渡るミア。大小二人の靴跡でこの辺りに潜伏している事は遅かれ早かれバレてしまうかもしれないが、確かに敵を惑わせる事は出来る。
「ずる賢いというか、なんというか」
「ズルじゃないもん、賢いだよっ」
手元に明かりは無いし今の状況で灯すことも不可能だが、きっと松明の灯りで今渡った道を照らせば、変な方角に向かって道を横断する二人分の靴跡が確認出来ることだろう。小賢しいとも言える頭脳に感心していると「逃げる時は敵の目線に立って行動するのが得策っ!」と、誇らしげに小さな胸を張るのだから困ったものである。
そんな事ひとりでは思い付かなかっただろうし、助けられているのもまた事実だけどさ。――と内心で呟きながら乾いた小川に降りて、そこに架かる低い陸橋の下をくぐり抜けようとしていたところ、
「伏せてっ……!」
背を屈ませている状態で頭を鷲掴みにされて、まるでボールが如く脇の下に頭を抱え込まれてしまった。その状態でしゃがみ込み、ハリのある太ももに顔面を押し付けて口元を塞ぐのだから苦しいやらなんやら。しかしもがもがと藻掻くことも叶わず、今はなにも言わずに絶対領域の素肌を唇で感じているほか無かった。それはなぜか、
「潜伏しているかもしれない。明かりは灯すな」
「男は国境を越えるはず。見付け次第、後方からも挟み撃ちにするぞ」
ミアにされるがまま身動きを止めていると、陸橋の上、板材一枚隔てた頭上から立ち話が聞こえて来たのだ。おそらくミアはいち早く警備隊の足音を察知し、この状態に至るのだろう。松明に気を取られていて、明かりを灯していない奴らがうろついている可能性をすっかり忘れてしまっていた。こんなにも近くに居るとは思ってもみなかった。まだこちらの存在には気付いていない様子だが、このままでは時間の問題だ。
「捜索を続けろ」
板材を踏み歩く足音、そして遠ざかる声。それは、敵の手中に踏み込んでしまっている事を意味していた。ひとまず今は身を隠せてはいるが、音で位置を判断するしかない。ここは危険だ、気配が消えたらすぐに移動しなければ。
頭上から人の気配が消えると抱えていたこちらの頭を解放し、ハンドジェスチャーで行こうと伝えてきたミアに頷くと、身を隠しつつこの場から離れる事にした。目と鼻の先に敵が居ると思ったら全身に緊張が走り、ただ足を進めるだけでも気を使ってしまう。
いったい、いつ足取りを掴んだというんだ。まさか、あの女神官がチクったのか? ふざけた真似しやがって……。
どちらにせよ、聞き込みや噂を元にして足取りを予測し、警備を敷いているのは薄々察せられた。草むらの先からも微かに声が聞こえており、念の為に回り道をして国境線にあると信じたい人的ミスを探しにかかる。だが、もはや今の我々は攻防の攻めではなく、相手の存在そのものに追い詰められていた。乾いた小川から上がって草陰から草陰へと慎重に移動していると、
「チッ……イヌを放ったか。でもそれなら対処もできる」
ふと舌を弾いて見詰めた先、国境線との間およそ数十メートル先に、ケモノの耳を頭に生やしたいくつかのシルエットが確認出来たのだった。松明の灯りに照らされたその娘たちは革製の簡易的な防具を身に着けており、あの時目にしたものと同じふわふわの尻尾をお尻に称えていた。イヌ耳族の方々をこんな所で見掛けたくはなかった。
「眠いよぉ~、ダルいよぉ~……。きっと寝てるんじゃないかなぁ~」
「王宮に忠誠を誓うことは、大公国への忠義に繋がる。お前は大公女殿下の前で同じことが言えるのか?」
「いぇませんっ!」
「なら耳を研ぎ澄まし、微かな匂いも嗅ぎ逃すな」
「ふぁ~ぃっ……」
「あくびしながら応えるなッ!」
「ひゃいッ!」
聞こえてきた会話から推察するに、どうやら大公国の猟犬も追っ手に加わっているらしい。中央国の領地に放たれているあたり、例の犬っ子と同じように傭兵として貸し出されているのだろうか。
匂いを嗅ぎ回っている番犬からも身を隠して手薄な箇所を探すなど、普通の人間からすればあまりにも不利で到底不可能にも思えたが、先輩と後輩らしき二人が呑気に喋っている間を突いてその場から離れると、
「ボクと同じように歩いて」
あえて雑草を踏み倒して匂いを残していったかと思えば、後ろ足で引き戻ってまた別の方向へと進むミア。それを何度か繰り返してみせるのだった。
「これぞ小枝作戦っ! いくつも別れ道を作って、正解は一つだけ。足止めはできる」
さすが同じケモ耳族。どういう事をすれば相手が混乱するのかを身を以って心得ているらしい。周りを包囲されている緊迫した状況であろうとも、ミアはひたすらに冷静であった。しかし、この世は無情。情けはもちろん、容赦などどこにも無かった。




