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066 第二十四話 BLS

 宗教都市・二日目。


 本日も晴天。城壁に囲まれているだけあって微風すらも吹いていないが、流れる雲や住宅の影は涼しげで心地良かった。


 宿泊所で簡単な朝食を済ませてロシューに荷物番を任せると、好きに使える金がやっと手に入ったので、似たような衣類を一式頼むために早速仕立て屋へと向かっていた。


 今の状態では洗濯もままならないし、衣食住の衣食だけでも安心感が欲しかった。自分の鞄は無いがソフィアの荷物と一緒に入れてもらえば良いだろう。火薬や薬品の匂いが付きそうだけど。


「あー、どこだっけ。たしかこの辺りにあった気が……」


「昨日通ったのはあの道じゃない?」


「私もそう思う、ここは通ってない」


 前言撤回、昨日見掛けた気がする、大通りから外れた安そうな仕立て屋を”探して”いた。金を得た後ならば記憶に留めようと意識するけども、得る前に見掛けたので記憶はかなり曖昧だった。冗談抜きでホットドッグの事しか覚えてない。


 街の入口から神殿に至るまで幅の広い大通りが真っ直ぐに伸びているものの、一歩奥に踏み込むと複雑に道が入り組んでいて迷ってしまう。表の参道からは巨大な神殿の姿が望めるにしても、住宅地に入ると周囲に立ち並ぶ数階建ての住居が視界を遮って、唯一の目印すらも見えなくなっていた。


 ぐるりと城壁に囲まれているので山なども見えず、地面の高低差も乏しくてどこまでもが平坦。流石に方向感覚が狂ってしまった。


 敵軍が攻め入った場合は有利に働くのだろうけども、周りには似たような街並みが広がっていて、中央に走る大通り――参道を挟んで右の町か左の町か、俺にはもうそれしか分からない。


 昨晩も三人で軽く迷子になり、結局通った道を辿って遠回りで宿へと帰っていた。いくら馴染みの店があるとしても、二人共この街の土地勘には疎いらしい。件の服屋は地元民向けのこじんまりとした店構えだった気がするし、場所を把握していないのも無理はない。


「黄色い服が飾ってあったお店でしょ?」


「なに言ってるの、白だった」


「えぇええっ! 頭大丈夫!?」


「そっちこそ記憶違いでは?」


「マネキンが窓際に置かれていたのは覚えてるわ。それでああ服屋なんだなって」


 俺をサンドイッチにして言い合うのだから堪らない。居心地の悪い具材の気持ちも少しは考えてほしいものだ。


 左右の鼓膜でそれぞれの声を聞きながら、朧気な記憶を頼りに右往左往して裏町を進み、やっとこさ辿り着いたかと思えば、飾られてあったのは水色の襟付きワンピースであった。それを着た木製のマネキンは昨日と同じ場所にあり、確かにこの店。


「現実改変が成されている。いえ……私が移動してしまったのかも。時の流れ自体が世界を渡ってるようなもの。そう解釈すれば記憶違いの謎も解けるし、不思議なものも当たり前になる。つまり私の記憶は間違ってはいない。この世界が変わったの。嗚呼おそろしい……」


 自分の記憶が間違っていたら周りの世界を疑いたくなる気持ちもまぁわかるけども、そんなこと言ってたらそれこそ魔術の世界に入り込んでしまいそうでこっちが恐ろしい。


 あれか、並行世界への移動か? パラレルシフトか? マンデラエフェクト? 時空のおっさん来る? 助けておっさんヘルプミーッ!


「そんなはずないよっ!」


 冗談なのか本気なのかが分からない顔で「金貨の数を数え直さないと……」などと呟いているソフィアを無視して小さな店に入ると、


「いらっしゃ……」

「ねぇそこの服! 昨日は黄色だったよね?」


 扉に備え付けられていたドアベルを鳴らすなり、店主の声を遮ってマネキンを指さしながら答え合わせを求めるミア。


 スッキリしない気持ちも分かるが、四十代中頃に見える店主らしき人はいかにもな顔で驚きを露わにしており、心の中ですんませんと謝るほか無かった。


「曜日によって変えてますから。昨日は白のブラウスに黄色のスカートでしたよ」


「ふたりとも正解だったね」


 見る箇所が異なるとそこしか頭に残らないのかもしれない。ミアはスカートに目が行って、ソフィアはブラウスを見ていたのだろう。「なんだ」と呟いたソフィアの顔からは表情が消え失せていて、非常につまらなそうにしていた。やっとこの世界にも慣れてきたのだから、改変された世界を期待しないでくれ。


 二人に呆れながら店内を見渡してみると、予想していた通りに女物の衣服しか飾られてはおらず、男の俺からすれば異空間とも言える女子ウケの良さそうな小洒落た雰囲気をしていた。


 かと言って古着屋を当たったところで、誰も買う者がいない男物の衣服など置かれているとも思えず。ここは奮発してイチから作ってもらうしか無い。


「それでお探しは?」


 彼女のですか? それとも愛人用? プークスクス。オススメはですねぇ♡ ――みたいに厭味ったらしく言ってくるような人じゃなくて本当に良かったです。


 無関心にも思える店員然とした真顔が喜ばしく、最も近い雰囲気で言うと、病院の受け付け。見る限り他に店員は居らずワンオペらしいので、きっとこの方が店主なのだろう。


「あぁえっと……」


 黒に近い茶髪をポニーテールの形に結っている店主さんにオーダーを伝えると、なんと先払いで半分近くも持っていかれてしまった。これでも安くしてもらえたらしい。


 金額を伝えられて流石に狼狽えてしまったが、奥に見えるミシンは足でペダルを押す古風なタイプであり、手間のかかる手作りの特注品ならばこんなものだろう。ミアがボロの靴下を大切にするのも頷ける。


「ではすべて脱いでください」


「いやでも、は……?」


「脱がないと測れないでしょ? これでも巻いてください」


「あはい」


 バスタオルを受け取って首に掛け、素肌の上にそのまま羽織っている上着のボタンを外して脱いだそれを店主に手渡し、ベルトを外しながら横を見ると――二人とも目を煌めかせてこちらの姿を見詰めていた。


 珍しい男子のカラダを拝められるという事でキラキラしているのだろうが、見世物ではないし恥ずかしいからやめてほしい。イノキ掛けしたバスタオルのおかげで乳首を隠せてはいるけども!


「すぐ終わるから外で待っててよ。てか出てけ痴女か!」


「ちぇー」


「私のことは気にしなくてもいいのに」


 本当に渋々と言った調子でミアは唇を尖らせて不貞腐れながら、ソフィアは多分五ミリくらい肩を落として店から出ていくと、流石はプロ、こちらに気を利かせてさも自然な様子で半袖シャツを畳んでいる背中に感謝しながら、素早く全裸になって素早くタオルを腰に巻く。


「あの、それじゃお願いします」


「あぁはいはい」


 それからは身体のサイズを測ってもらったり衣服の型を取ってもらっている間にも、窓の外には二つの頭が並んでいて……徐々に上がって来たかと思えば、ふと覗きネコと目が合ってしまった。


 眉をしかめてみせると咄嗟にしゃがみ込んで隠れたミアであったが、人家を覗き込む近所の子供かよと。


 このとき初めて、言葉無く他人と意思疎通する経験をした。以心伝心のアイコンタクトで言いたいことが伝わるだなんて、人間ってすごいっすね。


 まったく……。


「あのすんません、それなんすか?」


「それって、どれかな?」


「そのリボンみたいな」


 作業台の上にズボンを広げて型を取っている店主に声を掛け、棚の中でハンカチなどと並び丁寧に折り畳まれている黒いリボンらしきものを指差す。それは他と比べて半光沢に輝きを放っており、見るからに肌触りの良さそうな風合いだった。


「あぁこれね。これは絹蜘蛛の糸で織られた最上級品。昔、貴族用に作ってみたんだけど誰も買ってくれなくてね。私は帝国出身だからここに来た時はなにも知らなくてさ。不人気とは言わないけど、ここらの人たちは明るい色が好きみたいで」


「ならそれもください」


 おそらくは俺のせいでミアの脚には包帯が巻かれている。確かにスケベなヤツだが、それとこれとはまた別であり、未だにその脚を見る度に心のどこかで罪悪感を抱いていた。もしも傷跡でも残ってしまったら責任を取らなくてはならないかもしれない。


 なによりも怪我人用の包帯では見るからに痛々しく、あれでも女の子なのだから少しでもお洒落なものをと考えたのだ。これは罪滅ぼしではないし、ただの自己満足ではあるけども、何気無く閃いたのだ。


「うーん、そうだね……。その見る目を買って金貨一枚でいいよ」


「ならそれで」


 その場の思い付きで更に散財してしまったが、次なにかしてもらった時の礼として渡せば良いだろう。


 それ以降は窓の外で律儀にも後頭部を見せていたものの、ふと素早く移動してどこかへと消えていく二つの頭。ハテナと思い外の通りを眺めていると、例の二人――近衛兵の褐色姉さんと黒髪女子が窓枠の外から姿を表し、二人が姿を消した方向へと向かって歩いて行くのだった。


 あれって……やべぇどうしよ……。


 普通に歩きながら過ぎ去って行ったので、こちらも外の二人も見付かってしまった訳ではない、と思いたい。まさかこんな近くにまで追っ手が迫っていたとは。嫌な予感が当たってしまった。


「きみ……」


 これからどうするか。あの様子だと、少なくともこちらの存在にはまだ気付いてはいない。しかしミアの耳を見て勘ぐる可能性も……。


「君、寸法は測れたからもういいよ」


「あ、ああ……」


 外套は一応あるけど、顔を隠したところですぐにバレるだろうし……。


 どうしたらいいのかと困惑しながら衣類に腕を通して、「明後日までには」と告げる店主に頷くと、ドアベルが鳴らないように気を付けながら慎重に扉を開け、恐る恐る顔を出して外の通りを眺めてみる。


 するとやはり誰の姿もそこには無く、静かな日常空間がただそこに佇んでいるのみ。どうやら追っ手から姿を隠すために逃げているらしい。


 はぐれてしまった。完全に置き去りだ。このまま仕立て屋で待っていた方が良いのかもしれないが、いつまで経っても二人が戻って来る気配は無く、壁際に置かれている振り子時計の針が緩やかに進んでいくのみだった。


 暖簾の先にある奥の部屋へと入って行ってカタカタと足踏みミシンを動かし始めた音を聞きながら悩みに悩み、


 見に行ってみるか……。


 少々無謀かもしれないが、意を決して外に出る事にした。


 ここまで自分が他人を心配するとは思ってもみなかった。脳裏には縄に縛られて鞭打たれ、俺の居場所を尋問されている二人の姿が浮かんでいた。


 どちらにせよ聞き込みでもされたら一発で場所が割れてしまう。今は一刻も早くこの場から離れるのが懸命だと判断したのだ。宿にはもう戻れないかもしれない。

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