064
外に出ると夜の帳が下りて薄暗くなっていた。街中とはいえ、いや街中故にリスキーに感じられたので、軽く迷ってしまったが寄り道などせずに宿泊所へと戻り、帰宅を告げる為に奥のキッチンへと向かう。
すると、女将が煙草を吹かしていた机には四人前の食事が既に用意されており、ロシューの分まで食えると思うと歓喜してしまった。
天井付近には薄っすらと煙が漂っているので、食事の用意だけして女将は自室にでも戻ったのだろう。そんなことよりも肉が食いたい。この身体がやたらと肉を欲している。そんな気がする。単純に食べてぇ!
「はぁ……なんかボク疲れたっ」
「私もヘトヘト。座って頂きましょっ?」
「だね」
まぁミアは既に座ってるけど。椅子の背もたれに片腕を掛けて脚を組み、だるだるぐにゃりと溶けている。まるで昼間の女将みたいだ。ミアも年取りゃああなるのだろうか?
「うがぁー、じゅがれだぁ~……」
天井を見上げて漂ってる煙に「ふっ!」と息を吹き掛けてみせたミアを横目に、手提げ鞄を床に置いたソフィアと共に座り、どれどれとメニューを確認してみると、本日の晩飯は人数分のカットステーキ、中央に置かれたサラダの盛り合わせ、そしてスティックパイ――とでも言えば良いのだろうか、スティックパンのような形と大きさをした、サックリと焼かれた素のパイであった。もしかしたら角棒状のクロワッサンと言った方が近いかもしれない。そんな品々と共に読めない文字で書かれた置き手紙が置かれていて、それをソフィアは手に取ると、
「スープは鍋にある。だって」
そう読み上げてくれたのだった。三人とも既に腰を下ろしており、それぞれの姿を無言でにらみ合う。立ち上がって二歩の距離に鍋が置かれてあるが、座ったままでは流石に難しい。誰が行くか、お前が行け、いやお前だ――真冬の灯油入れかよ!
「ロシュー! 来なさい!」
このままでは埒が明かないと察したのか、天井に向かって声を響かせるソフィア。それは今までに聞いた中で一番の叫びであった。正直ビビったし隣も目を丸くして固まっているが、まぁ面倒臭いのはみな同じということだ。
その声を皮切りに天井からはバタバタとした忙しない足音が聞こえてきて、カンカンカンと螺旋階段を下ってきたかと思えば、廊下でなにかを倒して落とすのもいとわずにやって来て、
「なに持って来てるのあなた」
「?」
卓上の様子からして今晩は貸し切りだろうに、律儀にも大荷物を背負って姿を表すのだから飽きれてしまう。まるで人間の言葉に首を傾げる飼い犬が如く、はてな? とロシューが小首を傾げると、
「まぁいぃわ。それ置いてスープ持ってきて」
「イェス、マスター」
卓上に手を伸ばして水差しを持ち上げ、それぞれのコップに水を注いでくれたのだった。隣を見ると早くもパンにかじりついており、思いのほかサクサクしているのか、飛び散るようにパン屑がこぼれていて、太ももの上やおへその辺りにまで散らかっている。土足文化ならではの豪快な食いっぷりであった。
「糧となりし動植物の御霊、下処理をした職人、そして料理人に幸あれ」
祈りも適当にお上品な所作で食事を始めたソフィアに続き、一口サイズにカットされた肉へと無造作にフォークを突き立て、一度に三切れも持ち上がってしまったが、気にせず口の中へと押し込んで頬張る。
ニンニクとスパイスの香りが立ち昇るそれをモキュモキュと噛みしめると、咀嚼するのに合わせて肉汁が染み出し、ジワリ……とした快感が頬へと広がっていった。一口で食べるには多かったが構わず喉を動かして無理やり飲み込むと、肉にありつけた幸福に身も心も満たされていくのが自分でも感じ取れた。
飯テロ警察が来そうなのでこのへんでやめときます。これ以上、敵は増やしたくない。あ、因みにスープはゴロゴロと豆が入ったポテトポタージュでした。それにパイみたいなスティックパンを浸して食べたら、これがうめぇのなんの。
薄い生地を何度も折り曲げてサックリと焼かれた断面は多層構造になっていて、そこにアツアツで濃厚なポタージュが染み込みサクっ、ジュワァ~っと……。この感激を伝えたいッ! ――そろそろ対飯テロ部隊に突撃されそうなのでやめときます。
ともかく、宿屋の一階にある狭いキッチンに寄り集まり、閑散とした物静かな空間で言葉も無く食事を取るのは心地良く、コップを置く音やスープ皿にスプーンが触れる微かな音などを聞いていると、心のざわめきが次第に鎮まっていくような気がした。不慣れだけど心落ち着く親戚の家、そんな感覚を覚えた。
一通り食事を終えると、そのままキッチンで寛ぎながらロシューが淹れてくれたお茶をみなで嗜んでいた。
ソフィアによると、しばらくここに滞在して鍛冶屋の仕事が終わるのを待つらしい。ヤバイ橋しか渡ってない気がするので、少しでも休めるのならば精神的にも助かる。
「この街はいいね。雰囲気が明るくて人も優しいし」
社交辞令だけど、鍛冶屋の孫娘と質屋の店主は気に入った。視線は痛いが引き籠もっていればなんの問題もないだろう。あでも、明日は仕立て屋に行かないとか。せっかく自分のお金を手に入れたんだから、人目を気にせず買い物とかも楽しみたい。
「私も久し振りに来たけど、落ち着いたらここに腰を据えたいかも」
「それもいいかもね。……そこら中に裸男子の彫像があるのはちょっとアレだけど」
「なに勝手に話を進めてるのさ!」
「もしもの話しだよ。――多分だけど」
「不要なものは手に入らない。どうしても必要なものは自ずと手に入り、はじめは不要であるとしてもいずれ必要となる。私はこの初歩的な魔術の法則に乗って貴方との出逢いを結んだ。貴方はいずれ、私を抱くことになる。それまでに仲良くなりましょ?」
「え、あ、えーっと……?」
やべぇよマジでこの人なんなの……。
「でも、それって他人に言っちゃったらダメなんじゃないの? 願い事は秘密にするから達成できるんだよ?」
すかさず会話に入り込んで護ってくれるミア。非常に助かりました。ゆんゆんすぎゆん。
「ハッ……夢想のバッドエンド……。忘れていた、熱烈な想像も期待もしてはならないというのに、終わってしまったかもしれない。どうしよう……」
ひとり呟いてガックリと肩を落とすソフィアであったが、そんなに影響が及ぶものなのだろうか? 別に落ち込まなくても良いような気も。いや、この感情ももしかしたら魔術によるものなのかもしれないのか……。こわすぎんよ。
「ま、ボクは神様からも奪う盗っ人だから言いたい放題だけどね! キミが欲しい! キミを奪う! あーぁっ、欲望も曝け出せないなんてかわいそ~」
欲望丸出しで抱き着いてくるのも良くないが、これでは鬱陶しくてお茶も飲めない。ここまで距離感が近いと、やや歳の離れた妹って感じがするんだが。恥じらいもなく無防備にすぎる。もう逆になんとも思わなくなってきました。慣れってすげー。
「必要なものは神がくれる。無理に奪い取ったとしても、不必要なものはいずれ手から離れる運命。最後まで共にあった者がまことに相応しい」
「宿命は背負うものだけど、でも運命は変えられる。小川に石を投げ入れ続ければ水が溜まるように、運行する流れを変えればいぃだけにゃ」
「お魚採る時にそうするのは分かったから離れてくれませんか、すみませんねお茶がこぼれて熱くてですね」
「その言葉遣いなんかヤだよっ……! ふんっ」
口では色々と強気な事を言ってるし、実際に身体も寄せては来るものの、どれも戯れのお遊びにしか思えず、決定的な一手を決して打たないあたりに二人の処女性が垣間見れる気がした。
歳上男子をからかってニヤつく意地悪な女学生と、歳下男子をもてあそんでその気にさせるが、本人は半ば諦めている先輩。まさにそんな感じ。案外居心地は悪くなかった。もしも貞操観念が欠如した魔性の女が隣に居たならば、もうとっくに崖から落ちてたと思う。
にしても二人共機嫌が治ったみたいで良かった。やはり食事は正義。未だに言い合っている気がするけども、だからといってバチバチに睨み合っているわけでもなく、張り詰めていた空気が緩んでいるのを肌で感じられた。




