006
俺は今、女の子しか居ない星で途方に暮れていた。
ある日突然、異星人に拐われて、何万光年も離れた地球そっくりな惑星に……居るんだと思う。空に三つの衛星が浮かんでいるので此処が別の星だという事は分かるけども、拐われた際の記憶は無いし、地球からどれほど離れているのかも想像が付かないので、もしかしたら案外近所だったりするのかもしれない。
此処がどこなのかを考えても答えは出なさそうなので一旦置いといて、王国に連れ去られた挙げ句、泥棒猫にまで拐われて廃屋へと逃げ込み、そこから脱出したまでは良かった。
えぇ、ひとまず身の危険を回避できて安堵しましたよ。なにせ刃物を振り回されていましたからね。そりゃもう、外に出たときは安心しました。
しかしそう思ったのも束の間、鬱蒼とした森を前にしてたじろぎ、緑の中へと逃げ込まなかったのが災いとなってしまったのだろう。街中で多分女子に捕らわれてしまい……。後ろ手に手縄を掛けられて、その子に舌舐めずりされていた。
「まずはどうしますか、ね」
ヒッ……。
雨戸まで締め切られている薄暗い部屋の中には羽根ペンやインク壺、木炭の類いが散乱しており、壁際にはロール紙の山が置かれていた。外で見張りをしている量産型の売り子が手にしていた事からも、どうやら漫画に似た感じの本を制作しているらしい。
そんな事はともかく、歯に付くようなねちっこい声に鼓膜が震え上がり、あぐらの形で床に座らされている身体には意図せず緊張が走る。精気を吸い取られた後のように丸く項垂れていた背筋は一瞬にしてピンっと伸ばされ、怖ず怖ずと目線を上げてしまっていた。
「うっひひ……♡」
下着姿でニヤついている目の前のその子が、泥棒猫やおかっぱ女子のように可愛かったり、他の種族の方々みたいに可愛かったり、あるいは褐色姉さんのようにボンでキュッでボンなグラマラスさんだったならば、最悪身を委ねられたかもしれない。
が、こちらを見下ろしてほくそ笑む女子をムリヤリ褒めるとすれば、地味で目立たないモブだった。ギャルゲーのモブを攻略したいとは常々思ってはいたが、そういうクラスメイト的な可愛さすらも、目の前の存在は持ち合わせてはいない。
ソイツは本当にヒューマン族なのかと疑うほど、その顔はまるで卵のような楕円形をしており、ハンプティ・ダンプティな頭にベリーショートの黒髪が乗っかっている感じだった。
「抵抗しても無駄ですからねぇ?」
糸のように細まり、弓なりに歪んでいるその眼を見ていると、意識が遠のくような虚脱感に襲われてしまい、藻掻く力すらをも全身から抜けてしまった。おそらく邪眼の類いなのだろう。そう、ヨコシマなマナコで邪眼だ。
視られているだけでゾクゾクと身体の芯が震え、空虚な脱力感に襲われて、またしても気を失ってしまいそうになる。それは眠りに落ちる瞬間の抗いがたい感覚に似ていた。或いは数日間断食をした感じだろうか。とにかく、全身の筋肉に力が入らない。
あまり見ているとまた失神してしまうかもしれないし、なによりも相手を刺激してしまうかもしれない。その顔から目を背けて視線を下に落とすと、身体の方はちゃんと女子をしていた。
いや殆ど凹凸が無くて全体的にシルエットが真っ直ぐではあったが、言い換えれば華奢で――そう、どこか儚げで、不覚にもそそられてしまった。身に着けている上下の下着も暖かみのある色合いの白で、非常に簡素なデザインをしている。一般の人間が見れば残念な身体付きではある。あるが、侘び寂び的な美しさがそこにはあった。
もう顔から下だけを見てようかな……。
「取り敢えず、ブツを拝見させてもらいましょうかねぇ」
片方ずつ足を上げて靴下を脱ぎ捨てると、獲物を見定めて足を忍ばせる獰猛なヒョウの如く、一歩、また一歩と、黒いインク跡が浮かぶ床の上にソロリソロリと足を置き、物音を立てずにこちらへと歩み寄ってくる二本の脚。
交互に着地して近寄ってくる色白のソレのみが視界に映り、爪が長く伸びているその足しか見ることが叶わなかった。目線は動かず、女の子らしい下半身から目を逸らす事が出来ない。そう、純血を奪われる恐怖によって。――いや、本当にこれは恐怖なのだろうか。しかし色々と震えてしまっているのは確かだ。そう、イロイロと。
眼前に訪れた太ももは、ふくらはぎの部分と比べてやけに太く、魅惑的なまでに肉感を主張していた。「はぁ……ふぅ……」という息遣いまで頭上から聞こえてきて、心臓の鼓動は冷や汗を伴い加速していく。
しかし手縄に掛けられ背後も壁。衝動的な逃走本能に突き動かされたところで、たじろぐ事すらも不可。まさに、されるがままの状態にあった。
故に今は頬の内側を強く噛んで、反応し始めた単純な身体を理性で抑え込む。反応などしてしまったとしたら、なんだか敗北してしまうような気がした。呼吸はいつの間にか乱れてしまっていた。終始座っているだけだというのに。
「あなたももう釘付けですねぇ。ホォら、欲しいですかぁ?」
全く欲しくない。と言いたいところだったが、口は一向に動かず、ただただ目の前に突き出された白い逆三角形を見詰めるのみ。こんなにも至近距離で女の子のパンツを目にしたのは初めてかもしれない。どうやらチー牛女子は自分の身体に欲情しているのだと勘違いしているらしく、性悪な性格を思わせる粘っこい声で、
「後ろも見たいですかぁ? 見たいですよねぇ? オネダリしたら見れるかもですよぉ?」
などとノリノリな調子で煽り立て、嬉しそうなご様子。つい心の中で(みたい……)と呟いてしまった自分が憎い。非常に憎い。
単細胞生物である自らの脳に現実を突き付けて冷静さを保つ為に、硬直していた眼球を恐る恐る上へと持ち上げてみると、そこにあったのは相も変わらぬえっぐ。
舌舐めずりをしていたからか、小振りなおちょこ口――控えめな大きさをした唇は艷やかに濡れていて、上品と言えば上品な形をしていた。鼻も小さくて低いが、大きいよりかは可愛らしいと言える。朱に染まった頬はまるっとしていて肌艶が良く、触れなくてもつるんっとしているのが分かるたまご肌。部分部分を切り取って観察してみれば悪くはないし、むしろ良いとさえ思ってしまうくらいだが、
「さては、ワタシに惚れましたねぇ? 初対面なのに発情しちゃうだなんて、これはお仕置きしないとですねぇ……♡」
あるかないかすらも危うい両の耳まで真っ赤に紅潮させている顔はやっぱりタマゴであり、細い目の中でこちらを見下ろしている瞳は一次元の点だった。
その瞳と目が合った瞬間に身体の力は猛烈な勢いで抜けていき、気付いた頃には上に眼を剥いてしまっていた。やはり気の所為ではなく、確実にコイツの眼は邪。まさに風船から気を抜く針だ。無言の本能が危険であると警告を発し、決して見てはならぬと言っている。
「あらら、ワタシの匂いに酔ってしまいましたかぁ。そういえば、沐浴もまだですからねぇ……」
確かに女の子らしい肌の匂いが感じられる気もするが、オマエの眼に力を吸われたんだよ……という心の声は相手に聞こえるわけもなく。嬉々とした口振りで口角を釣り上げ、並びの悪い歯を覗かせるその子。
「あぁ、声に酔ってしまったのですか、ね……?」
やっと察してくれたらしく、的外れな事を言ってその場にしゃがみ込むと、こちらの顔に顔面を近付け――その矢先、耳元に移動して、ペロッと耳を舐め上げてみせたのだった。
いや、耳まで舐められ「好きになってもいいんですよ……?」と囁き掛けられてさえもしまった仲なので、その子改め、タマチャンと呼称しよう。タマチャンは「ふっ……!」と耳元に息を吹き掛けてから口元を離し、邪悪な笑みを再び見せると、
「さて、お仕置きしましょうか、ね……。どれほど我慢できるでしょうかぁ?」
などと言って即座にこちらの口の中へと三本の指を突っ込み、鼻を摘んできたのだった。
目に映るのは軽く骨が浮かんでいるタマチャンの平らな胸元と、ニチャァ……っとほくそ笑む口元のみ。口の中に入れられた指にはペンダコらしき硬いものがデキており、そのしょっぱい指先が舌の奥を弄っている。深々と指を挿入されて喉奥にまで突っ込まれているわけなので、軽くえずいてしまった。
「ヒヒッ……。女の子の気持ち、分かりますよねぇ? もぉ~っと、わからせてあげますからねぇ」
自分の口内からぐちぐちとした水音が上がっているのを感じながら何度もえずき、必死で頭を左右に動かす。込み上げてくる嘔吐反応に耐えながら、近付いてきた限界を前にジタバタと藻掻いていたその時、
「マルティーナさまっ! お外が大変なことにっ!」
閉ざされている扉の先から売り子の萌え声――という名の作り声が聞こえてきて、タマチャン改めマルティーナの手は止まったのだった。
その声が無かったとしたら……まぁ胃の中は空っぽだから吐くことは無かっただろうが、それでも色々と堕ちてしまうところだった。危なかった……イロイロと。
「はぁ、困ったものですねぇ。あとでいぃ~っぱいッ、調教してあげますからね?」
仕方なさそうな様子ですくっと立ち上がると、口の中から抜き去った唾液塗れの指を「れぇええっろっ……、ぶちゅッ……」と舐めながら――否、深々としゃぶりながら呆気無くお尻を見せて、裸足のまま部屋から出て行くマルティーナ。
嗚呼、俺の間接キスが……返してくれ……。いや返さなくて良いけど。
そうしてマルティーナが姿を消すと部屋には静寂が訪れ、虐められていた喉の調子を整える為に咳払いをする自分の音がやけに大きく聞こえた。
口内にはマルティーナの指に付着していた汗の味が残っており、好きでもない他人の味に吐き気を催してしまった。かと言って他人の家の中でツバを吐き出すわけにもいかず……結局分泌されてきた新たな唾液で洗い流し、胃袋へと押し込んでしまう他なかった。
「う、あっ、気分ワル……」
そのしょっぱさが胃に落ちると、なんだかあの子の所有物となってしまったような気がした。きっと、いま飲み込んだマルティーナの汗は、いずれ肉体の一部となってしまう事だろう。あの子の身体から分泌された成分を取り込み、分子レベルで一体化してしまうのだ。そう、これは比喩だが、量子もつれ的な状態となった事を意味している。嗚呼、なんと気色の悪いコトだろうか……。
「気分悪いって、どうしたのさ? お酒でも飲まされたのかな?」
「口の中に指突っ込まれて、少々教育を施されていました……」
「あちゃちゃ、それは災難だったね。よしよーし」
隣にしゃがみ込んで膝を抱え、幼い頃に母親がしてくれていたように背中を擦ってくれるネイビーブルーな優猫。サラリとした髪の毛からは太陽の匂いがして、緊張に凝り固まっていた身体がふっと軽くなるのを感じた。
「って! いつからそこに居た」
「気分ワル、からだよ?」
「あーね。……て、またさらいに来たのかよ! てかてかよく無事だったね? 何故に此処が分かった? あと助けに来たなら頼むよコレ」
「てかてかてか、ボクは鼻が効くんだよっ。キミの匂いは覚えたからね。盗賊だから盗むのは当たり前だよ。あともう縄は切ったよ」
「あらほんと」
「ほら急ぐよっ、あの人も戻ってきちゃうっ!」
先に立ち上がって締め切られていた両開きの鎧戸を全開にすると、未だに脱力感が残っているこちらへと手を差し伸べてくれる泥棒猫。
その小柄な身体を見ると、太ももや脇腹には小さな切り傷が浮かんでおり、切り裂かれた箇所の布にはジワリと血が滲んでいた。あれだけひょいひょいと身を躱せていたので、回避する事だけに専念していたとすれば無傷で済んだはず。目を離した隙に姿を消してしまったこちらの事を追うために、少々無理をしてしまったのだろうか――。
「飛び降りるよっ、下は花壇だから安心してっ」
あくまでもおそらくではあるが、自分のせいで女の子の身体に傷が付く事態となってしまい、隣の泥棒猫と共に窓から飛び降りた俺の心は、僅かな罪悪感と後悔に締め付けられていた。
これは後から聞かされた話しだが、マルティーナを呼んだ声は泥棒猫の声真似だったらしい。確かに量産型の作り声だから真似しやすそうではある。
どうやらマルティーナは宮廷にも愛される半民半官な絵描きであり、この辺りでは有名なのだそうだ。通りを眺めていたのも王宮からの指令で、捕らえたことを上に報告する前に味見でもしようとしていたのかもしれない。
半民半官ならば充分にありえるし、捕らえた者は一晩だけ好きにしても良いというお達しまで下っている可能性がある。でなければ貴重な男を好き勝手するという、官職としての職を失いかねない暴挙には出ないはずだ。あの行動の裏には確固とした確信がなければ説明が付かない。王国に逆らって暴走したのならば、あんなにまどろっこしくて悠長なことなどしている暇も無いはず。
ともかく、王宮――いや、あの女王のやり口はこれで分かった。四肢の自由を奪い、否が応でも従わせるというのは、まさにマルティーナが行った所業そのものであり、その冷酷非道さを物語っていた。
薄らぼんやりとしていた王国への不信感は強まり、危機感を伴って”逃げなければならない”という逃走本能が刺激され、拒否するための手段として逃げることを決意すると同時に、泥棒猫は味方であると認識し始めていた。――いくら男を奪って逃げる為とはいえ、人を刺すのはどうかとも思うが。