058
まずは宿を借りねば。という事で、立派な造りをした専業の宿屋が林立する観光客向けのホテル街をスルーしてソフィアが案内してくれたのは、裏手通りにある、一見して集合住宅にも見えるカスタード色の建物であった。
それは賃貸のような縦に長い豆腐建築であり、家族経営で部屋を貸し出しているらしい。やはり民宿は安いのだろうか。
「ここ。埃っぽいけど食事は美味しい」
換気するように開け放たれていた玄関を跨いで薄暗い屋内へ入ると、そこにはカウンターすらも据え置かれてはおらず、収納棚や置き時計などの骨董品、古びた靴やカラの植木鉢等々、狭っ苦しくゴチャゴチャと私物が置かれていて、本当に普通の住宅といった趣だった。
そういった私物を蹴らないようにと気を付けながら、隅にホコリが積もる狭い廊下を慣れた様子で進んでいく背中に着いていくと、
「久し振り、失礼する」
「ああ、友達が多いね」
生活感漂う奥のキッチンで脚を組みながら手紙を読んでいたご婦人は、杖先で床をノックしたソフィアの声に視線を上げて、開口一番にそう口にするのだった。
「友……そうなるのかもしれない。寝床は空いてるかしら?」
「空いてるよ。好きに使っていきな」
挨拶代わりのそっけない言葉にしばし小首を傾げて呟き、食料品や料理道具などが無造作に置かれているキッチンへと向かって廊下から訊ねると、眺めていた手紙を畳んで椅子の背もたれに寄り掛かり、マッチを擦ってヨレヨレの紙巻きに火を灯す痩せたおばさん。
ため息を吐き出すようにして「ふぅー……。夕食はテキトーでいいね」と片腕を組みながら天井に煙を吐いたその人は、歳にしておよそ還暦を過ぎたあたりで、非常に気怠いアンニュイな雰囲気であった。
「ベッドはこっち、着いてきて」
飼い犬が飼い主に似るのと同じように、まるで家主の性格を表すかの如く雑多とした廊下で踵を返してコツコツと杖を突きながら案内してくれたのは、人ひとり分の幅しか設けられていない年季を感じさせる小洒落た螺旋階段であった。
建物内の最奥に佇んでいた金属製のそれは、鈍い銀色を通り越して殆どが黒く変色しており、とにかく明かりというものに乏しくて空気感そのものからして薄暗い。宿名を考えるとすれば、『永遠の曇り宿』。
螺旋階段ってことは、あんまり広くはなさそうだな。まぁ人目に付かないならいいや。野宿じゃなければ贅沢は言わない――なんて思ってましたが、実際は想像以上に簡素で、まさに巡礼宿といった趣きだった。
みなで縦に並びクルクルと階段を上って行くと、二階に着くやいなや複数の二段ベッドが目の前に並べられており、ここは巡礼客用の簡易宿泊施設であると容易く察しが付いた。こちらの他に宿泊客は居らず荷物も見当たらないので、今のところは貸し切りらしい。階段を上ってすぐの所にドアも無くベッドが林立しているのだから驚いてしまう。
どこからどこまでが部屋なのかすらもよく分からないが、取り敢えずとして一番奥の小さな窓際に置かれていた二段ベッドの下に腰掛け、くすんで光を失わせている床へ向かって小さくため息を吐き出す。
室内を土足で歩くのには抵抗があったが、もし靴を脱いでこの床を歩いたりなどしたら秒速で靴下が埃まみれとなるだろう。
「この子の事は好きにしていいよ」
「いや、男の姿を見せられた後に言われても困ります」
向かいのベッドに座ってこちらと向かい合い、傍らに荷物を置いている使い魔のお尻に目を遣りながらそんなコトを囁きかける主とはこれいかに。
「この子が見聞きした経験は私の潜在意識にフィードバックされる。いずれ閃きとなって表層に上ってくるから、私でなくともせめてこの子を」
「うん、まぁ考えとくよ……」
絶対脳裏にイケメンの顔がフラッシュバックして萎えるわ。
にしても、この街に俺が訪れると誰かが知っていて準備していたという事は、ソフィアも既に顔バレしている可能性がある。なによりも屋敷を離れて出歩いているのは不自然に思われ、勘繰られるかもしれない。人工精霊ならば姿を変えられるし、街を見て回る偵察員としてうってつけかも。
「ソレってどれだけ離れて行動出来るの?」
「大陸の隅から隅まで自立行動が行える。連絡手段は無いし、帰ってくるまで追加の命令は下せないけど」
なら戻ってくる前に部屋に突入される事もありえるのか……。
「ならさ、その子と視界共有って出来たり?」
「なにそれ?」
「あーっと、その子が見た光景がソフィアの目に映る的な」
「そういったものは不可。原理を説明し、て……いや、念話の要領でイメィジを送らせれば……。でもそもそもの話し、体脱して自身で見に行けば済む話し。その方が早いし、時間や空間の制約も受けない。その業を行う意味が分からない」
「体脱……?」
「体外離脱。幽体離脱や魂抜け、アストラル・トラベルとも云う。見に行かせるか自分で見に行くかすればいい。視界を共有して送られてくる光景に意識が向く時点で、体外離脱と同じく自身の身は危険に晒される。それならいっそ、見に行かせて報告させればいい。私はリスクを取らない。面白そうだからその発想は覚えておくけど」
確かに、ただでさえ脚が不自由なのに視界まで他所に向けていたら危険ではある。大好きな銃も咄嗟に撃てなくなるし、ミアにも危険が迫る恐れがある。先程もソフィアの銃が無かったら首元に前歯を突き立てられて動脈を噛み千切られていたかもしれない。
「そんなことよりさっ、こんなに狭いベッド。シない手は、ないよね?」
隣に座ったかと思えばベッドに上がってきて四つん這いになり、胸元を広げて見せてくるミア。小振りながらも柔らかそうなそこから即座に目を逸らし、口をつぐむ他なかった。しかしミアは執拗で……。
「ほらもっと見てぇ~?」
などと意地悪気にニヤつきながら顔を覗き込んできたかと思えば、ミアの身動きに合わせてベッドがギシッ……とわずかに沈み込み、直接触れてもいないのに肉体を有する女子としての重さやその実体感に心拍数が上がってしまった。
この色情魔め。狭いという事はそれだけ密着する事になって……とか思ってしまったから人のことは言えないけどもって違う違う! 二段ベッドなんだからお一人様用なんだよなぁ!
「てかさ!」
両手を広げて抱き着こうとしてきたミアを躱すようにベッドから立ち上がり、窓の縁に腰を預けてこの悶々とした流れを変えさせてもらう。このままでは全員発情期だ。
「そのなんていうかソイツさ、強くイメージできるものなら変幻自在ってことならさ、俺の姿にもなれるってこと?」
「不可能ではない。ないけど、実在する人物の姿にするのはよろしくない」
「なぜ? いやほらさ、ドッペルゲンガーみたいに街を歩かせたらオトリに使えるかなって」
「話し聞いてる? あなたの見た目にしたら自ずと中身も似てしまう。かなり気持ち悪いことになるし、制御も難しくなる」
「でもやった事は無いんでしょ? 実験だよ実験」
きっと師匠に言い聞かされた話しを鵜呑みにして律儀に守っているだけだろう。使えそうなものは積極的に使っていきたい。
「……どうなっても知らない。でも、ここぞと言う時だけに限らせてもらう。人工精霊の暴走ほど厄介なものは無いから」
「おーけーおーけー」
ベッドの上でつまらなそうにバタ足しているネコのお尻を片目に適当な相槌をして、ソフィアの前に訪れたロシューの観察を始めると、ただでさえ終始眠そうにも見える瞳を更に呆然とさせて、遠くを見詰めるような定まらぬ視点でソフィアがその姿を眺めた矢先、ロシューの身体は徐々に薄くなって霞んでいき――完全に消えたかと思ったら今度はこちらとロシューが元居た場所とを視界に収めて、
「肉の衣は土の衣、エル・グノゥムの名に於いて、地下深くへと沈みたもう土気を我、エス・ソフィアは我が身によって天へと回流させ、この一点へと今、凝縮させる」
ソフィアが呪文のような、あるいは宣誓のようなものを唱えるに従ってなにも見えなかった空間へと人の形が浮かび上がり始め、
「其はいっとき、仮の姿。これを忘るるべからず。再び下さるる我が命に従い即座に霧散せよ。では、現れてよろしい」
そう唱え終えるのに合わせて、写し鏡が如く姿が現実として目の前に現れたのだった。鬱陶しい髪の毛を後ろで縛ってるのも、購入してから何年も経つよれたシャツの質感も、色褪せてきたズボンも、なにもかもが俺だった。
まぁまぁ日焼けしてきたなぁ、俺って後ろから見るとこんなんなんかぁ……。さすが瓜二つ、他人からはこう見えてるのね。そりゃ隣にモデルが居るんだから思い描くのも容易か。いやはや、ほんとにキモチワルー。
「ナイからデキルよ」
「ソレ以上はやめてくれ」
驚きや感動よりも気色悪さが勝ってしまった。ものの一分で満足したのは言うまでもない。




