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054 第二十話 教会に巣食う少年

 この世は頑張って生きるだけの価値があるのか、それがずっと分からずにいた。


 勉強する必要性が分からなければやる気にならないのと同じ。目的が無ければ行動に移せないのと同じ。ひたすら惰性で生きているから生きていた。


 しかしこの惑星に来てからは、人は生きるために生きるのだとやっと理解した。死ぬのが嫌だから、負けた気がするから、なんだか悔しいから、人は精一杯藻掻くのだ。結局はこんなものだった。


 朽ち果てた教会を前にして、魔獣の群れを従えた若い少年――この世に不均衡をもたらす魔者と対峙していた。


 女子よりも男子の方が背が低い、そんな年頃をした少年の名はきっとショータくん。んで自分のことは僕って呼ぶんだろうなぁ……などとゲンナリ眺めている間にも、開け放たれた教会の中からワラワラと湧いてきたかと思えば、では早速”いただきます”と眷属らしきウサギの魔獣が飛び掛かって来るのだから堪らない。


 もちろんご賞味くださいだなんて言えるわけもなく、咄嗟に盾を構えて身を護ると、


「危ないではないかッ! もっと生命を大事にせい!」


 食欲に支配された下等生物から我が肉を護れたかと思えば、手のひらから水の触手が伸びて視界の隅から襲い掛かってきた次のウサギを鞭打ち、文句垂々に払い除けてくれる川姫。


 色が異なるだけでこれではまるで……今は考えるのはやめよう。


 衝撃による痺れと緊張、そして死への恐怖に震える腕で再び盾を構え、呼吸も忘れてウサギの群れを見定める。


 数にしておよそ数十羽。みな赤黒い眼をこちらに向けて今か今かと後ろ脚に力を込め、獲物である俺達に前歯を剥いていた。


 今までの魔獣とは異なり、みなハゲたように体毛が無かった。ハゲウサギの皮膚にはアザのようなシミが各所に浮かんでおり、気色悪いことこの上ない。


 ウサギの砲弾かよ! 一撃でも喰らったらヤベェ……。


「おとこ、いあない。くっていい、よ」


 人間の真似をして人語を口にするのは良いが、まさかのご指名とはこれいかに。


 今この惑星において最も貴重な一点者であるはずのこの俺を魔者が名指しすると、ただでさえも人間をエサとして見做している魔獣どもは一斉にこちらへと顔を向けて、ニンジンを前に興奮するかの如く、まるで複数人で一斉に黒板を引っ掻くような高周波の鳴き声を同調させながら、エサであるこちらに熱烈な視線を浴びせてくるのだった。


 しかし俺は一人ではない。直ぐ様こちらの前へと躍り出て魔獣群との間に立ち塞がり、身を呈して護ろうとする確固たる意思を無言で見せ付けると、小柄な背中は逆手にナイフを引き抜いてくるりと回し、切っ先を向けると同時にこちらへと飛び掛かってきた勇気あるウサギを素早く斬り落とした刹那、


「伏せて」


 ひらり舞った猫っ毛を掠りながら新たに飛んできたもう一羽の前歯を打ち砕き、ヘドロ垂らす口の中へと見事銃弾を食らわせるのだから恐ろしい。


「ボクに当たったらどうするのさっ!」


「過去ではなく今に集中」


「わかってるよッ!」


 いくら魔獣と言えども、本来はミートパイにされる側の臆病なウサギ。前歯を剥いてみな威嚇してはいるが、どうやら仲間の死を前にしてたじろいでいるらしく、動きは素早いものの数で押される状況には陥っていないだけ幸いであった。


 動物園のような獣臭が辺り一帯に立ち込める中、一歩後ろに下がって鞄を構えているロシューと並び、ミアと違って避けることは難しいであろうソフィアを護る形で陣を取る。


 肌色のハゲウサギどもに囲まれて指揮しているソイツが魔者であるのはすぐに分かった。およそ中坊くらいに見える背の低いソイツの顔は蒼白に色冷め、ウサギ――にしてはやけに脚が長い気もするので、ウサギ”のような”魔獣を傍らに従えていたからだ。人間に化けようとも人の血潮は再現出来ないのかもしれない。


「しもべ、いけっ!」


 魔獣群もこちらもお互いに機を見計らって動きを止めていると、なにをしているのかが分からないと言った調子で焦れったそうに小首を傾げたかと思えば、聞こえてきたのは今一番聞きたくない言葉であった。


 主に奮い立たせられて赤黒い無数の眼に殺意が灯されると、一斉に飛び掛かってきた魔獣をソフィアは咄嗟に撃ち落としていき、残りの五発を撃ち終えると同時に泥棒猫がナイフで斬り払う。が、


「数が多過ぎゆよっ!」


「退却するのみ。おぶって」


 何十羽もの魔獣と未知なる魔者に対して、ナイフと銃だけではやはり限界があった。これでは数秒後には誰かが喰われてしまう。


 かみまみまミアに目もくれずソフィアを背負い、一目散に駆け出して逃げる。誰かが囚われているわけでもないのならば、無用な戦闘に身を投じる必要など無い。追っ手から逃れるだけでも手一杯なのに、危険を犯してまで誰が気色の悪い奴らの相手なんかするかよ!


「逃げろ逃げろ逃げろ!」


 手脚に喰らい付かれながらも必死で鞄を振り回して追い払ってくれている後方のロシューを無視し、逃げる。


 生きるのを諦めてはならない。人工精霊は平気だろうけども、諦めたら本当にそこで喰い殺されてしまう。


 そう、背後から立ち上る銃声に鼓膜の寿命を縮めながら、今日も今日とて全力で逃走していた。



 ――事の発端はこうだった。


「へぇ~、ここがねぇ」


 目の前にそびえ立つ石造りの教会と、それに併設された三階建ての住居を見上げ、興味無さげな顔でミアは感嘆の声を漏らしていた。


 シラケつつも相手に合わせてリアクションを取っているのが透けて見えるのは兎も角、視線の先にある教会と孤児院は朽ち果てて半ば廃墟化しており、お化け屋敷のような有り様だった。


 人間とは異なる異形のド変態から村娘を助け出せたかと思えば、宿屋に滞在しているタイミングで近衛兵とバッティング。ジャガイモや酢漬け用の冷暗スペースでなんとかやり過ごす事はできたものの、だからと言って逃亡の足を休ませる事は叶わなかった。


 目と鼻の先にジャガイモとは違う柔らかな感触があったのは別として、一度見回りに来て帰って行ったのだから、ここは女将の言葉に甘えて暫くの間は村に滞在しても良さそうなものなのに、


「火薬があっても薬莢と弾丸が無ければ意味がない」


 拳銃の衝撃的な反動に酔い痴れ、精神的にも依存してしまっているらしきパトロン様はそれを許してはくれず、同時に行き先まで示すのだった。


 もはや鶴の一声と言っても過言ではない気もするが、金銭的な支援者であり冷静沈着な頭脳――は微妙だが、道程もある程度は知っている現地のアドバイザーに抗う理由もこれといって無かった。目的地も無く当てずっぽうに逃げるよりかは、計画性を持って確実に逃げるほうが得策だ。


 そんなこんなで宿を後にすると、今度は「外から見るだけで良いから」とか言い出し、目的地へと向かう前に本人の希望に立って、ソフィアが暮らしていた孤児院へと立ち寄っていたのだ。


 これから地元を離れて行く宛も無い旅をするのだから気持ちは分かるけども、なんともワガママな三十二才さんである。ミアが仕方無さそうにしていたのは、言うまでもない。


「この孤児院もあちらから訪れた者たちによって建てられた。あの教会のレリーフは神話の顔をした錬金術の寓意。秘奥の象徴。石の書物」


 孤児院の隣には石造りの古い教会が併設されており、ソフィアが首から下げているものと同じ丸十字の象徴が三角屋根の上に掲げられていた。


 今ではもう人の手は入っていないらしいが、教会があり今も取り壊されていないということは、中央国と言えども信心の自由は認めているのかもしれない。男というエサもあるし、宗教を政治利用して国民を統一する必要性もないのだろう。


「慈愛ある人も多かったのに……。戦争の話しは聞いてる?」


「まぁ少しは」


「私がずっと幼い頃に暮らしていた村は全焼してね、灰燼に帰してしまった。みんな死んじゃったわ。それからはここ、そして師匠に助けられてあのお屋敷」


「そういう人も多いの?」


「そうね」


 聞くところによると、ソフィアと同じように孤児院育ちの人間も多いとのこと。不治の病が如く何度も再発する男同士の覇権を賭けた争い、そしてそんな男どもに反旗を翻した女の闘い。戦争ばかりしていたら孤児院育ちが多いのも納得がいく。確かに母親が亡くなったら身寄りが無くなる人も多そうではある。田舎は親戚に面倒見てもらえるかもしれないが、街へ出稼ぎに出てきた家庭は難しいだろう。


「ボクたちの集落も、ボクたちも、魔者に襲われて二回目。今でも覚えてる」


 幼い頃、魔獣を従えた魔者に村を滅ぼされ、親族もみな目の前で連れ去られて、殺された。そうミアは続けたのだった。


 あの集落は生き残りが寄り集まって再建した第二の故郷らしい。てっきり先の大戦が原因なのかとも思っていたが、ミアからしても魔者には強い恨みを持っているらしく、さも当たり前かのように語った横顔の先に物言わぬ炎火が見える気がした。あのイケオバが外に座って睨みを効かせていたのも、魔者や魔獣を警戒して集落を見守っていたのかもしれない。


 肩を並べて朽ち果てた光景を眺めていたそんな折、女子の声に招き寄せられたのだろうか――隣の教会からふと黒髪の少年が現れて、


「お、んな、のこ……? おなのこぉッ!」


 今に至るってわけだ。


 思春期のクセに素直だなおい。

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