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 床が軋むほどのトランクケースを片手に颯爽と駆けている幼女と並んでミアを追い掛けていくと、茂みに身を隠して様子を窺っている背中が前方に見え、次いで緊張に固まっているしっぽの先、森の中にぽっかりと開いた広場の中に、一軒の半壊した廃屋があり、


「魔獣はどこに……」


「しっ。静かに」


 隣に並んでソフィアを背中から降ろすと、こちらの口を閉ざすようにして立てた指を茂みの先の廃屋へと向けるミア。指差した先に目を遣ってみると、そこには人影が佇んでいて、例の魔獣はそのヒトの足元で倒れ込んでいた。


「あのヒトは?」


「アレは人とは異なる異質な者。魔獣の主、魔性の存在……恨むべき相手」


「それってどういう……」


「魔者。悪魔も忌み嫌う人類の宿敵。元、凶……」


 ソフィアが魔者と呼んだそのヒトの姿は、貴族風の壮齢の男であった。中年らしき小太りの男は酷く猫背で、白の手袋をしたその指はやけに細長くて関節が骨ばっており、五本の小枝のようであった。白髪混じりの頭髪はオールバックに纏められていて、口髭が特徴的だった。


 身動きを止めてそのヒトから目を離さないソフィアの素肌には汗の粒が浮かび、口元は嘲笑うが如く引き攣っていた。


 男は地に伏せる魔獣の額を踏んで体重をかけると、乱雑な手付きで角を掴んで強引にも引き抜き、しばしそれを観察したかと思えば無造作にも放り投げて、閉ざされていた廃屋の扉を開け放つのだった。扉によって隠されていた光景は、凄惨なものだった。


 朽ちかけた家屋の中にはロウソクが一本灯されており、か細い首や両手首に縄が巻かれて吊るされている裸の姿があったのだ。


 あの母親と同じ髪色をした、やや線の細い娘さんであった。廃屋内に戻った魔者は娘の首を締めている縄を無慈悲にも握って女体を揺さぶり、弄んでいる。


 二人の姿は暗いシルエットとして浮かんでおり、詳細は不明なものの、頭の後ろで両手首を縛られ、首を締めている縄を前方に引かれているので、腰は弓なりに反って胸部を突き出す形となっている。


 ガクガクと震えている脚でなんとか立っており、膝が崩れ落ちてしまったが最後、喉元を締め上げられて本当に死んでしまうかもしれない。


 顔を真っ赤に紅潮させている娘さんは苦しげに舌を伸ばしてダラダラと唾液を零し、瞳は上を剥いて全身をヒクヒクと小刻みに震わせていた。荒い吐息の音がこちらまで聞こえてきそうだ。


 その顔面は多量の涙とよだれに塗れ、全身が汗によって艷やかに濡れ切っていた。表情はどこか恍惚としており、波打つように時折ビクンッと腰を反らして、わなわなとお腹を震わせながら不規則に痙攣してさえもいる。快楽のその上、脳が壊れてしまう強度にどうやら至ってしまっている様子だった。


「魔者に魅入られちゃったみたいだし、あの子はもうデキないかもね。残念だけど手遅れ」


 てっきり連れ去られたものかと思っていたが、その子の近くには丁寧に畳まれた女物の衣類が置かれており、自ら服を脱いで身を委ねたことを物語っていた。男が狩られたことにより、結婚して子供を育てるという無邪気な夢は崩れ去り、絶望して自暴自棄になってしまったのかもしれない。


「アイツはなんなんだ。男、だよな……」


「この世ならざる者。超自然的な不自然。この世に干渉する為に肉の衣は纏ってるけど、常識は通用しない」


「それはどういう……ってか隠れ男子なんじゃ」


「つまりバケモノってことだよ。魔獣を従わせる人間ってなにさ。隠れ男子だったとしてもアレはダメでしょ」


 行方不明者が囚われている現場を目撃したとて、素人の凡人には手も足も出せないことを思い知らされていた。今すぐ村へと戻って自衛団を呼ぶにしても時間がかかる。その間にあの子の息が止められてしまったらと思うと、様子を窺ってオアソビが終わるのを待ち願うほかなかった。


 なによりも緊張感と気味の悪さで身体が固まってしまっており、隣のミアもどうしたら良いか分からずに動けないらしい。常識が通用しないということは、相手との間合いも人間のそれとは異なるのだろうか。確かに異形にも見えるが……。


「わたしが注意を引く。ネコは素早い」


「その間にボクが行くのね。いいよ、いつでも」


 ナイフを所持しているからミアなら縄を断ち切れるし、すばしっこいから懐に潜り込むことも可能だろうけども、こちらにおびき寄せたとしてどう対処すれば良いのかと。普通のオッサン相手ならばどうにかなるだろうけども、アレは違うらしいし。


「いやちょっと待って! あのヒトが人間じゃないとして、魔法は苦手なんじゃ……」


「魔術ならある程度は成せる。わたしにはこの子も居るから大丈夫」


 俺はどうすればいいのか、本当に人間ではないのか、もし俺と同じ人間だったとしたら……。などと困惑している間にも、その場に膝を付けて手提げ鞄を開き、綺麗に整列させていた銃弾を無造作に掴み取ってポケットの中に詰め込んでいくと、果敢にも立ち上がってロシューへと杖を渡し、両手で銃を構えるのだった。


「ロシュー、いくよっ」


「イェス、マスター」


 こちらがあたふたしている傍で躊躇無くソフィアが発砲すると、音も無く駆け出して、視線を向けてくるであろう相手の視界を避けるように相互を結ぶ直線上を大きく迂回して行くミア。


 それ以降は影に入ってしまってよくは見えなかったが、案の定こちらへと顔を向けた蒼白な顔の端で人影は確認できた。茂みの中を進むミアの姿を追っているとこちらの視線を辿って背後の状況に気付いてしまいかねないので、気色の悪い小太りの紳士を意識的に見定め、もしもの際にソフィアを護れるようにと盾を構えて隣に並ぶ。


 屋根の一部まで崩れてしまっているその廃屋の中から姿を現し、一歩、また一歩と歩んできた魔者はすぐさまこちらの姿を探し当てて口元を歪ませると、眼光を光らせながらソフィアを見詰め、俺のことには見向きもしていない様子だった。

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