047 第十七話 クリフォトの魔者
見栄を張るために危険かもしれない場所へと飛び込み、もしも二人が喰われたりなんかしたら流石に気分が悪いので、お願いだから”俺含め”無事であってくれよ……。などと願いながら、荷物番をしてくれていたロシューを連れ出して村外れの森に入ると、鬱蒼とした茂みにはいくつもの獣道が残されており、主にそこを歩きながら娘さんを探す形となっていた。
「怪我をしているかもしれない。急ごう」
ミアはともかく、話しを耳にしただけだと言うのに自主的に人探しへと参加したソフィアの行動は少々奇妙にも思えた。傷付いた人間を治療するのは師匠から教わった人道的奉仕の思想によるのだろうが、ここまで積極的だと「どうしてそんなに」と疑問を抱いてしまう。脚が悪いという自覚がある上でこれなのだからどうかしている。
「師匠は魔獣に……いいえ違う。元凶に殺られてしまった。二の舞いにはさせない」
一種の復讐心を抱えているのが窺える口振りだった。お偉いお言葉に従うのみではなく、人間としての恨みがその奥にあるのならば理解できる。世間に対する悶々とした恨みを抱えながら生きてきたので他人事とは思えなかった。
静かな最期であったと語っていたし、その手で報いを果たしたのか、あるいは共倒れだったのかは定かではないが、壮絶な経験をしたのだろうことは想像がついた。
娘さんを捜索するのは良いけども、熊出没注意ってなだけでも充分怖いのに、魔獣出没注意の場合は完全にエサとして見做されて積極的に襲ってくるのだからタチが悪い。俺だけが何もしていない後ろめたさなんて気にせずに、食えないプライドなんか捨ててしまえば良かった。今となってはもう遅いが。
「でもソフィアは休んでいたほうが……」
「わたしはお荷物ではない。射撃の腕は誰にも負けない」
そうすれば損得勘定鋭い泥棒と一緒にさっさと諦めて宿に戻れるから。などと頭に過ぎらせたものの、杖を突きながら片手にリボルバーを構え、ソフィアとロシューは周囲の警戒を止めようとはしなかった。
ロシューの手にはトランクが握られており、その隣に寄り添い、先行するミアの背中から離れないように気を付けて進む。切っ掛けはこちらなのだ。怖いがもう前進するしか無い。
「でも魔術師なのになんで銃なんか」
「そこにあったから。講釈は後で垂らす。今は……アレに集中」
「アレって、なに?」
さも自然な動作でソフィアがアイコンタクトした先を眺めると、穏やかな傾斜地となっている上方、長い枝にも見えるシルエットが木々の狭間で微かに動いており、目を細めて見ると、それは途中で枝分かれしている二本の角のようであった。
それはシカのそれであった。しかしその立派に伸びる角のみならず、筋骨逞しい体躯は墨汁でも被ったかのようにドス黒く染まっており、つまりそれは、魔獣に変貌した牡鹿であることを物語っていた。
ソフィアに言われるまでまったく気付けなかった。前を進んでいたミアも既に腰のナイフへと手を伸ばしており、忍び足で一歩二歩と後ずさってこちらとの距離を回復させている。危機察知能力に乏しいのは俺だけであった。
木の葉の鮮烈な緑を残して世界が夕焼け色に染まる中、落ちかけた夕陽をバックにしているのでその姿はよくは見えないが、足元に横たわる牝鹿らしき動物の臓物を喰らっており、共喰いをしている様子であった。草食動物も肉食に変わってしまうだなんて、いったい何によってそんなにも変わってしまうのか。
などと観察している間にも首を上げ、四つ目でこちらを見定める魔獣。まるで最初からこちらの存在に気付いていたかのような風格であった。当初その顔には四つの眼があるように見えたが、どうやら眼球が存在するのは二つで、斜めって開いているその下の残り二つからは内部の肉が露出しており、まばたきをするようにしてその箇所が動いていた。
赤い眼を光らせて俺達を見据えている魔獣からは空間を伝って嫌な感覚がこちらまで届き、肌がぞわつくのが感じられた。
以前ソフィアに聞かされた話しを考えるに、パーソナルスペースであるエーテルの殻に干渉され、反応しているのかもしれない。だとしたらかなり広大な力の場を持っていることになる。寄生される前はこの森のヌシだったのかもしれない。威圧感が半端じゃないくせに存在感は薄く、周囲と同化し、草木と同じく自然の一部のようにも思われた。
「新人クンは下がってて」
「うん、気を付け……て!?」
逆手にナイフを抜き取った背中に視線を向けた途端、こちらの隙を突くようにして魔獣は駆け出し、まるで地を飛ぶような速度で突進してきたのだった。
咄嗟に腕を引いてくれたミアに助けられてなんとか身を躱すと、すぐさま振り向いて魔獣の姿を探す。目を離したら最後であると本能的に察していた。
生命の危機を目前にして脚が小刻みに震えてしまっているが、目を離したくなるようなおぞましい姿を真っ直ぐに見定め、小さな盾を構えながらつま先に体重を移動させて機敏に動けるようにと備える。
まばたきでもしたら次の瞬間にはドス黒いミミズの姿が眼前に迫って来ているかもしれない。例え恐怖に染められようとも、観察を止めてはならないのだ。
「シカの弱点は心臓」
「わかってる。……来いッ! ラクにしてやるッ!」
森に声を響かせながら手のひらをこちらに向けて下がっているようにと伝えたミアに従い、ソフィアと共に後退していき地面に落ちていた枯れ枝をパキッ……と踏み折ったその瞬間、人の言葉では言い表せないような、筆舌に語り難き地に轟く雄叫びを上げて、血濡れた前歯を露わにしながら魔獣が唾液の飛沫を上げると、シカの頭に生える二本の角がウネウネと蠢き始め、
「なんだ、あれは……」
鬱陶しそうな動作で魔獣が首を振ると、硬質であるはずの黒い角がダラリと地面へと垂れ落ち、筋肉質なのが窺える太い首を再び回したかと思えば、まるで鞭のようにしなりを上げて触手状のそれがこちらへと伸びてきたのだった。
瞬時に上空へと飛び上がって縄跳びでもするかのように易々と回避してみせたミアの背中に胸を撫で下ろす隙も無く、すぐ隣に自生していた樹木の半ばまで食い込み、元あった場所へと縮んでいく二本の黒角。あと一歩前に出ていたら身体が真っ二つになっていた。身動きは、取れなかった。
現実の流れについて行けず呆然としている間にも、隣からは乾いた発砲音が何発か立ち上がり――まるで同情でも引くかのような、命を乞うかのような細く悲痛な叫びを上げる魔獣。どうやらソフィアが射撃した銃弾が肉を貫いたらしく、魔に落ちた獣であっても痛みは感じるらしい。
「しくじった……。しかし脚はやった」
「追うよっ!」
え、マジかよ……? と急ぎ顔を向けたにも関わらず、足を引きずって逃げていく魔獣を早くも追い始める御三方。まさにこれが魔獣狩りなのかもしれない。
例の娘さんが魔獣に攫われたとして、だとしたら、もう……。この森に居るとしたら十中八九手遅れかもしれないが、だとしても形見くらいは回収してあげたい。
「でもなんでミミズなんかに……寄生でもされてんのか?」
左前脚を庇いながら走っていく後を追い掛けながら、魔獣の体毛がミミズである意味を問うと、
「ミミズは土の象徴。人もまた同じく土に属する。この物質界に関与するためにそういった形相を取り、安定化を図っているのだと思う」
答えになっていない答えを口にしたかと思えば、どこか諦めた様子でこちらに両手を広げてくるソフィア。聞かずともこのポーズの意味はわかる。おんぶしてだ。ソフィアは言った、人工精霊であるロシューは未完成で物質としての密度が薄く、幼子程度の体重が限度であると。
急がなければミアが一人だけで行ってしまっているので、追い付く為にも余計なことは考えずに震える脚でその場へとしゃがみ、杖で首元を締めてきたソフィアを背負って先を急ぐ。その身体は細身なだけあって重くはなかったが、肉や内蔵等々がぎっしりと詰まった人間としての重さはあり、特段軽いとも言えなかった。
しかし、流石に野山を歩いたり走りまくっているだけはあって慣れてきたわ。まさかこの自分が女の子を背負って森の中を走れるとは思いもしなかった。案外体力が付いてきたのかもしれない。少し自信が回復しました。




