045
それからも診てもらいたい患者が何人か居るらしく、治療や処方は続いていった。患者を前にして問診を行い、薬箱を開いて処方していく。殆どは農作業中の怪我や、慢性的な身体の痛みなどであった。
その手際は鳥籠生活を送っていた引き籠もりとは思えず、幼い頃にもしかしたら今の俺と同じようにして老賢者の仕事を見ていて、師匠亡き今、それを真似ているだけなのかもしれない。
「お姉ちゃんありがとぉ! お金は、えっと……」
「お金はいいけど食事はもらう。これがわたし達の流儀。あなたのおやつが欲しい」
「ならビスケットがあるよっ! ちょっとまってて持ってくるっ!」
食事と言っても、患者が持ってくるのは貧相な干し肉やクルミが入った小袋、糸に吊るされたニンニクや鷹の爪など、人にあげたとしてもあまり困らないようなものばかりであった。逆に言えば、それくらいしか差し出せないほど生活がひっ迫しているのかもしれない。申し訳無さそうな顔を浮かべている者も多く、精一杯の気持ちなのだ。
「子供からおやつを取るとは悪魔な……」
「悪魔も神様。それにこっちのほうが理に適ってる」
「まぁ現金自体があまり流通してなさそうというか、ここで暮らしてるだけなら自給自足で事足りてそうかも」
「そう。こういう農村では税金も穀物で支払い、物々交換で助け合っている。お金を使う機会は旅商人が訪れた時。わたしは無いところから取るのではなく、有るものを頂く。それが師匠の流儀、わたしの流儀。だから宿屋には喜んでお金を支払う。無いものを少しでも埋められるのならば光栄だもの。魔術はバランスを最も重んじる。地に足を付けた大切な教え」
「ご苦労さま、これは私からの気持ちだよっ! まだ来るかもしれないけど、今の内に少し休みな」
「ありがとう、懐かしい……」
並んでいた人々をさばき終えて、宿屋の女将が持ってきたくれたアルコールを感じないエール――泡だった甘い麦のジュースを二人で飲んでいた、そんな時。
「お医者さんッ! コイツを……コイツをお願いしますっ!」
宿屋のエントランスに突如として威勢の良い声が響き渡り、何事かと目を向けると革製の防具を身に着けた二人組の若い女子が飛び込んできたのだった。いや正確には違う。ショートヘアのボーイッシュさんがロングヘアさんの腕を掴んで引き摺ってきたのだ。
「私は平気だって……」
「ダメだ! アタシの言うことを効いてくれよ頼むよ……! ナァ!? センセェ!?」
「うん?」
「ほらウンって言った! だから座って診てもらっ……うっ、えぐっ……」
「はいはいっ。あの、これなんですけど……」
小首を傾げて「はてな?」とソフィアは応えたはずなのだが、なぜだか同意として受け取ってしまったらしいボーイッシュさんが泣き始めると、「はぁっ……」と肩を落としてソフィアの前に据え置かれている椅子へと腰掛け、袖を捲って腕を見せるロングさん。そこにはついたばかりと思わしき傷跡が浮かんでおり、まるでなにかに切り裂かれたかのようであった。
「魔獣にヤられたんだッ! センセェ大丈夫なのかッ!? ナァ! センセェっ! こ・た・え・て・く・れ・よぉおおーッ!」
ガッシリと両肩を掴まれ、思いっきり前後に揺さぶられるソフィア。終始真顔であった。あまりにもシュールであった。いや怪我人を前にしている状況なのでソフィアと同じ真顔を作る他なかったが。
「まー、そうね……。指は動く? しびれは?」
「少し痛みますけど、動かそうと思えば……。しびれは、多分無いです」
差し出された腕を手に取って、未だに血が滲んでいる痛々しい患部を観察しながらソフィアが問うと、眉間を寄せて傷の先にある指をゆっくりと動かしてみせるロングさん。どうやら筋肉や神経に損傷は無いかと確認したらしかった。
「なら大した事ないから安心して。消毒して包帯を巻けばそのうち治る」
「でもっ、でも魔獣の爪で……毒とかっ!? そう! 毒はどうなんだよ? ああん?」
「私のために人を威嚇するのはやめてっ! 私っ、悲しくなっちゃう……」
「あ、あ、ごゴメン……」
「その毒を消すのが消毒。女将、綺麗な水か蒸留したお酒を」
「はいよっ、待ってな」
はっちゃかめっちゃかなお二人さんではあったが、ソフィアはあくまでも冷静な態度を保っており、感情が薄いというよりもどこか達観しているような感じであった。腰に手を置いてこちらの様子を眺めていた女将さんに指示すると消毒液と綿、そして包帯を用意し始め、
「だから喚かなくても平気だって言ったのに。もう……」
「だってっ……だってぇ……。お前が居なくなったら夜はどうするんだよッ!」
「そういうコトは人前で言わないでっていつも……。はぁーぁ……」
よ、夜……ああぁねはいはい。
「でもどうしてそんな……。魔獣って昼間も活動するの?」
男に見向きもしない理由を今更ながら察して訊ねている間にも、水を張った木桶と布を持ってきて女将さんが患者の前にそれを置くと、早速といった調子でタオルを手に傷口を洗浄し始めるソフィア。その腕に水が掛けられるとロングさんはいかにも痛そうな様子で眉間を寄せて、木桶の中は血の色に染まっていった。
「そこら辺にうじゃうじゃな」
その光景を心配そうに眺めているショートさんは片手間といった感じで応え、説明を補うようにしてロングさんはこう続けたのだった。
「活動が活発になるのは夜。だから寝込みを襲っ……。う、動きが鈍い昼間を狙って、私たちは狩ってるのです」
「いつまでも受け身でいてもしゃーないだろ? だからコッチから魔獣狩りやんのさ!」
それで気を抜いてしまい、やられたと。どうやらこの村は魔獣の被害にあっているらしい。改めて二人の格好を見ると腰から剣を下げており、背中には簡素な弓矢を背負っていた。きっとあの時の俺たちと同じように一頭だと思っていたら後ろからもう一頭が現れ、受けた傷を代償にして命を刈ってきたのだろう。
「今までは男連中が退治してくれてたんだけどねぇ。今更なぜかなんて言わないけどさ、男手が無くなって……」
「今は女連中で対処してんだよ。こうやって傷付きながらなぁッ!?」
「しかし自衛団の人手は万年不足、むしろ減少傾向にあります。ムリ、するしかないんです」
少子高齢化からの人口減少で人手が不足し、魔獣退治が追い付かないとのことだった。だからといってそちらに人員を集中させれば田畑を耕す人手が足りなくなり、兼業するにしても体力的に難しいと。
人間の営みは役割分担のパズルピースだと考えているが、そもそもとして男が居なければ子孫は増えず。限界が近付いて手が回り難くなり、もうどうしようも無くなってきているのだろう。
「男の旅人も居なくなってさ、この宿屋も閉店営業だよ。困ったものさね」
すべては中央の、特にトップ層が抱く誤った思想のせいであるのだろうが、そのシワ寄せはこういった田舎から始まるのかと実感させられてしまった。
まぁ当事者なので他人事で済ませられない由々しき問題なのだが、こういった現実を目の当たりにさせられると、自分の考えや行動は果たしてこの世界の為になっているのだろうかと、本当にそれで良いのかと思えて仕方なかった。
見知らぬ大地の見知らぬ社会の為にこの身を犠牲にして、自我を捨て去り世のために奉仕すべきなのではないか。しかしそれでは、それこそ王宮の思う壺であって……。自分と環境との間にそびえ立つ、難しい問題であった。
「悩んでも仕方ない。今は目の前のことに集中するのみ。ということで食事にしましょ?」
まるで今まさに頭を悩ませているこちらの思考を読み取るかのようにロングさんの腕へと包帯を巻き終えたソフィアは言い――実際はこの空間に漂う薄暗い雰囲気を単に打破する為だったのだろうが、いずれにしても杖を掴んですくっと立ち上がり、
「ネコを探しに行かなきゃね」
机に広げていた道具類を片付けながら、あれから戻ってこないミアの名を呟くのだった。麗若き乙女に見えて三十二才さんらしいし、歳上の人間として心配しているのかもしれない。三十二才だし。
ともかく、あれだけ人が訪れていたので噂は充分に広まっていると考え、その上で誰も来なくなったという事は、ひとまず一段落は着いたと見て良さそうだ。
「ネコ? それなら見掛けたぜ?」
「そうなの? なら案内してもらえる?」
治療道具やお礼の品々を女将に預け、追っ手の姿が見当たらない事をいい事に宿屋の外へ堂々と出ると、案内してくれるらしい自衛団の二人に着いていく。




