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044 第十六話 闇夜の前

「今は中央国の領地となっているけど、戦争前は隣国に属していた村だから、一晩くらいなら多分大丈夫」


「その多分が怖ぇんっすよ……」


 ソフィアを家出させてしまった翌日、国境付近にある小さな村へと立ち寄り、泊まることになっていた。


 鳥籠生活を送っていた儚い少女に手を差し伸べて連れ出してあげたと言えば聞こえは良いが、貴族御用達の薬師をかどわかして逃亡の手引きをさせていると言えば、完全に悪人のソレだ。


 なんにしても国境近くにあるならば、確かに色々と複雑な事情を抱えていそうではある。王宮と不仲であるとすれば、こちらとしては好都合。中央国に対して非協力的であればあるほど、不満や対抗心を秘めていればいるほど助かる。


 日が昇るにつれて暑くなってきたので羽織っていた外套を脱いで腕に抱え、周囲を警戒しながらネコの集落と同じように背の高い柵に囲まれた門を潜ると、王都と比べてふた時代ほど前にも感じられる、のどかな農村の風景がそこにはあった。


 あちらとは少々異なる姿をしたウシやブタ、またはニワトリに類する家畜が各民家の隣で飼われており、まるで家族のようだった。


「こんにちは~」


「え、あっ、こんちは……」


 顔を伏せながら目だけを動かして周囲の光景を観察していると、そんな不審者極まりない挙動にも関わらず、前からやってきた三つ編みの素朴な少女に挨拶されてしまい、突然の事に戸惑いながらも一寸遅れてその子の斜め後ろに返せたかと思えば、


「男の人だっ」


「しっ、聞こえるよ」


「あへへ、こんにちはっ!」


「あ、うす……」


 今度は道端でお喋りしていた娘さん二人に丸聞こえのコソコソ話しをされてしまい、もはや軽く頭を下げて通り過ぎる他なかった。


「挨拶しちゃったぁ~!」


「あ、あたしも……こ、っこここッ……こんちあっ!」


「ったく……ボクたちは見世物じゃないよっ! ほら失せて失せて!」


 その子たちのみならず、過ぎゆく人々全員から物珍しげな目を向けられてしまい、まるで虫でも払うかのように「シッ、シッ」とボディーガードの振りをしてみせるミア。


 ここぞとばかりに身内ヅラをしているような気がしてならなかったが、こちらとしてもあまり悪い気はせず、むしろ改めて同行者の仲間なのだと実感させられた。


 外を出歩いていて挨拶された経験などほとんど皆無だったので、すれ違いざまに次から次へと声を掛けられるのには驚いてしまったが、人と人との距離が近く、目の前に広がるその生活風景を眺めているだけでも、人肌のぬくもりが伝わってくるような気がした。


 人間が人間らしい生活をしている様子を目にしただけで何故こうも安らぎを感じるのだろうか。灰色に囲まれた世界からやって来たからであろうか。それとも、人の気配に囲まれて安堵しているのか――。


 まだ親戚との付き合いがあった頃に連れて行ってもらった田舎の田園風景を彷彿とさせられた。植えられている作物は水田のコメではなく畑の麦類ではあるが。


 ソフィアが「ここ」と言って立ち止まった宿を見上げてみると、その宿は二階建てでわりかし立派な建物ではあったものの、宿屋という割には周りの住居と大差は無く、少しばかり小綺麗な程度であった。


 軒先には背中に背負う網籠や農具などが置かれており、今朝収穫したばかりの土付きのジャガイモやニンジン等がその中に入っている。普段は農業で生計を立てている兼業の民宿かとすぐに察しが付いた。こんな田舎町に旅人なんてそうそう来ないだろうし、宿泊業だけでは食っていけないのだろう。


 閉め切られていたドアを杖の持ち手で軽くノックすると、しばらくして顔を見せたのは四十代ほどのおばさんであった。


「あらいらっしゃい! ほ~んとっ、あんたは変わらないねぇ~!」


 洗い物でもしていたのだろうか、前掛けのエプロンで手を拭いながら顔を出したかと思えば、目を丸くしてつま先から頭のてっぺんまでソフィアの姿を眺めると、まるで久方振りとなる親戚にでも会ったかのように心底嬉しそうな声を上げる宿屋のおばさん。先程の少女たちもそうであったが、気さくそうな方で安心した。


「久し振り。おばさんも変わらないね」


「なぁに言っても~! 私は歳だからだよっ。でも良かった、歩けるようになったんだねっ! 何年振りかね?」


 いかにもおばさんがしそうな手振りをまさにしてみせるのだから、星が違えどこういうところは同じなのかと。面白くてつい表情が緩んでしまった。


「十二年振り。みんなは元気?」


「元気さね~! ほらみんな! お医者さんが来たよ!」


 女将さんが声を上げると、建物の奥からお年を召したご隠居さんが姿を表し、女将さんが先程やったのと同じようにソフィアの上まで下までまじまじと観察して、こう言うのだった。


「おおお、お医者は久し振りだねぇ。あのお方はどこかな?」


「師匠は亡くなった。必要な薬は処方できる」


「あぁそうかい……もう歳だったものねぇ……」


 ソフィアの師匠――モーガン博士に時たま診てもらっていたのだろうか。過ぎゆく時の流れを哀れむような表情を浮かべ、もの寂しそうに呟くのだった。久し振りに再会したかと思えばすぐに老賢者はどこかと訊ねるのだから、それだけ仲良くしていたのかもしれない。


「わたしも旅の途中で立ち寄っただけ。一晩泊まったらすぐに出立する」


「なら今のうちに貰っとかないとねぇ。具合悪いババア共を呼んでくるよ」


 ソフィアがコクリと頷いてそれに応えると、そのまま外へと出掛けて行くご隠居さんの背中を見送り、再び玄関ホールへと目を戻す。


 するとそこには奥の部屋からひょっこりと顔を出して、何事かとこちらを見ている少女の顔があったのだった。ドアの影に身体を隠しながら様子を窺っていたかと思えば、こちらの視線に気付くやいなやトコトコとやってきてペコリと頭を下げ、


「ぉ、おへやはこちらですっ……!」


 あたふたしながらもロシューの背中から対比で更に巨大に見えるリュックを受け取ると、引きずる一歩手前といった調子で重そうな荷物を両手に抱え持ち、二階に続く階段へとカニさん歩きで先導してくれる少女。


 それは良いのだが、「それ持とうか?」と訊ねたこちらに「いっ、いえッ! だいじょーれすっ!」と答えてみせたその顔は明らかにキョドキョドとしていて不慣れな様子を浮かべており、宿泊客の少なさを無言の背中で教えられてしまった。


 一旦荷物を置くために階段を上って客間のドアを開けてあげると、部屋に入った途端にドスンっという物音が聞こえてきそうな勢いですぐさま手放すのだから、相当それは重いらしい。必死で運び終えた女児は案の定息を切らしていた。


「あなた、わたしのこと覚えてる?」


「え、えーっと……」


「大きくなったね。最後に見た時、あなたは赤子だった。他の二人は?」


「奥のおへやにいますっ。呼んできますか?」


「これからお仕事なの。具合が悪いなら診てあげるから連れてきて」


「いえいえ、みんな元気なのでっ!」


「そう? ならわたしはちょっと空けるから荷物よろしくね」


「はいっ! 泥棒から全力で守りますっ!」


 ポケットから取り出したこの部屋の鍵をぐっと握りしめ、汗ばんだ顔を上げて意気込むのは良いけども、その泥棒さんもお客さんとして紛れ込んでるんだよなぁ……。


 などと、後から着いてきて一目散にベッドへとダイブしてみせた背中を横目に見遣っているさなか、紅茶の茶葉みたいな色をしたおさげを両肩に垂らしている宿屋の少女よりも一回り小さなちびっ子ロシューが手提げ鞄を下ろすのに合わせて、その足元からは体格に似合わず床が軋む音が聞こえ、


「それなに入ってるの?」


「見る?」


 抱いた疑問をそのまま隣に向けると、ニヤリっとした眼差しをこちらへと向けてその場にしゃがみ込み、鞄を開いてみせるソフィア。


 外見上は至って普通のトランクケースであったが、革張りのそれが開かれると黒色火薬入りの小瓶がワンダース、箱に詰められて列を成している予備の銃弾、そして、テカリのある紙に包まれて太い糸に巻かれている小包のようなもの――と、申し訳程度の下着類が収められていた。つまり、中身のほとんどが火薬だった。必死で鞄を庇っていただけはある。着火したら大爆散だ。


「その包みはもしかして……」


「爆弾。錬金術と魔術は元は一つ。融合を果たした時、真の学術となる」


「で、爆薬カッコ物理なんすね」


「それよりもっ」


 話しを区切るようにして鞄を閉ざして立ち上がると、傍らに置かれているもう一つの荷物を漁り始め、


「あなたも手伝って。この村だとロシューは珍妙すぎる」


 なにかと思えば薬箱と簡単な医療道具を次々とリュックから取り出してこちらに手渡していき、真面目な面持ちで顔を上げるのだった。


 畑しか周りに無いようなド田舎の農道をビジュアル系のチャラい若者が歩いていたら確かに珍奇ではある。白髪の美男子も白髪の幼女もそれと似た感じで都市部ならばともかく、田舎においてはヘンテコリンなヤツとして好奇な目で見られてしまうのだろう。


 もしもの事態に備えて包帯や消毒薬らしき小瓶、ピンセットやメスなどを持って来てくれたのは嬉しいけども、主人の手伝いをするのは隣に突っ立ってるコイツの役目で、それが存在理由なのではないのかと。


「ならもっと普通の姿に変えれば……」


「ヤダ。この子はわたしの芸術品。わたしはわたしの感性を否定したくない」


「そ、そっすか……。まぁ俺だけなにもしないのは申し訳ないし、手伝うよ」


 とかなんとか頭の中で愚痴を吐きつつも、少しだけでもなにか手伝えることがあるのならば協力したい気持ちもあった。


 誰かに護られるだけだなんて情けない気もするし、女の子からメシを食わせてもらってペットのように飼われるだけなのはもっと御免だ。俺にも人間としてのプライドはある。舐めんなだぜ、働いてやんよぉおお!


「寝転んでないでネコも来て」


「えぇ~、ネコは寝るのも仕事なんだよ~?」


「知らない。ヒマしてるくらいなら誰かの手伝いでもして、なにかお礼品を貰ってきなさい。ほら来て」


「ちぇ~……」


 人からなにかを貰う為に手伝いをするのはヨコシマな気もするが、そんな細かいことを考えているほど余裕も無いのもまた事実。


 金銭的に余裕があったとしても金貨は食えないし、次いつ店にありつけるかも不明な状況で世間体など考えていたら害悪にもなりかねない。ソフィアが持つ金銭能力の限界がわずかでも遠ざかるのならば、タダで貰えるものは貰っておいて損はないだろう。


 仕方無さそうな様子で両手をぶらぶらさせながら気怠そうにミアが来ると、杖でその背中を小突いてドアを閉めてみせるのだから容赦ない。


 ミアがこちらの身の安全を第一に考えてくれているのは薄々感じてはいるが、ソフィアはこの亡命旅に関わる事柄を全体的にどう管理しようかと考えてくれているらしかった。ミアと二人っきりだと行き当たりばったりになりそうだし、実際にそうだったので、パトロンとして冷静に旅を監督してもらえるのならば心強い。


「あわっ、すごい人……。んじゃボクは困ってる人を探してくるよ~っ!」


 お留守番と言う名の荷物番としてロシューを部屋に残し一階へ戻ると、宿屋の前には既に村人たちの姿がぞろぞろとやって来ており、ちょっとした行列が早くも作られている様子であった。その人だかりを見て一目散に面倒事から逃げていった背中に呆れながらソフィアに目をやると、


「はい、どうされましたか?」


「いやねぇ、今は春麦の頃合いでしょう? だから雑草を刈ってたんだけど、腰をやっちゃってね……」


 宿屋の女将が用意してくれていた椅子に腰掛け、早速といった調子で症状を診ては、紙に包まれた飲み薬や貝殻に閉じられた軟膏などを処方していくソフィア。名札なんかよりも赤十字のほうがお似合いかもしれない。まぁ首からそれっぽいのは掛けてはいるけども。


「ありがとうねぇ。あら、男なんて久し振りに見たよ。これ、良かったらどうぞっ?」


「ど、どうも。あんまり無理しないようにね、ばあちゃん」


「やだねぇ! 孫みたいだよっ。あははっ」


 小さな瓶詰めのピクルスみたいなものを手渡してくれたその手は皺くちゃで、日に焼けて無数の小キズが手の甲に浮かんでいた。きっと草刈り中に葉っぱで切ってしまったのだろう。


 手伝ってくれとは言われたものの、ソフィアの隣にただ突っ立っているだけで何もやる事は無かった。強いて言えばこんな感じでお年寄り達からお礼の品々を受け取り、頭を下げるだけ。絶対俺の仕事じゃないと思う。


 しかしこの様子ならば、まだここには追っ手は来ていないと考えて良いだろう。

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