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041

「たとえ面子のためとはいえ、孤児院の運営資金を寄付してもらったり、直接出向いてくる事は少なかったけど使いの者を寄越して高額な薬を買ってくれてたから、貴族に恨みは無いし恩もある。けど、だからといって男を独占されたら黙って見てられない。それとこれとは別」


 ソフィアからしてもミアと同じように、特定の集団が男を独占し、特定の血筋を優先的に残すことには反対らしい。貴族相手に反旗を翻すのならばそれ相応の報いもあるはずだというのに、ソフィアの眼差しには迷いが感じられず、その点についても既に覚悟が出来ている様子だった。


 反権威主義と言えば格好は良いが、ふたりとも冷静さを失い自暴自棄に陥っているのではないかと心配になってしまう。見ているこっちが肝を冷やしてしまった。まぁふたりの生命を脅かし、社会的に失落させ、これからの長い人生をこれからもっと狂わせようとしている最悪の元凶が言うのもなんだが。


 そう、俺からしても自覚はあった。だからと言ってこの見知らぬ土地で独り逃げ延びるだけのサバイバル能力なんか無いし、王宮の命令に従って使い捨てにされるのもゴメンだ。だから現地人の協力は欲しい。


 矛盾の元となっているのはおのれのワガママだと分かっているし、その理由付けとしてこの星が抱える問題に乗っかっているだけ。女の子ふたりの善意を利用するだなんて自分でも卑怯だと思うが、ふたりはふたりで心に秘めた欲望や目的を達成するために俺から離れないのだから――と、また順々巡りの言い訳となってしまう定期。


 ミアと俺の二人だけならばどちらも逃亡犯の悪人として片付けられたが、ソフィアみたいに貴族と友好関係を持つ社会的善人の生活をこうして惑わせてしまうと流石に後ろめたく思ってしまう。


 どうしたものかと頭を悩ませながら無駄な思考を止めるために後ろへと振り向き、必死で後を付いてくるあどけない少女の姿に目を遣ると、あら不思議。萌えはすべての煩悩をひとつに集約させてくれる効能があると悟りました。今はいいや、成り行きに任せよう。俺にはもうそうするほか手がない。


 目を戻すとソフィアは脚が悪いだけあって、やはり多少は歩き難そうな様子ではあったものの、杖をつきながら上手いこと片足を引きずって俺たちのペースに合わせてくれていた。


 色白でひょろりとしているインドアさんを置いていくわけにもいかないので、こちらも歩く速度を緩めて隣に寄り添い、並んで歩く。泥棒猫は明らかに焦れったそうな様子でテクテクと前を行っているが。


 短時間で見ればそこまでの遅れは無いにしても、一日の総合で考えれば今までの調子では距離を稼げないかもしれない。だが、あからさまに鬱陶しそうな背中を見せてさっさと先に進んでいくのはどうなんだ。


 ソフィアの返事に満足したのか、それとも不満を押し殺してるのか。テレパシー能力者ではないので背中だけでは判断できなかったが、そのしっぽを見る限りでは軽く左右に揺れているのでリラックスはしているらしい。


「あまり無理しないようにね」


 脳内に蔓延る雑多な思考を霧散させるようにして伝えると、きっと常人よりも体力の消耗が激しいだろうに、「大丈夫」と一言だけ口にして歩みを止めようとしないソフィア。いつからそうなってしまったのかは不明だが、ソフィアからすればもう慣れたものなのだろう。今はその言葉を信じて見守るほか無い。


「さっきからずっとモグモグしてるけど、なに食べてるの?」


 辛そうな表情も見せずに清まし顔で歩を進め、特段これといって汗もかいていない平気そうな横顔を眺めてみると、歩きながら微かに顎を動かしており、頬もぷっくりと膨らませていてなにかを噛んでいる様子。


「これ。あなたもいる?」


 ズボンのポケットから取り出して見せてくれたのは、小さな麻袋であった。広げてくれた中身を覗き込むと、ハッカアメのような色をした形も色も不揃いな小粒が無数に入っており、見方によっては白い小石のようにも見えた。


「それなに?」


「乳香。樹液を固めたもの」


「甘いの?」


「食べてみれば分かる。一個どうぞ?」


 奥深いアメジストの瞳をこちらへと向けて、そよ風になびく横髪をサラリと唇に落としたソフィアから一粒貰い、口に含んでそっと噛んでみると、ただひたすらに無味だった。乳香――つまりお香と言うだけあって仄かに風味は感じられるものの、まさに樹液を固めただけの味のない柔らかなガム。あまり美味しくはないが、口寂しさを誤魔化すには丁度良いかもしれない。こんなものを好き好むだなんて、この人は多分、乳香中毒者。甘い味が付いたガムに慣れているので、病み付きにはなれそうになかった。


 それからしばらくゆくと森の裏手から街道沿いへと出たらしく、小道を取り囲む雑草は相変わらず鬱蒼としていてまるで笹薮のようであったが、幾分か見晴らしが良くなって空も広々としたものへと移り変わり、遠くの方には砂色をした城塞都市の壁、そしてそこへと向かって伸びている主要街道が目に入ってきたのだった。


「あの道って、荷馬車に乗せてもらった道?」


 小道と並走するようにして位置する、海原のような草原を隔てた先にあるその街道を眺めながら、少々声を張り上げて前を行く背中に声を掛けてみると、歩みを緩めてこちらとの距離を縮め、「そそ、街をつなぐ塩の道」と同じ方向を眺めながら教えてくれるミア。草原と森しかない辺鄙な場所なので、方向感覚が鈍かったとしても流石にこの程度の地理感は自分でも掴めていた。


「この先に街道と合流する脇道がある」


「んー、ボクはやめたほうがいいと思うな~」


「なぜ?」


「ネコの勘、かな?」


「わたしの霊感は平気だと言ってる」


 などと言い合っている会話を聞き流しつつ、青と緑の境界線を無心で眺めながら歩いていると、ふとそんな折、隣の街道を駆けていく小規模の隊列が後方からやってきて、視界に映り込んできたのだった。


 視線を定めて見やると、灰色の体毛で上顎の牙がやけに発達しているオオカミとウマの混血的な見た目をした謎生物が、メイド姿のお姉さんや幾人かの平の兵士、荷物などを背中に載せて列をなしており、それはオオカミとウマのハーフとしか言い様がないので今は良しとして、その先頭を走る一頭だけが別種の動物で、どこか妙だった。――もう全部の生き物がヘンだけど。


「じゃあ、あのシカみたいな生き物は?」


 螺旋状に捻れた二本角を頭に伸ばす、馬ほどの体躯をした生き物はどこかカモシカにも似て赤褐色の体毛をしており、顎から前脚へとかけて長い髭を垂らしていた。その背中には甲冑を身に着けた若い娘の姿があり、ハーフアップに結び上げた真紅の髪をなびかせて先頭を切っている。駆ける速度は砂煙が舞うほどであった。


「あれはマーコール。ヤギの王とも呼ばれる生き物。あちらから来た人々はそう呼んでいた」


「ヤギにしては大きい気が……てか人なんか乗せて走れないでしょ」


「見た目は似ていても違う生物。便宜上最も似ている生物の名を当て嵌めて呼んでいるだけ。主に人を乗せて軍事に使われる。足腰も強靭で岩場も易々と跳ね……」


「いいから伏せてっ……!」


「……て、進める」


「勘もバカにはできんな……」


 急いだ様子で急にバンザイしたかと思えば不意に頭を掴まれてソフィア共々その場にしゃがみ込まされてしまい、ようやっと事態を把握するに至ったのだった。


 呑気にお喋りしていた危機管理能力の低さ、緊張感の無さ、その危うさに我ながら気付かされながら、目の前に訪れたミアの生脚から目をそらし、尻もちをつくようにして座り込んだ幼女のカボチャパンツからも目をそらし、ゆったりとした男物のズボンを眺めながら今更ながら声を潜めてフードを深くかぶる。見惚れている場合じゃないのは分かっているが、つい目が行ってしまうのだから困る。ヤレヤレだぜまったく。


「あの道は主要な街道だからね、中央から放射線状に放ったのかも」


「やっぱソフィアの小屋で様子見たほうがいいんじゃ……」


「小屋じゃない、屋敷。わたしの家はいずれバレる」


「一箇所に滞在していたら噂が立ってすぐに捕まるし、誰にも姿を見られないように部屋に閉じ籠もったまま死ぬのはキミだってイヤでしょ? キミの手で自由を勝ち取るんだよっ!」


「どうやって……」


「それを模索するんだよっ!」


 街の方へと去っていった王宮の衛兵らしき後ろ姿を見送ると、周囲を警戒しつつ立ち上がり、どうしたものかと頭を悩ませてしまった。こちらの事には気付いていない様子ではあったが、執念深く追い掛けている姿をまじまじと見せられてしまうと気が張り詰めてしまう。逃亡犯なのだから当たり前なのだろうが、完全に気を抜いてしまっていた。


「それにしても困った、あの街を目指していた」


「ボクは最初から行くつもりなかったけどね。ボクたちは逃亡の旅をしてるんだよ? あの街は大きすぎて噂になっちゃうよ」


「近くに他の街は無いの?」


「ボクはともかく、野宿する為の装備なんて全員分持ってないしなぁ」


 最初からパンツ一枚と干し肉くらいしか持ってないだろうに、そんな事をわざとらしく言ってミアが困った困ったと意地の悪い顔を作ってみせると、


「装備は大丈夫。地面で寝るのなんてイヤだから持ってこさせた」


 こちらと一緒に座り込み、よいしょっ……という声が聞こえてきそうな調子でやっとこさ立ち上がった隣の人工精霊に目を配らせ、表情一つ変えないソフィア。


 小さな両手で頑張って持っている重そうな手提げ鞄の他に、小さな背中に背負っている大きなリュックの上部には丸められた敷物の類いが留められており、確かに装備は足りてそうな雰囲気ではあった。


「ここから少し歩くけど、あの街の更に先に小さな村がある。昔、師匠と共にたまに出向いて治療を行っていた覚えがある。そこなら一泊くらいはできると思う」


「ならそこを目指そっ!」


「いやでも、あの街を見回ったら次はそこに来るんじゃ……」


「衛兵たちはしばらく街に滞在し、聞き込みにも時間を要するはず。村で一晩泊まったらすぐに出立すれば良い」


「背後に迫ってる状況で寝ろとか言われてもな……」


「因みに、一泊だけ野宿となる」


「てことは、二晩ほど街に滞在してくれる事を願うしかないんか……」


 これじゃまるで宿探しの旅だな……。


 逃亡生活は身を隠せる宿を探すのがメインであると思い知らされた。早いところなにか手を打たなければならないかもしれない。敷物があるなら少しはマシだが、テントくらいは欲しいものだ。


「その前にわたしは街に立ち寄る。あなた達は街の外の茂みで少し待ってて」


「どちらにせよ街には寄らないと物資が心許ないということね」


「わたしなら堂々と買い物もできる。知り合いの店で山籠りするとそれとなく言いふらしてくる」


「やっぱウソつきじゃん」


「嘘も方便。これは必要なブラフ」


 詭弁な気もするけどまぁいいや。それにしてもなるほど、誰にもマークされていない協力者が居るのは助かる。野宿だけは心底嫌だが、そうは言ってられないか。

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