040 第十四話 蚕色の女児
翌朝目が覚めると、そこには幼女の姿があった。おっと先走るなよキョーダイ、そう急ぐな。決して説教臭い水溜りじゃあない。違う幼女だ。それもちゃんと肉体を有している、ロルィ~タだ。
順を追って話そう。俺は、砂糖たっぷりのホットワインをたらふく頂いてから柔らかなベッドへと潜り込み、人生初となる全裸の姿で就寝した。
お前らは真っ裸で寝たことはあるか? 無防備極まりなかったが、案外爽快だったぜ☆ これがリア充の寝姿かと感慨深く思ったものさ。
――なんだ、頭は大丈夫かって? おいおい冗談だろよしてくれ。俺からしたらメイビー五日、お前からしたら約二五〇分の仲じゃねぇか。まったくヤレヤレだぜ……大丈夫なわけがないだろファッ○(ピーッ!)
ゴホン、いいか続けるぞ? 俺も精神的に参ってるから普段の調子に戻らせてもらうが、翌朝、サイドテーブルの上に畳まれていた自分の衣類に腕を通して一階へ降りると、階段前の玄関ホールには旅行用の手提げ鞄と大きなリュックが置かれており、ソフィア達の旅の準備が既になされていた。
俺だけ手ぶらか……ま、執事さん乙。
用意されていた大荷物を横目で眺めながらダイニングへ向かうと、そこに居たのは替えの下着一枚で野原を駆け巡る――とか言ったら語弊があるかもしれないが、真新しい包帯に交換されている脚を組みながら卓上に硬貨を積み上げて数えている背中と、名札付きの肩ベルトを調整してダボついたズボンを引き上げている姿、そして、銀髪美しいソフィアの前に跪いてブーツの靴紐を結んでいる、白髪ショートな女児の姿があったのだ。初めて目にするその幼気な姿に、扉を開けたまま棒立ちとなってしまったのは言うまでもない。
「ダレキミ」
「起きたね。では出発しましょう」
「いやメシもまだ……というかその子はえっと」
「ご飯食べると足が重くなっちゃうよっ」
部屋の出入口で突っ立っている間にも、こちらの存在に気付くやいなや椅子に立て掛けていた杖を掴んで意気込むソフィアと、机に並べていた金銀を掻き集めて一気に袋へと仕舞い込み、すくっと立ち上がるミア。
昨晩までこちらを見下ろしていた執事の姿はどこにも見当たらず、誰にも答えてもらえず――。横を通り抜けて先に玄関へと向かったそのロリっ子にただ睨み上げられるのみであった。そこまで腹が減っているわけでもないから朝食抜きは別に良いとして、すれ違いざまにガン飛ばしてきたあの子は誰だよと。
そうしてモーニングティーを嗜むヒマもなく早速出立となり、頭にハテナを浮かべながらミアに背中を押される形で屋敷から放り出され、よく手入れされた前庭へと躍り出ると、先に外に出てこちらを待っていた女児の手には先程の旅行鞄が握られており、その背中にはロバが如く巨大なリュックが背負われていたのだった。
「え、この子が持つの……? 女の子がそんな大荷物持ってるとなんか可哀想に……ってか執事は?」
「男の姿だと目立つ。あなたもこれを被って」
「は?」
あまりひらひらとしていない古めかしいデザインのエプロンドレスを身に纏い、重そうな鞄を両手で持って身体の動きを静止させている女児を見下ろすと、命令を待つかのようにしてジトッと伏せている目付きはどこか鋭く、言わずもがな色白な肌や髪色に関してもあの執事と同じものだった。まるであの執事と血の繋がった妹のよう。ソフィアから手渡されたフード付きの外套を手にして、しばらく呆気に取られてしまった。
「この子は執事さんだよ。ほら行こっ?」
隣から割って入ってきたミアに促されて外界へと一歩踏み出しながら一言で纏めると、男を引き連れていると目立つということで、お供の人工精霊は可憐な少女の姿に変わっていた。
どうやら自在に姿を変えられるらしく、高身長のクール系お兄さんからロリっ子に姿を変えているのだからギャップがすごい。「わたしも女子。知っている。故に、機能もあるよ」とのこと。知っているからってそこまで精巧に作らんでも。
「それに空間に満ちる動物磁気――つまりプラーナ、あるいはマナ、もしくは気を常時吸収しているから疲れはない。平気」
その上、生きている諸生物とは異なり疲れ知らずでメシも食わないらしい。動力源の名称すらも断定出来ずに大丈夫なのだろうかと思ってしまったが、動けばなんでも良いのだろうきっと。
「好きに使って。あなたの気を注いで貰えれば、もっと存在が確固としたものになる」
「そ、そっすか……」
苦笑を返しながらジャーマングレー色の外套を広げてみると、それは袖口の無いフード付きのマントであった。年季の入った古風な見た目とは裏腹に埃っぽさは感じられず、手渡すことを想定して他の衣類と一緒に洗ってくれたのかもしれない。しかしよくよく観察してみると所々に細かな穴が空いており、酷使された後のお古のようであった。
自然と脳裏に浮かんできた残酷な光景から目を逸らしながらそれを羽織ると、逃亡犯らしくフードを頭に被って、ソフィアに付き従うクール系ロリを横目に見遣る。
あまり長時間眺めていると一目惚れしてしまいそうなほど、ソフィアから一歩下がった所で陽の光に照らされながらトコトコと歩いているその子は可愛らしく、ホワイトアウトする姿はまるで精霊のようであった。いや実際にそうなのだろうが、眼だけを上に動かしてこちらを見上げる眼差しは三白眼のようにも見えて、不良っぽい女の子の魅力がですね。
「元は幽霊で、ただ実体化してるだけってことでおけ?」
「おけ? おぅけぃなら知ってる。でもそうなる。幽霊とは少し違うけど」
「ってことはトイレにも行かず、汗をかいたとしても結露みたいなもんで……。俺、この子を正妻に迎えることにした。いやぁ、肉体を有してないなら生理的嫌悪感も抱かないハズッ!」
はて? と小首を傾げてみせたソフィアから斜め後ろへと目を戻して歩みを緩めると、蚕みたいな色をしたその頭にぽんっと手を置いて、手のひらから伝わったお日様温度に癒やされながら数億分の一人として選ぼうとしたのだが、
「触るな、鬱陶しい」
いかにも嫌そうな顔で拒絶されてしまった。その顔は怪訝なんてものじゃない、本気で嫌がってる女児の顔だった。
「性格に難あり……おい設計者! 性格プログラムの変更を求む!」
「ぷろぐら……あなたを拒否する方向で組み直す」
「いくら御主人様でも召使いへの嫉妬はいけないと思います」
「夢うつつに浸らせるわけにはいかないもんねっ! やっちゃって!」
「うん、もう伝えた」
ミアまで加担して反対してくるとは思わなかったが、いくら人造人間みたいな精霊といえども、人の意識がそんな短時間で変わるわけがない。そう思って、
「ヘイキミ、お兄さんと遊ばない?」
腰を屈めて大丈夫だよ、安全だよ、と伝えるためにニコッと微笑み掛けてみたものの、
「近寄らないで、変質者」
結果はあえなく撃沈。女児から返ってきたのは、まるで犯罪者でも見るかのような眼差しでした。
「ここでもちびっ子への愛は叶わないのよぉおお……!」
ため息を吐き出すようにして掠れた雄叫びを上げるしかなかったよねうん。
「キミ、ちっちゃい子が好みなの?」
「いや別に? 恋愛とかよく分からんけど好きになった子が好きかなぁ。でも肉体を有してないのが大きいな! 潔癖と言うほどではないけどさ、他人ってちょっと、ね……。あ、でも、好きになったら歳上でも構わない。なお、好きかどうかの基準はペロれるかどうか。つまり、生理的嫌悪感の壁を突破するかどうかであって……」
すべて実体験を伴っていない自己分析の結果でしかなかったが、とかなんとかと語っている隙にも隣へとやって来て「なら、ボクはペロれる……?」と、どこか真面目な顔で見上げてくるミア。頭から生えている両のネコ耳を立ててこちらの返答をじっと待つのだから気まずい。
「えっと……ドウカナ」
まっすぐ見詰めてくる真鍮色の瞳から視線を反らし、口籠るしかなかった。結構平気かもしれないと思えてしまった。自分で言うのもなんだが、チョロイな俺って思いましたまる。
「それよりもさ!」
気を取り直して前から覗き込んでくるミアに背中を向け、視界の隅に映り込む幽霊少女をそれとなく眺めながら隣のソフィアになぜ執事はそんな髪色をしているのかと訊ねてみると、「男の人はみんな髪が白いと思ってた」とのこと。老人と共に僻地に引き籠もっていたらしいし、世間知らずでも無理はない。そもそも、男を知らないのだから仕方ないのかもしれない。
「それって他の姿にも変身できるの? 例えば人間以外とか」
男の姿から小さな女児の姿へと変身出来るならば、それこそ伝説上の聖獣にでも姿を変えれば超強いのでは? 術者が倒れるまでは不死身みたいだし、そうすれば魔獣なんかも怖くなくなるだろう。と内心で期待を抱いてみたものの、話しはそう簡単なものではないらしく。
「物質的な干渉ができないただの人工精霊ならともかく、ありありと想像できるものしか物質化はできない。故にドラゴンなどは不可。解剖学の知識はそこまで必要無いけど、実際によく観察したものに限る。これは、写実的な絵をモデル無しで描くのにも似ている。儀式の際はぼんやりとでも実体感があればオゥケィだけど、物質化させるとなると難しい。これは想像力が全てであって、細かく想像できないものは創造も行えない。肌の質感や筋肉の弾力、匂いや味なども含め、五感全てで想像がなされなければならない」
とのことだった。ってことは、執事の姿はそれだけ強く想ってたということか……。ジト目の執事は話していてもあまり人間味が感じられず、眼付きが悪くて何を考えているのかがよく分からなかった。
今は幼女の姿をしているが、厨二病の女学生がクール系とか言って憧れるタイプだわこれ。眼鏡もワイヤーフレームのオーバル型だったし。女子の厨ニ病ってまぁでもこんな感じよね。詳しくは知らんけどさ。
そんな事を考えながら歩幅を緩め、荷物を持ってくれている幼女の肩に改めて触れてみると、温かな皮膚の内側に硬い骨の感触がまじまじと伝わり、顔を近付ければ肌の匂いまで感じられそうなほどリアルであった。
「あー、なんかまた胸が苦しくなってきた。罪深き幼女……」
「師匠に聞いたけど、あちらとこちらとでは空間に満ちる気の密度が違うらしい。故に、わたしみたいなヒヨッコでも物質化ができるみたい。おそらく、食べ物や空気に含まれる気が多くて、物質的にも霊的にも肉体が活性化してるんだよ」
確かに”氣”という字には食べ物のコメが入っているし、食事は身体活動の源であるのは事実。マナだのプラーナだの言われてもよく分からんが、食材に含まれている栄養素が豊富であると考えれば、腹の奥深くから込み上げてくるこの感覚も、意識的に抑え込まなければならないほど身体に力が満ち溢れていることも納得がいく。だとしたら筋肉痛もはやく治れよと。動いている時はまだいいけど凝り固まってて痛ぇよ。
「そんな話しはもういいから、契約の話しをしようよ。対価として金銭的に援助してくれるのは分かった。もう一度訊くけど、キミの目的は?」
背の高い雑草が左右に生い茂っている細い草原の道をゆきながら、視界が開けた場所に躍り出て一目散に駆け出したい謎の衝動に駆られていると、犬みたいな人間のリードという名の袖口を引っ張ってソフィア達との間に立ち塞がってみせたミアは、軽くよろけてしまったこちらの事などお構い無くジロリとソフィアを見上げてわざとらしく小首を傾げ、それこそ話が付いているだろう質問を再三繰り返して、諦め悪く男を独占するための糸口を探ろうとしてみせたのだった。ソフィア達との距離を離したかっただけなのは容易に察せられた。
「んー。魔術師として内なる聖守護天使との対話を行うのもあるけど、この子――人工精霊の完成のために男子を観察させてほしい。完全なる”男子”を造り上げるのがわたしの最大の目的。ホムンクルスは成功した覚えがないし、小さいからどっち道使えない。師匠が残した魔術書も読み解かなければならない。因みにこの子の目的、存在理由は、わたしに付き従いお手伝いをすることのみ。だから安心して」
「新人クンを寝取ることが目的じゃないなら許すっ」
いやあの、いつ正妻になったんっすかね……。それに、男を観察させてほしいの中にはイロイロと含まれているような気もするんですけどそれは。
ともかくこうして、魔法が使えない錬金魔術娘と、男の顔をした中性執事(今は幼女)が正式に旅のお供となったのであった。




