039
「例えば、宗教は自らの意思で選ぶのではなく、あちら側から選ばれるもの。それが理解できぬ者はどの信徒にもなれない。例えば、魔術の師は自ら探すものではなく、整い次第、自然と引き合わされるもの。偶然も後々振り返れば必然であると悟り、自我によって拒絶したことを後悔することにもなる。訪れた流れに身を任せるの。それが幸せへの道。だから、わたしと結ばれるべき」
「最後の最後で単刀直入な”我”が出てるんですけどそれは……」
「湧き出す欲求には素直に従う。これも真我による天啓の一種であるとわたしは思う」
「口が達者なのはいいけどねっ、この世界はチカラなんだよ! ボクなら川に石を放り込んでボクの好きな流れにしちゃうねっ!」
もたれ掛かっていた椅子から跳ね起きてソフィアのグラスに追加のホットワインを注ごうとしていた執事の手から小鍋を奪い取り、自らのコップに波々と注いでみせるミアだったが、
「そして人工的に制御された挙げ句、ある時を境にして川は氾濫し、全てを失う。コントロール出来ない物もあると愚かな人類は知るべき」
コップを持つミアの腕を杖で小突き、シャツ一枚で露出している太ももへとワインをこぼさせてみせるソフィア。お淑やかな外面の中になにかを感じ取ってしまった。これはそう……優しい顔した人ほど怒らせると怖いってやつに似てる。
「ナッ……! そ、そんなのボクも知ってるよ!」
「この巡り合わせにはきっと意味がある。星、国、人、時……確率で考えれば誰だって異常であると気付くはず。偶然で済ませようとするのは人間の悪いところ。意識の恒常性システムによって見て見ぬ振りをしているだけ」
何事もなかったかのようにグラスを差し出して執事にワインを注いでもらうのだから恐ろしいものである。粉々に散った先程の試験管よりも今の方が怖いまである。人と人との対立はあまり見たくない。自分が原因となっている現実から目を逸らしたかった。
「それならボクたちだって奇跡だねっ」
「ネコは力ずくで攫っただけでしょ? 奪ったものはいずれ失う。今までに散々経験してきたはず。そのコップを見てご覧なさい、それがあなたの手の中」
「ま、まぁ! 魔術談義はそのくらいにして、ほんとに着いて来るつもりなの? キミを養う余裕なんて無いよ。二人でもカツカツでさぁ~……」
などとわざとらしく困った素振りをミアが見せていると、
「お金はある」
いつの間に準備していたのだろうか、隣に立つ人工精霊から大きな革袋を受け取ってソフィアが紐を解くと、中には大小の金貨がこれでもかと仕舞われており、気が狂うほど金色の光を放っていた。
ミアと一緒に覗き込んでみると二色成形の特別硬貨までちらほらと顔を覗かせており、総額はいったいいくらなのだろうかと固唾を呑んでしまった。きっと貴族から巻き上げた金なのだろう。
「こんなにも溜め込んで……この国に銀行ってないの? なんか怖いんだけど」
「あるけど、脚がこれだから。人除けのまじないに護られているから盗賊の心配もないし」
すぐ隣に盗っ人が居るのですが、それは……。
自宅で商売をして、買い物も移動販売の商人に来てもらっている感じか。それで郵便とかも同じくっと。代金引き換えで済ませられるのなら、一歩も外に出ずに暮らせてしまえるのかもしれない。
「脚が悪いのはわたしも承知している。ワガママを言っているのも分かっている。きっと迷惑も掛ける。だから、旅を支援するパトロンになる」
「ぐぬぬ……これは卑怯だよ……」
見せ付けるようにして床に置かれた革袋の中身から、俺もミアも目を離すことが叶わなくなってしまった。こんなにも大量のカネを目にしたのは初めてだ。この調子だと隣のミアも同じくなのだろう。気が付けばふたりして前のめりになっており、金貨の魔力に惹き付けられてしまっていた。
「この子は荷物持ちにもなるし、偵察も行える。きっと役立つ」
「はぁ~……仕方ないにゃぁ〜」
気を取り直すようにして聞かされたその真面目な声を受けると、腕を組んで背もたれにそっと背中を預けるミア。
必死で抑え込もうとしているのだろう、合わさった唇はぴくぴくと震えており、その口元には隠し切れない笑みが浮かんでいた。まるで金に目が眩んだワルだ。ぜってぇ金に釣られたな、このネコ。
「コレは全部もらえるのかな?」
「そんなわけないでしょ。必要な時に必要な分だけ出す。それが支援者パトロンの役目。それに、この屋敷を出ることはわたしにとって仕事を失うことを意味する。底が尽きないように気を付けて」
欲深いというか強欲というか……。頭にかすったとしても即座にそんなわけないと自分でツッコミを入れて黙っているのが普通だろうに言ってしまうのだから、少しでも可能性があるなら掴もうとするその前屈みの姿勢に呆れてしまう。
いや、そのくらい欲が強くないと、必死で前向きにならないとこの世界で生きていくことは難しいのかもしれない。まぁこれはあちらの世界でもそうだったのだろうけども、この俺にそんな力はあるのだろうか。なんか不安になってきたお……。
「あのさ、もう少しだけここでゆっくりしていかない? ほら、ここなら人も少なくて噂も立たないだろうし」
お陰さまで疲れは取れたものの、全身の筋肉痛は未だに続いており、まだ完全には癒えてなかった。王宮を脱してからというもの移動続きで頭の整理も出来ていない。正直に白状すれば甘え心が芽生えてしまった。
「後回しにされそうな方向には移動してきたけど、だからといって来ないとは限らないし、時間が経てば経つほど難しくなってくるんだよ。今頃はボクたちの後を追うようにして周辺の街や隣国へと通達が届き、街に入ったら即逮捕なんて事にもなりかねない。急がないと亡命の道も閉ざされちゃうよ」
しかし泥棒猫は許してくれず。そのお言葉は厳しいものだった。仰る通りだ。こう見えて冷静に考えてくれているらしい。
「そうね。この家は確かに安全かもしれないけれど、いつ貴族が訪れても不思議ではない。その度にやり過ごすとしても、いずれは」
「そういえば貴族連中に薬を売ってるんだっけか……」
「同罪者として共にする覚悟はある。この子も含め、全力でサポートする」
「キミにはこのまま家に残っていてもらいたいけどね。だってキミが居なくなったら行方不明者として捜索されちゃうでしょ? 二重で探されることになるのはゴメンだね」
「そこは大丈夫。修行の為に山籠りすると、置き手紙を残しておく」
「そんなんで信じてもらえるのかなぁ~」
まぁ常識的に考えて、こんな細い子が山に籠もって険しい修行を行えるとはあまり思えない。ミアの言う通り、時間稼ぎにしかならないだろう。
「それにわたし、嘘はつけないの。ごめんなさいね」
「嘘ぐらいつけるでしょっ!」
「欲求に素直なネコと同じく、わたしも素直だからそれは無理」
まさに今ウソをついた気がするのですが、気の所為ですかね。これ以上場を乱すわけにはいかないから口には出さないけども。
「うぅ~……悔しいけど、今はそういう事にしといてあげるっ」
出会ったばかりの人間を信用しろと言うほうが難しいだろう。後ろを振り返って肝を冷やすくらいならば、目の届く範囲に置いて監視しているほうがまだずっと安全であると踏んだらしい。賢明な判断なのだろうが、この子にしてやられた感じがした。




