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「にしても、こっちに来ると言語の壁が無くなるなんて不思議だね。どうなってんの?」


 そのか細くて美しい指の動きを眺めながら訊ねる。否、話題を変える。名を教えられ、それに応えないのは、とてつもなく失礼に値すると自覚してはいるが、本名で呼ばれるのは嫌いだし、かといってシコティッシュも嫌だ。


 もっとカッコイイ通名をあの時教えていたら……。過去を変えたくて仕方ないっす。――とかなんとかと過去を悔やんでいる間にも、隣のソフィアは語ってくれていた。


「時空を超えるにあたって人間の言語領域が改変され――いやもしかしたら此処は別の物質界であり、星幽において言語不要となるに等しく、見聞きしたものは意識の網目を通って、オゥトメティック・トレンズレィション? される。って、師匠が言ってた」


 オートマチック・トランスレーション……つまりは脳が自動翻訳してるって事か。確かに自動でなにかが成されるものが存在していたとしても、こんな辺鄙な環境じゃ言葉自体に馴染みがないだろうし、統一言語ならば翻訳なんてもってのほかだな。


「記憶力いいっすね……」


「口伝の基本は記憶力の強化から始まる。あなたの発言も重要と思われる箇所は全て記憶している」


「俺の発言は全て軽率なのでその必要は不要です」


 なにかを考えてから口にするよりも、先に言ってから辻褄合わせするダメなタイプが私ですどうも。気になる事だらけで次から次へと質問が湧いてきてしまう。これは一種の衝動だった。


「でもさ、話す言葉は分かるのに文字は読めないんだけど?」


「文字は記号だから、他者との共通認識があって初めて成り立つ。これは数字も同じ。縦棒を三本書いて幼児に意味を訊ねても『ぼうとぉ、ぼうとぉ、ぼおっ!』としか答えられないけど、私達は即座に『3』と答えられる。読み方や意味を知らなければ分からないのも当然。文字を習う前の幼い子供でも会話は出来るでしょう?」


「なるほどね」


 冷静に応えたが、内心では悶えていた。激しく萌えていた。クールとも受け取れる女の子が元気いっぱいに幼児言葉を口から発するのだから、萌えるのも仕方ないとは思わないか諸君皆々。


「この星の言葉が、あなたの故郷の言葉に聞こえているという事は、言語学的な体系に則って読みを覚える方法ではなく、その記号の羅列が表す意味を直接覚えるしかない。これは木々や虫たちの名前を覚えるよりも困難な作業となる」


「諦めました」


「うん。故にわたしも諦めた。わたしにもこちらの言葉に聞こえてしまっている。この星に存在しないモノの名前や言葉はそのまま聞こえるけども、それを足掛かりにして労力を割き、習得できるのは言語学者のみ」


「でもさ、言葉を即座に変換……トランスレーションしてるって、よく考えたら脳すげぇ……」


「それは脳が混乱に陥るのを避けるため、意識の検閲官と呼ばれるものがあなたの中に居て、入ってくる情報を監視、精査、取捨選択し、時に変換もしている。これは人間の潜在意識に備わった一種の防衛機構。茶漉しのようなもの。肉眼、心眼問わず、見聞きした情報を全て表層の顕在意識で受け取っていたら生活に支障を来たす。だからあなたのすぐ目の前に、本当は今も妖精が飛んでいるかもしれない」


「うん、よくわからん」


「誰でも一度は幽霊を視てるもの。ただ、気のせいにしてすぐに忘れているだけ。いちいち見ていたら頭がおかしくなる。みな、これが働いている。見たいものしか見れないし、意識を向けている先しか知れない。幽霊なんて見えても何も得しないから」


「あぁそれなら分かるよ。ってことは、その働きによって言葉が変換されてるとしたら、ソフィアも含めてみんな人間に見えてるけど、実はもっとヤヴァイ姿だったりして……」


「だとしても人間に見えている時点で、あなたにはそうとしか見えないとも言える。もしも真の姿があったとしても直視不可。記憶にもきっと残らない。わたしが言う赤と、あなたの言う赤、本当に同じ色を見ているのかは誰にも証明できない。異なる可能性だってあるけど、人間に見えているのなら、あなたにとってわたしは人間。それでいい」


「でもさ、本当の姿があったとしたらさ、触ったりしたら感触が違うはずだよね?」


「真の幻覚は五感を伴い、妄想に溺れれば数字も変わる。心の網を甘く見ちゃダメ。あなたはまず、潜在意識の奴隷であると自覚し、その上で幼児が如く意識的に選択した方がいい。そうすれば、いずれ、望む未来へと近付ける」


「ゴメンナサイ、ワカリマセン。話しを変えてもらっても……。あぁそうそう! 夢の箱とやらはなにやつで?」


「夢の箱は、みなが共有するこの現実を変えるものと云われている。全人の集合的無意識ひいてはパーソナル・リアリティに働き掛け、なにかひとつ、常識を変える。みなが見る景色が変われば客観が変わり、それは現実が変わったも同然。樹木の幹に薬を注入したら全ての葉は元気になる。みな、繋がってるの」


「箱ってことは、それはどんな……」


 そう疑問に思った矢先、


「なに話してるのかにゃぁ~?」


 ネチッとした声が背後から聞こえてきたかと思えば、あろうことか行儀悪く机の上に座り、手にしたホットワインをグイッと仰ぐミア。お手伝いから戻ってきたかと思えばこれなのだから呆れてしまう。


 流石に真正面ではないものの、視界の隅に入り込んできた生脚の威力はとてつもなく、あまりのキワドサに、今まで聞かされていた話しが全て丸ごと綺麗サッパリと吹っ飛んでいった。


 なぜ女の子の肌はそんなにも綺麗なのか。虫か? 虫を食ってるからか? 栄養豊富だしあ・り・え・る。


「やばいよミア、この人でむぱだよ……」


「でむぱ? まぁでも、魔術師はみんなそんなもんだよ。だからこそ魔術師なんだけどさ。ボクにもさーぱりっ。あんまりマジメに聞いてると気が狂うよ?」


「既に頭が可笑しくなりそうでやんす……」


「全部聞こえてる……」


 わざとらしく肩を上げてわかりませんのポーズをしてみせたミアから咄嗟に目を戻し、食事の際にミアが座っていた隣の席へと急ぎ顔を戻す。


「いやあの! そういう意味じゃないというか……」


 明らかにションボリとしている弱々しい姿にあたふたしてしまったが、ミアとは違ってソフィアのこれはお遊びなのか本当の落胆なのかが判別出来なかった。またしても話題を変える他なさそうだ。


「そうだ! ならさ! 川姫って知ってる? 小川の精霊なんだけど、最初から見えてて不思議というか……」


「美しい少女の姿をした、魔性の妖怪。一目見たらみな瞬時に惚れ落ち、近寄ったものを飲み込む者……。それはなにかしらの物質を纏っていたが故に、肉の眼子に映ったと推察する」


「そうそう、水を纏っててさ。うるせぇのなんのって……」


(うるさいとはなんじゃ! 静かに黙って見守っとろうが!)


 愚痴った途端に頭の中のみならず身体全体から響き渡る幼気な声に対し、諦めにも似た慣れを抱きつつあった。まぁ吠えるとは思ったよ。想定済みだしスルーしとこ。


「どんな姿をしていたかは知らないけども、真の姿は可憐なはず。とても美しいと聞いている。恋、してしまうかも」


「白のワンピース着てるのは薄っすらと見えるような? でもまぁ可愛いよ。なんか小さくなっちゃったけど」


 なにかしらの反応が来ると想定して口にしたのだが、特段これといって反応はなかった。黙っているという事は照れてるのだろうか? だとしたらちゃんと女子してんだなぁと。


「でさー、川の水飲んじゃって、ソレが身体の中に居るみたいで」


(ナッ……ソレと申すかこやつ……)


「同化……いや、居ると言う事は守護……。いや、寄生……」


「今なんかキモイこと言ったのは気のせいでしょうか?」


「人の気を吸い、病をもたらす、寄生虫的な神霊が居るのだけど、でも見たところ元気そうだし……」


「えぇ元気過ぎて困ってます。発散したいくらいです」


 ドコとは言わないけど。


「なら、共存共栄の関係なのかも。身体の外側を包み込む半霊半物質的なエーテルの殻に傷がついたり、あるいは他者からの念が染み込んだりするのだけど、そこに融合してるのかも。視てあげる?」


「え、診れるんっすか? お願いしますよマジで!」


 すると背筋を伸ばして座り直し、距離を取るように顎を引いて目を細めると、微動だにもせずにこちらの姿をまっすぐ観察し始めるソフィア。


 ふたり見詰め合う無言の気不味い空気が流れたかと思えば、しばらくして口を開くとこんな事を言うのだった。


「殻の、中に居る。エーテル体と共にある。番犬のよう」


 言葉通りにマジで器にしてんのかこの幼女。しかも肉体とそのなんちゃらとの二重でか……。


(せ、成長したらいずれ独り立ちして川となる! 妾も不自由な我が身に我慢しておるのじゃから、ぉ、お主もだな……)


「その殻ってのはなんなんすか?」


(無視するなぁっ!)


「外敵から身を護る、霊的なバリアのようなもの。カタチは卵の殻に似ている。身体に触れてもいないのに近付いただけでゾワッとする人がたまに居ると思うけど、それは身体を覆う殻の波長が余りにも違い過ぎるが為に摩擦しているの。比喩だけど」


「あるある! それだったんかぁ……確かに見た目は普通なのにキモイ奴居るわ。んで見た目はアレなのに結構平気だったり。パーソナルスペースってやつですね」


「色、波長、周波数……色々と言い表せるけど、あなたが青とすれば、平気なら隣の青緑だったのかもね。とにかく、傷や他者からの念の類いはあんまり混ざってるようには見えなかったから安心して良いと思う。殻の中で、あなたの隣で、川姫様は大人しくしてるよ。すっごく良い子」


「ぜってぇウソだわ。うるさいもん」


(じゃから普段は静かにしていると言っておろうが! 妾をイジメるから言い返しておるのじゃ! 妾は負けぬぞ!)


「なるべく仲良くしてあげて。番犬だと思って」


 仲良くって言われてもなぁ……。他人にベタベタとくっつかれるなら物理的に距離を離せば解決出来るけど、自分の”内”に入り込まれたら逃げたくても逃げられないじゃないか。これで川姫が超お喋りで終始語り掛けてくるタイプだったとしたら、完全に頭がおかしくなって死を選ばざるを得ない未来が容易に見える。


(黙ってるから安心せよ。お主を死なせはせん)


「それで……男の娘ですか? 女の子ですか?」


「かわいい女の子ですよ!」


「そうですかっ! なんか良かったです!」


「なにがだね。はぁ……まったく女子ばっかり」

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