表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/165

032

 鎮守の森が如く木々に囲まれた白塗りの洋館の他は見渡す限り一面の緑で、一本の道がそちらへと続いている。どうやら件の湖は屋敷の裏手にあるらしく、近付くに連れて楽しげな小鳥の囀りが聞こえてきていた。あれだけ人の気配を探していたのが嘘のようだ。


 種々様々な植物が植えられている小洒落た庭を通って玄関まで行き、軽く目を伏せて扉を開いてくれた若い紳士に促されるがまま屋敷の中へとお邪魔させてもらうと、良く磨かれて光を反射している床に立ち尽くし、葡萄柄をしたロココ調の壁紙などファンシーな内装を見渡す。屋敷の中は全体的に明るい色が多くを占めていて、小綺麗に片付けられていた。


「こちらです」


 扉を静かに閉めてこちらの前に戻ってきたかと思えば、玄関を入ってすぐ左の廊下へと誘う美男子。その背中に着いて行く形で案内された客間に通されると、窓辺に据え置かれた丸机に座してひとり紅茶を嗜んでいる、妙齢の麗しき乙女の姿がそこにはあった。


 浅葱色に色褪せた艷やかなワンピースを素肌に纏っていて、見た目は若くとも、その服に関しては長い時の経過を思わせるものだった。まさに、若き淑女といった佇まいであった。


 くすんで見える、どこか錆びれたような色素の薄い紫がかった艷やかな銀髪は腰上まで長く伸びており、部屋に入り込むそよ風によってサラサラと煽られている。シルクのような髪は風になびく度にキラリと煌めき、清涼感のある薬草の香りがこちらまで香ってきていた。


 香油でも使って髪を梳かしているのかとも思ったが、髪のみならず全身から香ってきている様子で、微かに煙の匂いまでして、まさに生きる線香。部屋自体にもお香の香りが染み付いているらしい。


「いらっしゃい。とりあえず掛けて」


「こんにちは。それじゃえっと、お邪魔しまして……」


 ティーカップを置いてゆったりとこちらを見上げた白磁の肌を彩る瞳の色は、どこか儚げな曇ったアメジストの色をしていた。


 警護でもするかのように傍らから離れないミアは未だに警戒心を解いていないらしく、こちらが腰掛けるまでその身を座らせようとはしなかった。白い丸机に対して等間隔に置かれている椅子をわざわざこちらへと持ってきて座るのだから用心深いというかなんというか。


「寝間着で失礼。さっき起きたばかりなの」


 どうやら今は目覚めたばかりでモーニングティーを嗜んでいたところらしい。顔を見合わせると、自分で切っているのか、それとも執事に切ってもらっているのかは不明だが、上まぶたにかかる程度の前髪を左眼の上で分けており、少々寝グセはあるものの隅々まで身嗜みが整えられていた。所作に至るまで品性に溢れており、小金持ちの娘といった容貌だ。


 色々と普通体型な泥棒猫とは違い、全体的に線が細くてスラリとしており、ワンピース越しに窺えるシルエットも華奢で、首や手首などもか細く、身体付きは貧し……清貧なのだろうと容易く想像が付いた。血色に乏しい色白な肌も相まって、あまりにも細いので病弱なのかなと心配になってしまう。


「ちょうど暇を持て余していたところ。お話ししましょ?」


 挨拶から始まって自然と会話の流れになる事はあっても、わざわざお話しましょうだなんて言われてどう喋れば良いと言うのだ。俺以上にコミュ障なのかな? もしかしてヒッキー? だとしたら仲間か、うむうむ。


 初対面の印象は、落ち着いた雰囲気の物静かな少女だった。声色もゆったりとしていてどこか優雅に見える、今にも消えてしまいそうな儚い女の子だった。


 それは一見して気怠げなものにも思えたが、姿勢の良い細身の奥にハッキリとした一本の芯も感じられて、花の香りでコーティングされたトゲの鋭さが本能的に感じられるような気もした。


 隣に目を向けると流石にナイフから手を離してはいるものの、少女の姿をジッと見定めたまま身動きを止めており、こちらまで緊張してしまう。


「あなた達が訪れるのは識っていた。わたし昨晩は眠くて、人除けの印章を消し忘れてしまったの。迷いの森に入らなくて良かった」


 人除けの印章? 迷いの森とは先程の森として、なぜ知っている……。などと頭に疑問を浮かばせている間にも、ミアよりも少しばかり歳上に見えるどこか古風な少女は話しを続け、


「あなたが男なのは分かる。新しく迎えられた殿方……。ねぇ、あなたはあちらの世界でなにをしていた人? 手も綺麗だし、貴族? あちらのお話、聞かせて?」


 横髪を耳にかけて口にしたのは、またしてもこの質問であった。そうか、改めてになるがこの世界の住人からすれば男子イコール別世界で暮らしていた人間となるのか。うーん、まぁここはテキトーに……。


「半分幽霊みたいな生活してたよ。でもある意味では貴族かも。庶民と共に暮らす隠れ貴族みたいな。とはいえ貧乏人だったよ。隠居というか、街なかで山小屋生活してるみたいな」


 初対面の相手ならば年齢関係無くなるべく敬語で済ませたかったが、なぜだかミアの時と同じくタメ口で喋ってしまっていた。多分、相手に合わせているだけなんだと思う。容姿端麗で声もふんわりとしている女の子を直視する事は叶わず、目を逸らしながら語る。決して後ろめたいからではない決して。


「周りから嫉妬されそうだね。人は大金貨にではなく、小さな銀貨に嫉妬する。実態は貧しくてもつい羨ましく思ってしまうの」


「それよりも! そこのお方は……?」


 これ以上は心が持たないので咄嗟に話しを変え、少女の傍らに控えている背の高いイケメンを見上げる。眼付きの悪い美麗男子について訊ねると、その口から出てきた言葉は聞き慣れないものだった。


「この子は人工精霊。最近物質化に成功したのっ。素晴らしいでしょ?」


「えーっと……?」


 頭に浮かべるハテナを察してくれたのか、聞くところによると、どうやらこの男子は人工精霊という存在らしく、物質化に成功したばかりで、部屋の隅に砂埃が溜まっているのは失敗した際の残りだと言う。


 人工精霊の説明を受けて脳内に浮かんだのは、人工的に創造された式神や使い魔のイメージであった。物質の肉体を有しているとはいえ、根本的には幽霊みたいなものらしい。だとしたらこの高身長なメガネ男子は、きっとこの子が理想とする男子なんだろうなと。


「でもね、この子はまだまだ未完成なの。わたしが未熟と言ったほうが正しいけども」


 自慢気な調子でここぞとばかりに語るその子の話によると、小さな子供程度なら持ち上げられるが、それ以上の重量があると腕をすり抜けてしまうらしく、物質化しているとはいえ、全体的に物質としての密度がスカスカなのだとか。


 あまりにも貧弱過ぎて自己肯定感が回復しましたよねうん。因みに物を持つ際は腕から地面に立つ足に掛けての線を中心にして強く物質化し、他は薄くしているとのこと。確かに荷重を受け止める為にはそうする他ないのだろう。


「それよりも朝食にしましょ。お腹が空いてないなら、わたしだけ失礼して……」


「頂きます!」


「ご飯はみんなと食べたほうが楽しいもんねっ」


 即答して速やかに言葉を遮ると、挨拶もなにもせずに無言で睨みを効かせていたミアはここに来て急ぎ早に口を開き、こちらの言葉に同意してみせるのだった。


 鞄の中に干し肉の一つや二つ隠し持っていそうなものなのに、やはりミアも腹ペコに飢えていたということか。食事は人の口を開ける最大の効薬であると知った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ