表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/165

003 第二話 ネイビーブルーな泥棒猫

 猫耳が生えた頭を眺めながら必死で泥棒猫の背中に着いていき、天井画を鑑賞する暇も無く大理石で造られた大階段を駆け下り、白塗りの宮殿から脱出して街中に入ると、追っ手を巻くためにすぐさま細い路地裏へと飛び込み、大通りからは死角となっている場所で息を整えていた。――主に俺が。


「ぜぇ……はぁ……うっ、あぁ……。キッツ……」


「大丈夫かぃっ? ここで少し様子を見よっか」


 何故、俺が、逃げなきゃ、ならないんだ……。まぁ、袋を被されて担がれるよりかはマシか……。攫われた上に攫われるって、なんすか……。


 こちらとは打って変わってまったく息が上がっていない泥棒猫は、路地裏に入ると道角から顔を出して大通りの様子を確認しており、耳をピンっと立てて周囲を警戒していた。


 その様子からしてここも長居はできず、近いうちにこの場からも離れなければならないらしい。きっと追っ手を巻くと同時に走り慣れていないこちらのことを気遣って、一旦この路地裏へと逃げ込んだのだろう。色々と山程訊きたいことはあるが、今は息を整えなければ地上で溺れ死んでしまう。


「はっはーん、みんなバカだなぁ~♪ 灯台下暗し作戦、成・功っ!」


 王宮に侵入してきた際は太陽を背にした逆光の状態だったし、前を走る小柄な背中を必死で追い掛けていたというか引っ張られていたので、ここに来るまで髪を踊らせて先を行く後頭部や、尻尾を揺らす小振りなお尻ばかりが目に映っていたが、膝に手を付けて石畳に汗を滴らせていた顔を上げてみると、ニッシッシと悪い笑みを浮かべている泥棒猫の顔がそこにはあり、こう言ってはなんだが、人攫いのくせに思いのほか可愛い顔をしていた。


 悪戯な笑みを浮かべていた表情を引っ込め、顔をキョロキョロとさせながら次の逃げ道を模索しているらしき隣の子は、見るからに高等部ほどで、ぱっと見ではあるが童顔気味であった。わずかばかり幼さも残っているようにも見えるし、実際の年齢的にもそのくらいなのだろう。


 先の王女様を引き合いに出せば少しばかり背が低く、こちらの胸元――ちょうど顎下のあたりに頭頂部が位置していて、そこから一対の立ち耳が生えている。艷やかな濃紺を称える頭髪や長い尻尾とは異なり、耳の内側に生えている耳毛だけは乳白色であった。


 そんな背丈をしている泥棒猫の格好は動きやすさを重視したような軽装で、色々と丈が短かった。


 黒ニーハイとの間で健康的な色を露わにさせている薄手の黒いショートパンツもそうだし、襟元や半袖の袖口に刺繍が施されているヒラヒラとした深緑色の民族衣装も首元がガッツリと開いていて、鎖骨はもとより胸元やお腹まで見えてしまっている。この国やネコ耳に対する疑問など全部ブっ飛ぶくらいには目に毒だ。


 やり場に困った目を泳がせていくと、腰に巻いている革ベルトや靴と同様に、主に心臓を護る形で装備している簡単な胸当ても皮革で作られており、これが盗賊としての仕事着なのだろうと察せられた。革製の鞘に納められた大振りのナイフまでお尻に下げてるし――やっぱ物騒な賊だわコイツ……。


「息が整ったら行くよっ。キミはそっちの道をお願いっ」


「あ、はい」


 出で立ちを観察するこちらの視線に気付いたらしく、真鍮色の瞳でチラリと目配せすると、再び顔を背けて大通りの様子をジッと窺う泥棒猫。


 息が上がってしまっているせいか、なにやら太陽のような匂い――そう、天日干しした布団みたいな匂いがその子からは感じられて、怖じ気付けば良いのか、それとも和めば良いのかと悩んでしまう。客観的に見れば危機的状況下にあるのだろうが、やけに冷静な自分もまたいた。


 困惑を通り越して呆然としてしまっている目で後頭部を見下ろしてみると、太陽香を振り撒かせているらしきやや長めのショートカットの髪はあまりコシがあるようには見えず、頭髪の流れが真っ直ぐに落ちたかと思えば、わずかに毛先が跳ね上がっていた。


 逃げ走っていた際なんかも風になびいて踊り遊んでいたし、少しばかりくせっ毛なのだろう。いや、ネコっ毛と言った方が正しいかもしれない。


 泥棒猫の第一印象は、”可愛い”だった。あくまでも第一印象だが。


 そうやって名も知れぬ盗賊娘にかっさらわれて、人質とされているのかなんなのかは知らないが、何故だか見張りまで任されてしまったので一旦その子からは目を離して今は素直に従い、こちらも周囲の様子、おおおん……?


「そんなに汗をかいて、どうなさいましたか?」


 踵を返して泥棒猫に背中を向けると、目の前には白のブラウスにミント色のロングスカートを履いた、綺麗な金髪お姉さんが立っていた。


 年齢はおそらく三〇手前。こちらよりも少しばかり歳上に見えるものの、それでもかなりの美人で若い感じがした。


 身長的には一七〇無い程度だろうか、振り向いたら背後に立っていて、待ってましたと言わんばかりに声を掛けてくるものだから流石に驚かないわけにはいかない。


 少し目を離した隙に……いつからそこに佇んでらっしゃったのだろうか。――因みに、断じて泥棒猫に見惚れていた訳では無い。えぇ決して。


「いやあの、どう言ったらいいか俺にも……」


 小首を傾げた優しげな顔の前で口籠んでいると、後ろに居たはずの泥棒猫はいつの間にやら隣に並んでおり、自分よりも背の高い姿を無言で睨み上げていた。


 おいおいおい初対面の人間になんて失礼な――などと思っている間にも、素早い動作で腰からナイフを抜き取り、躊躇無く女性の腹を突き刺す猫。


「……?」


 深くめり込ませたナイフを泥棒猫が抜き去ると、お姉さんが着用している真っ白なブラウスには鮮烈な赤色がジワリと広がり始め、その人自身もなにが起こったのかと呆気に取られている様子だった。しかし次第に状況を理解し始めたらしく、


「ぁ、くッ……」


「お前なにやって……!」


「なにって、見れば分かるでしょ」


 腹部に手を当てながら膝を落とし、脂汗が浮かび始めた眉間を苦しげに寄せてお姉さんがその場にうずくまると、あろうことか、もたげようとした首を無慈悲にも横蹴りにして意識を奪い去ってみせる泥棒猫。


 綺羅びやかな金髪は土埃に汚れた地面へと舞い落ち、倒れ込んだ肉体からは赤黒い液体が滲み出し、石畳の繋ぎ目へと浸透していく。止めどなく広がっていく血液は己の靴底にまで滲み寄ってきて、目視でもかなりの出血量であると思われた。


 コイツ刺しやがった、人を……。やっぱりアレだ、人の生命を軽んじる賊……。俺もいずれ……逃げないとッ!


 ぐったりと地面に横たわるお姉さんの身体を見下ろしていると凍えるような恐れの感情が急速に湧き上がり、意思とは無関係に震え始めた足から伝わるは、チャプチャプと濡れた地面の感触。


 これ以上この場に立ち尽くしていたら走ることもままならなくなってしまうと即座に察し、雑踏が聞こえてくる大通りの方へとつま先を向けて走り出そうとしたのだが――。


「や、やめろ! 働いて金は貢ぐから……!」


「なに言ってんのキミ? いいから行くよ」


 咄嗟に腕を掴まれてしまい、その細腕に引っ張られるだけの結果となってしまった。いくら泥棒猫が小柄だとはいえ、女の子一人分の体重を引きずって走るだなんて無理だ。


 しかも逃走しようとするこちらの動きとは逆方向に踏ん張られてしまっているので、逃げようにも捕まられている以上は走ることは元より、思うように足を動かすことさえもままならなかった。


 顎どころか喉まで震えていてまともに声も出せない。殴り飛ばすにしてもそれより先に血濡れたソレに刺されてしまうのは確実。


 俺も足元に転がる女性のようになってしまうかもと脳裏に浮かび、リスキーな行動を取るだけの勇気なぞは微塵も湧いてこなかった。今は諦めるしか無いと思い知らされていた。俺は完全に人質なのだ。もう自由は無いかもしれない。終わった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ