025
「メシ食わせてもらってる立場で言うのもなんだけどさ、やっぱ盗みは良くないよ」
「いいじゃん、貴族や成功してる商人からしか盗らないもん!」
「いやお前、今まさに商人の馬車に乗せてもらってる状況でなに言って……」
声を潜め、巨大な馬を操っている後ろ姿に目を配る。魔族の街でミアが購入した塩気の強い干し肉を分け与えてもらいながら、荷台の中で昼飯となっていた。
すぐ隣の荷箱の中には果物が山積みとなっており、しょっぱい肉に乾きを覚えた喉を何度も飲み下していた。俺が泥棒猫ならば躊躇無くパクるのに常識が邪魔で仕方ない。
「大丈夫だよ、なにも盗らないよ」
とか言いながら近くに詰め込まれていたらしき桃のような果物を旨そうに齧り、口の端からこれでもかと果汁を滴らせてみせる泥棒猫。言ってる事とやってる事が違うんだが? おまわりさんこのひとです。
「このネクタンおいしいねぇ!」
「せやろー? 大事な商品やけんあんま食わんといてな。一個だけやで」
そのお言葉に急いで隣に目を遣るが、頬を膨らませながら差し出してくれたのは手にした食べかけの桃ではなく、何を思ったのか水筒の水であった。とはいえソレをクレとはとても言えるわけもなく……。
主に先程の自分の思考によってお水をガブルしかなかった。言動についてもそうだし、直感鋭い可能性があるから脳内にしてもネッコに優しくしてやった方が良いのかもしれない。
「でもなんで盗みなんか働くのさ。人からモノ貰う時も一言確認してからですね……」
真水は真水で美味いものの、やはりジューシーな果物を目の前にしては物足りず。文句の代わりにそもそも論として訊ねてみると、返ってきた応えは至って普通で、しかし馴染みのないものであった。
「そんなの決まってるじゃん、自分の生活を維持するためだよ。それにボクは集落のボスを目指してるからね」
「ボス?」
「うん。いっぱい集落に貢献した人が次のボスになれるんだよ」
「どゆこと?」
「う~ん……。お金って金貨とか銀貨とかあるけどさ、結局は実体のない数字じゃん? だからそういうのを扱ってる質屋でお金に変えたら、今度はそれぞれの街で暮らしているボクたちの同胞――つまり仲介者に渡していって、複数人で少しずつ集落のほうに送金してもらってるんだよ。建前は仕送りとか、小さい学校があるから寄付だね。食料品とか衣類に紛れ込ませてそのまま送ったりもするけど、たまに荷物検査で開けられちゃうし……だから基本は街で商人とかやってる仲介人から何か高価なモノを買うという体裁で換金したお金を渡して、そんな大金を持っているわけにはいかないから銀行に預けて数字化。あとはまぁ『いっぱい儲かったので生まれ故郷の学校に寄付します』ってな感じかな」
食べ終わった桃の種にナイフを入れて中の仁を摘みながら、ミアは続けた。
「ボクも将来ボスになった時の為に旅をして、もっと世界を知らないとだし、それ以前に生活しなきゃだから、もちろん全部送るわけじゃないけどね。割合は各々の判断に任されてるけど、基本的に得たお金は集落のもの、集落のお金はみんなのもの。イヌミミ族みたいにキッチリとした序列は無いけど、まとめ役は何人か居てさ、貢献度で変わる仕組みなんだよ。だからいっぱい稼がなきゃ」
「てことは、同じくボスを目指して動いてる人も複数居たりするんか」
「ボクは独りで仕事するのが気軽で好きだけど、何人かで組んでる人もいるよ。独りなら捕まっても口を開かなければ良いだけだけど、複数人で捕まると眼の前で誰かが拷問されたり脅されたりしてさ、助ける為に口が軽くなっちゃうかもだし。そういうのが嫌だからボクはいつも独りっ。あの集落も一般的には普通の集落って事にしてあるからさ、バレるわけにはいかないんだよ」
裏稼業で稼ぎつつ、やはり表向きは森の中にあるこじんまりとした集落ってことにしてあるらしい。結構儲けてるはずなのに色褪せた簡素な服を着て、採集なり狩猟なりしてるみたいだし、普段から目を付けられないようにしているのだろう。もしかしたら単純に守銭奴が多いのかもしれないけど。
「ボクにとっては今しか知らないから聞いた話しになっちゃうけど、見た目が普通の人間に近づくに連れて随分と良くなってきたけどね、昔の獣人って中途半端でさ、のけものにされてたみたい。どこも雇ってくれないし、事業を立ち上げても上手くいかなかったんだって。でも生きていく為には衣食住が必要じゃん? だから仕方なくやり始めて……今じゃボクたちのお家芸だね! そうやってボクたちを認めず、追い詰めたのは各国の有力者たち。これは仕返しなの」
「いつまでそれを続けるつもりなんだよ、それじゃまるで……」
「完全に認められるまでだよ。司法や行政職員、もしくはそれこそ、国に貢献した際は騎士――つまり貴族になれるまでかな」
半分以上、それこそ八割九割は人間ではあるものの、その人間の血も外の世界からやってきた者に由来し、この世界に元から存在する残り僅かな血統も、始祖を辿れば元は人ではなく獣と精霊のハーフらしい。
そんな存在を公的機関で雇うのは確かに反発も強く、ハードルも相当高い事だろう。豪奢な身なりを一切せず質素倹約に努めているのも、お金を貯めて財を築き上げ、発言力を有する為――つまりは権力を手にする為なのかもしれない。
裁判官や警察幹部に袖の下を渡して飼い慣らし、時には汚職させて脅し……って、裏社会のマフィアじゃないんだから。いやでも、実際マフィアに近いのかも。いずれ水面下から抜け出して蜂起するんだろうけど、それが武力なのか商売なのか、あるいは芸能か……。なるべく平穏な手段で頼みたいところだ。
「ミアも王宮に恨みがあるんならさ、正々堂々と王宮と商売でもしたらどう? 取られた税金を取り返して、それでたくさん買い物をして市民に返すとか。根本的に考えれば富の独占をさせないようにしているわけだけどさ、それでも盗みは良くないよ」
「ボクたちが盗んだらまた新しいのを芸術家や彫金師から買って、衛兵も更に雇って、沢山の税金が市民の方に戻っていくんだから良いんじゃない?」
金の流れで言えば確かにそうだ、何も言えねぇ……。
「いっぱい貴族から市民にお金が流れたら、みんな少しずつ裕福になれる。キミの話しで言うなら、ボクはそのお手伝いをしているんだよっ」
「その心意気は立派だと思うけど、なんかそれ、最後は王宮が所有する建物を全部ぶち壊していきそうな勢いなんっすけど……」
「それもいいね。市民が払った税金が大工さんのお給料になって、そこから更にお店の売り上げに繋がるなら賛成」
教えちゃダメなことを教えてしまったかもしれない。どうにかしてブレーキを掛けられないだろうか。こんなまだ若い未来ある女の子が自ら危険に飛び込んでいく姿は見たくはなかった。親心を抱くほど年齢は離れてはいないはずなのだが、話しを聞くうちにそれに似た感情を抱いてしまった。
「でもそれで街の風紀が乱れたら蜂起する人たちが出てきて、死者も出るかもよ? 上があるからこそある程度の治安は維持されてるんだと思うし、程々にしないと」
「そこまでは、なってほしくないかも……。やっぱりボクは盗むだけに留めるよっ!」
「行き着く先はやっぱりそこなのね……」
いよいよ辞めさせる方法が分からなくなってしまった。精神論とか倫理観を教えたところで結局は綺麗事と言われて終わりになってしまうだろうし、もう見て見ぬ振りでもしているしかないのか……。
「ボクはボスという名の長となり、自分たちの存在を認めさせるのさ。これ以上虐げられるのは御免だね」
再三そう語る泥棒猫の眼差しからは、確固たる強い意思を感じ取ることができた。それがきっと、この子が本気で目指している夢なのだろう。それはミア一人の願いではなく、血縁関係にある集落の人々や街に紛れ込んでいる仲介人などはもちろんのこと、あるいは他の同類全ての願いでもあるのかもしれない。
「でも、なんでボスになりたいの?」
「んーとねー……。ボクたちのライバルと比較すると、イヌミミ族っていう獰猛な種族の長はリーダーと言って、配下を従えて命令を下し、集団で狩りをするんだけど、ボクたちネコミミ族のボスは寝てるだけでイイから!」
「グータラ過ぎるだろそれは……ボスと言っても村長みたいなものだろうし、なにかしらの仕事はあるんじゃないの? 知らないだけでさ」
「喧嘩の仲裁っていう仕事はあるよ。大事なんだよ、特に大発情期はみんな気が立ってるからさ、凄いのなんのって……」
「想像したくないからそれは置いといて。まぁあの集落の規模感で言ったらそうなるかー」
「ってな訳でぇ……ボクとつがいになってよ! ボスと言ったら子だくさん!」
集落に伝わる格言かなにかなのだろうが、いきなり女子にこんなお願いをされて即座にハイと言える人間が果たしてどれほど存在するのだろうか。もちろんのこと俺は普通の一般人なのでノンだ。
「唐突だし出会ったばかりだしまだお互いの事もよく知らんし! 付き合う前にまずは友達期間を挟むものでしょ普通」
「そうだけどさぁ……。子孫繁栄もボスの大切な仕事なんだよ。分かるでしょ?」
「うん、それは分かるよ。女王蜂みたいなものでしょ? 血脈を途絶えさせないという意味で想像は出来る。理解はまだ難しいけど」
「だから危険を顧みず、ボクはキミをさらったのさ。運命的で良いでしょ?」
「策略に染まってるのは分かる。――でもさ、それボスになってからでも良くない? いやてかむしろボスになってからじゃないとヤバいんじゃないかなぁ……。ほらさ、ボスになる前に男を独り占めなんかしたら、きっと全員から嫉妬されて最悪追い出されちゃうんじゃないかな。もちろん俺は次の若いボスが決まるまでは保留の軟禁状態で、お前だけサヨナラね。まぁ今の長は誰なのかは知らんけど、いいのかなぁ……」
「ハッ……。たしかに……」
「集落のことを大切に思っているのは分かるけど、まだボスにもなってない内からたった一人の男を身勝手に奪い取ってしまうのは、ボスを目指す者としてどうかと」
かと言って集落に閉じ込められるのは御免だ。それくらいならコイツに独占されている方がまだマシであった。一箇所に留まっていたらそのうち噂が広まって危険だろうし。
「そう、だね……」
「そうだよ。まぁ一緒に旅して回ってるだけなら、それこそ手を出さなければ、最初は嫉妬されるだろうけど次第に『あんなに近くに居るのに手を出さないなんて、ちゃんと私たちの事を忘れてないんだ』ってな感じで、逆に尊敬されちゃったりするかもね。おぉ、ボスへの道が見えてきたのでは! いくら集落への貢献度が高くても、認められなければ意味ないだろうし」
「ならさ、ボクが無事、ボスになれたらいぃ……?」
「うん、それまでに手癖が治ってたらね」
「手癖はクセだから直らないよ」
「ボスは食って寝るだけなんでしょ? モノを盗む必要なんて無いじゃん。意識のほうも今からボス目指そうよ」
「うん……。わかっ……って! それだと稼げないからボスにはなれないよ!」
「だから普通に働けばいいじゃん。今は雇ってもらえるようになってきたんでしょ? なら魔物でも狩って報酬貰ったり、それこそ旅商人になるとかどうかな。せっかく色々と身軽なんだから」
「そういうのは稼ぎ悪いんだよなぁ……。経費ぃ……在庫ぉ……人件費ぃ……。そういうのが無いから儲かるんだよ。差額じゃなくて全額ほしい」
「今までが良すぎただけでしょそれ」
なんとも強欲な……。ラクして大金を稼ぐ経験を一度してしまうと、汗水垂らして働くのが馬鹿らしくなってしまうのと同じ感覚なのだろう。どうか葛藤に苦しみながら夢を掴み取ってくれたまえ。




