024 第十話 馬車に揺られて
「なんかキミ、顔色悪いよ?」
「さぁなんででしょうね……」
色香漂う魔族の街を後にして、国境沿いの辺境へと向かっていた。結局あのあと一睡も出来ずに朝を迎え、こちらの顔を下から覗き込んできたネコが寝返りを打つのに合わせて解放され、やっとこさ眠れるかと思った矢先におはようなのだから堪らない。
不埒なデキゴトがあったのは否定しないが、ミアに対してはなにも悪い事はしていないはずだというのに、何故だか真っ直ぐに注がれたその視線から反射的に目を逸らしてしまっていた。
「魔獣の肉でも当たったのかな、お腹痛いなら少し休もっか?」
「いや大丈夫だよ。ヘーキヘーキ」
「ならいいけど~っ」
後ろ手に手を組み軽い足取りで前を行く背中を眺めながら静かにため息を吐き出し、本日も小鳥が舞いさえずる快天な空を見上げる。
旅を続けていればこれから先、こういった日も少なからずあるものだろう。その日が昨晩から今朝にかけてとは思いも寄らなかったが。
「そういえばっ。キミって元の世界で何してたの?」
「なにって、うーん……」
背の高い雑草が生い茂っている草原の中、車輪の轍が浮かぶ人の道を行きながらクルンっと振り返って小首を傾げてみせるミア。実際は寝不足なだけだが、ミアからすれば不調に苛まれているこちらの事を気遣って、気を逸らすために別の話題を振ってくれたのだろうが、この質問は大が付くほど嫌いだった。
人と合うたびに散々尋ねられ、その度に困っていた。『仕事はなにをしてるんですか?』と気軽に聞いてくるのは初対面の場合まず相手を知る為のものであると頭では分かっていたし、肩書きで人を判断するのもひとつの手ではある。しかしなんらかの都合で働けない人間も世の中にはいるのだから、悪気はないにしても少々配慮に欠ける質問であると常々思っていた。
「季節毎に転々として、空白期間は半分幽霊みたいな生活してたよ。貧乏と引き換えにした自由人、かな……」
高等遊民と言えるほど遊んでもおらず、誰にも必要とされず、半透明な人間。だがその反面、自由ではあった。死ぬ前から幽霊のような自由を半ば獲得してしまっていた。こんな生活を送る方法はあるのかと疑問に思うかもしれないが、世間体を気にせずにずる賢く考えれば、ある。
そう、俺は住み込みの季節バイトを転々とする生粋の自由人だった。旅人と言えば聞こえは良いが、人目を気にした言い方をすればこうなる。もちろん友達は、いない。
どちらにせよ機械的な枠組みに嵌まっていると体調が悪くなる体質だった。人体の生体リズムは二十五時間周期なのに無理やり二十四時間に合わせてなんかいたらそりゃ体調を崩すのも頷ける。基本は金を貯めて休むの繰り返しだった。
人の世にあって浮き草が如く定まらないが故に、きっとこの世界へと連れて来られたのかもしれない。ふと突然居なくなったとしても誰も不思議には思わないだろう。一年かそこら経ってから行方不明者として帳簿に記載され、そのまま世間から忘れ去られるだけ。いや、忘れられるよりも以前に俺を知る人間なんかほとんど居ないのだが。
「幽霊って、ボクの眼にはハッキリと視えてるよ? でも自由人なのは一緒だね! なーかまっ、仲間ぁ~♪」
ただの比喩として片付けられるのかさえもあやふやな言葉に眼を丸くして、強調するかのようにお互いの共通点を口にしてみせるミア。
嬉しそうな顔で再び背中を見せたミアが今なにを考えているのかが不安で、しかし同時に諦めに近い慣れもあった。何者でもない人間からすれば、泥棒という肩書きすらをも羨ましく見えてしまう。
そういえば、ここに来てからまだ一度も腹が痛くなっていない。まぁ今の所は自由だもんな。王宮に捕まったら仕事を与えられ、不自由となり、また痛くなるのかな。ストレス耐性が低過ぎて規則的な社会生活なんて無理っす。社会不適合者だって? そんなのは自覚してますようっは。
誰にも縛られない身軽な環境でなければ堂々と生きていけない、はぐれ者の似た者同士。そんな二人が共に歩いていると、ふと後方から土を蹴る重い蹄の音がし始め、小石に跳ねる車輪の音と共にそれは増々大きくなっていった。
振り返るまでもなく道端に避けて道を空けると、目に映ったのは横を通り過ぎていく黒い巨体。人で言えば巨人、馬ならば巨馬となるのだろうか、とにかく人の身長よりもずっと巨大な筋骨逞しい馬が荷台を引いて追い抜いていくのだから、その姿を目に立ち尽くし、呆気に取られてしまった。
一歩一歩が大きいだけあって結構な速度で荷馬車が俺たちを追い抜いて行くと、流石はこの星の住人とでも言おうか、道の途中でポカンと呆けているこちらとは異なり、咄嗟に駆け出して今にも過ぎ去ろうとしている荷馬車を追い掛けていき、御者の隣に飛び乗ってみせるネコさん。
突然の出来事に馬が引かれて馬車が止まると、暫く交渉でもしていたらしく、御者の席から降り立ったかと思えばこちらに手招きしてみせるのだった。
「乗っていいってっ! いやぁ助かったね~」
気を取り直して促されるがまま荷台に乗り込むと、帆布が張られている二畳ほどの中にはいくつもの荷箱が詰め込まれており、その言葉の通りに肩を寄せ合って座るほかなさそうな様子であった。
手綱を握る御者台には赤茶色の髪にツバの無い帽子を被った背中があり、未だ状況が飲み込めていない喉を動かして「よ、よろしくお願いしま……」とこちらが一声掛けると、
「人が乗る事は考えとらんから乗り心地は悪いだろうけんども、ま、堪忍なぁ~」
こちらが言い切るよりも先に斜め上に顔を仰け反らせて、思いのほか若い声を聞かせてくれたのだった。
その子の後ろには荷物に紛れて真新しい革張りの鞄や麻袋などが置かれていたので、薄っすらとだが新米の旅商人かなにかなのだろうと察せられた。
一通りの礼儀として簡単な挨拶を済ませると、荷箱と荷箱とに挟まれる形で二人して膝を抱え、肩と肩とを触れさせる。たったのそれだけで心拍数が上がり、やけに泥棒猫の体温を意識してしまう自分がいた。
とはいえ、1日中歩きっぱなしでは流石に嫌気が差してしまうので大助かりではあった。もしかしたら顔色が悪いという事でヒッチハイクしてくれたのかもしれない。
「行くよヒーチャン!」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒーンッ!」
飼い主のネーミングセンスについては文句を言える立場ではないのでスルーし、そうして若干の衝撃すらをも感じられるほど周囲に響き渡る鳴き声を上げて再び荷馬車が走り出すと、左右の揺れを伴ってガタガタとした激しい振動が巻き起こり、先ほど受けた言葉の通りに乗り心地の面では最悪であった。
しかしそれと引き換えにあれだけゆったりと流れていた景色は速やかに後方へと流れていき、まるで身を隠すためにあるかの如く張られた帆布や数々の荷物に囲まれているので、これならば誰にも見付からずに先を行けることだろう。
いったい幾ら提示したのかは知らないが、こうして我々も商品と共に運ばれる荷物となった。




