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023

 ひとつベッドの上、背中を向け合って寝ていたはずが、いつの間にか天井を見上げてうなされていた。


 あまりの寝苦しさにパチリとまぶたを開くと知らない天井がそこにはあり、窓から差し込む白光によって格子状の梁が浮かび上がっていた。


 眠りに就く際は冷涼で肌寒いほどだったというのに酷く寝汗までかいていて、身体がやけに熱い。


 知らない天井については寝る時にちらりと見たので良しとして、腹の上には熱感を伴っていかんともし難い重さが伸し掛かっており、どうやら今まさに感じているこの圧迫感によって目が覚めてしまったらしい。それは、明らかに誰かが乗っているような感覚だった。


 はじめはミアかとも思ったが、隣からは「みにゃみにゃ……」という変なむにゃむにゃ声を上げてよだれを枕に垂らしている寝顔があり、幸せそうなご尊顔が目と鼻の先にあるので否。


 ならば金縛りかとも思ったが手脚の感覚はあって、自由に動く様子。だとすれば一体誰が……。


 脳裏に浮かんだのはおぞましい幽霊の姿であった。幽霊も元々は我々と同じく生きていた人間であると考えればそこまで怖くはないが、寝起きでコンニチワされたら否が応でもビビってしまう。


 未だハッキリとしない意識の中、寝ぼけ眼で恐る恐る腹上へと目線を下げて行くと、ソレの正体はすぐに判明した。


 薄暗闇の中でも一際目を引く発情色に、月明かりを反射させて鋭い眼光を宿しているガラス玉のような赤い瞳、そして泥棒猫と比べれば幾分かは立派な膨らみに、腹や腰などに押し当てられている柔らかな肉感――。


 そこには、一階の酒場で注文を取ってくれた看板娘さんの姿があったのだった。大胆にも脚を広げて馬乗りになり、品定めをするかの如く尻尾をくねらせながらこちらの顔を真っ直ぐに見下ろしている。


「ずっと待ってたのに……。はぁ……♡ この匂い、他と違う……」


 目覚めたことに相手も気が付いたのか、愛おしそうな調子でこちらの胸板を愛撫し、背中を倒してスリスリと頬擦りしてくる看板娘さん。


 胸元が圧迫されて思うように声が出ず、呼吸もままならない。こちらの腰を挟み込むようにして密着させられている太ももの内側や、お互いを隔てている布二枚を通して存在感のある柔肉の感触が伝わり、心拍数が上昇するのに合わせて早速身体が反応し始めたその時、


「ふふっ……♡ んッ」


 ひょこっと顔を上げてきて垂れる横髪で頬をくすぐってきたかと思った矢先、看板娘さんは勢い任せといった調子で強引に唇を合わせ、舌をねじ込んできたのだった。


 あまりにも唐突に訪れた柔らかく、しかしわずかな弾力のある濡れた感触に呼吸はついに止まり、目をパチクリするほか無かった。これが、人生初の直接的なキッスであった。


 名前も知らない人にハジメテを奪われるだなんて……堕ちそう。


 一度合わさった唇はお互いに張り付くが如く密着して離れず、差し込まれた舌は上下の歯を邪魔そうにこじ開けてこちらの舌と触れ合い、相互の唾液は微かに上がる粘っこい水音と共に撹拌されていった。


 悪魔的に美しい娘が顔を傾けて更に深く唇を合わせ、新たに分泌されてきたその唾液を無理やり飲まされるのに従い、麻酔でもかけられるが如く意識は呆然としていき、動物的な活動においては余計な理性は呆気なく遠のいていった。


 看板娘の火照った肉体にただ溺れ、このまま成り行きに任せてしまっても良いとさえ思えた。寝ているミアの隣でこっそりと……。嫌悪感を感じるよりも先に色欲が刺激され、目先の欲求が勝ってしまった。しかしその折、


「だから言うたじゃろがっ……!」


 何処からともなく幼い声が響き渡り、看板娘の背中を抱き締めようとしていた手のひらに冷たい感触がしたかと思いきや、情熱を注がれていた身体から突如として熱源が奪われ、足元からドスンッという物音が聞こえてきたのだった。


 ハテと思い眼下を見下ろしてみると身体の上には誰も居らず――いや、透明なちびっ子の小さなお尻が立ち塞がっており、その先のベッドの下、およそ壁際のあたりに倒れ込んでいる看板娘の姿があったのだった。どうやら川姫さまが夜這いしてきた不届き者を突き飛ばしたらしい。


「魔族は肉欲が強いと忠告したじゃろ!」


「そんなん聞いてねぇというか踏んでる。踏んでるから!」


 はたして何歳なのかは知らないが、幼気のあるスラリとした細脚を大きく開いてこちらの上で仁王立ちし、足の裏でわずかに横腹を踏ん付けている川姫。腹の皮を上手い具合に踏み潰してみせるのだから血の気が引いてしまう。


 こちらの声に顔を振り向かせて半透明な横顔を見せたかと思ったら、待っていたのは謝罪の言葉ではなくお説教であった。


「お主の身を案じてと言ったじゃろう!」


「あ、それは聞いた。ぁぁ、俺のファーストキスっ……」


 名も知らぬ女子に無理やりキスされて藻掻いていたところを、川姫に助けられた。という事に世間一般的にはしておく事にした。苦しかったけど結構ノッてしまったのはここだけの内緒だ。


「はよ出てけ! コヤツは妾のものじゃ!」


「いやお前のモノになった覚えはイチミリも無いんだけど?」


「ならボクのモノぉ~♡」


 ゆらりと床から立ち上がった看板娘に川姫が威嚇したかと思ったら、今度はお隣さんからふんにゃりとハグされてしまい、何故だか直感的にヤバいと思ってしまった。体面を気にして拒絶していたのに、他の子とイイコトしてたなんて知れたら、嫉妬されてどういう流れになるか分かったものではない。


「って、いつから起きて……」


「いま起きたぁ~。ぎゅ~♪」


「チッ……」


 恐ろしい舌打ち音を聞かせて退室して行った姿に目をやる暇も無く、肺の内から強制的に空気を絞り出されてしまい、何にも勝り苦しさが勝ってしまう。


「うが……俺のファーストキス……」


「まだ言うとるのか。はい忘れたはいポカンっ。もういいじゃろ」


「よ、良くねぇおっ……」


「寝よぉ~」


 近い近い近い……顔近付けんな可愛いやめろ! 知ってますか、個体にもよりますが、動物が一生に刻める鼓動の数には限度があるんですよ。だから小動物やスポーツマンは短命でしてね。って寝てるし……。


「う~……すぴゃ~……ふぬゃ~……」


 抱き締められたままお布団に倒されたかと思ったら、ネコは再び夢の世界に潜っていた。看板娘によって濡らされた口元には未だにあの子の唾液が付着しており、泥棒猫の寝息がそこを生温かく撫でてくる。


 このままの体勢で居たら愚かな本能の矛先が今度はコイツに向かってしまうと直感的に感じられたが、しかし背中や首に腕を回されて抱き枕のようにされており、あろうことか脚まで腰に回されて、これじゃまるでカイロ。ネコから離れようにもガッシリと全身をホールドされてしまっていた。


 確かに力を入れれば今の状況から無理やり脱出することは不可能ではない。ないのだが、こんなにも安らかに眠る心地よさ気な顔をされると、邪魔したくない気持ちが心の内に湧いてしまい、つい身動きが取れなくなってしまった。


「妾も寝ようかの。そやつと子作りするなら邪魔はせんからな。ほいじゃ」


「しッ! ……しねーよっ」


 寝込みを襲うほどの勇気も行動力もあるわけないだろ童貞舐めんな。などと脳内で愚痴っている間にも幼女は震え上がって空中に浮かび、冷感を伴いスルスルと手のひらへと吸い込まれていく縄状の水。何度味わっても気色の悪いものだった。


 その後もミアのスヤ顔を眺めながらどうにかして抜け出せないかと模索しては諦め、この晩はそれ以降一睡も叶わなかったのは言うまでもない。なにこの命を縮めるゲーム。

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