020 第八話 混血に囲まれし異国の純血者
小高い山を降りた頃には既に夕方となっていた。周囲の景色は儚い薄青色に染まり、陽は山陰に隠れて遠くの雪山が橙色に色付いている。
山頂で目視した人里を目指して細い道を行くと、山裾の辺りには痩せ細った低木が生い茂っており、この林を抜けた先に人々の居住地があるらしい。緑は確かにあるが全体的に彩度が低く、どこか荒涼とした雰囲気の谷であった。
「これから向かう街はどういった所なの?」
「街というか、大きな村って感じかなっ。みんなは魔族の街って呼んでるよ」
「魔族? 王宮の外で悪魔っ子は見掛けたけど、悪魔との混血と魔族ってのはまた違うの?」
「全然違うよ。まず悪魔ってのはね、主流派の人間が他教の神々や精霊なんかを総称して悪魔とか天使とか呼んでるだけなんだよ。それってちょっとイヤだなって思うから、ボクは神霊って呼んでる。だから悪魔との混血児はみんなそう呼んでるだけで、実際は堕落した精霊との混血だって思えばいいよ」
なるほど、自分たちに都合が良ければ格下の天使として採用し習合、都合が悪かったり敵対していたら地の底に住まう悪い悪魔ってやつね。どこに行っても傲慢な考えがあるもんだな。
精霊とは言うものの、その実、おそらくは男の淫魔――つまりインキュバスの類いなのだろうと察しが付いた。相手がインキュバスならサキュバスとして狩り尽くされる前に男から精を頂戴し、それを用いて授けた感じか。悪魔成分が混入していても基本は人間の男からの遺伝子。不足はない。
「んじゃ魔族は?」
「魔族は……。外の世界からやって来た調和を乱すモノに蹂躙された結果物、かな……。――あぁ! 誤解しちゃいけないのは、キミや過去にやって来た男の人たちは別だからね? ボクたちはちゃんと、別の世界で暮らしていた同じ人間だって思ってるから!」
「お、おん……」
なんか物騒な言葉が出てきたような……。あまり深入りはしないほうが良いかもしれない。
俺たちと共に山を降りていた後方からの追い風が向きを変えたらしく、進んでいる前方の方角からからっ風に乗って煙たい匂いが運ばれてきており、木々に視界が遮られてはいるが街を目前にしているのが察せられた。脚を進めるごとに煙草と料理屋からの排気が混ざり合ったようなその匂いが強まっている。
「ま、実際に魔族を見てみたらわかるよ。ちょっと違うから」
(お主、魔族の街に行くのかッ!? 穢らわしいからやめるのじゃ!)
などと隣と話しているさなか、次に聞こえて来たのは今まで大人しく黙っていた川姫の声であった。いかに幼気で可愛らしい声だとしても、急に騒がれると風船が割れるのと同じく肩が跳ね上がってしまう。
「穢らわしいって言うけどさ、魔獣の方がずっと汚いだろ衛生的に」
「ほえ? 誰と喋ってるのかな?」
「川姫様っすねぇ……。穢らわしいから魔族の街には行くなってさ」
「まぁ忌み嫌われてるからね……。だからこそ今宵の宿にピッタリポンっ!」
(野宿でいぃじゃろ野宿でっ! 喰われてしまうぞ……!?)
「魔族って言っても人間なんだから共喰いなんかしないだろ」
(そういう意味ではなぁああいっ! お主の身を案じておるのじゃ!)
川姫は普段、身体の中に居るらしいので、その声の聞こえ方はまるで念話を受信しているかのようであり、頭の中はおろか全身に声が響き渡るような感覚だった。テレパシー能力者の気持ちが少し分かった気がする。
他の人間には声が聞こえないとはいえ、外に出れば他者とも対話が行えるのだから、人の身体の中に引き籠もってないで外に出て頂きたいものだ。まさに、寄生である。
「精神修行をしていない人間があまり長く精霊とお話してると廃人になっちゃうよ?」
「たしかにおかしくなりそうだわ。主に駄々をこねるから」
(なんじゃとっ? わらわは水溜りであって子供ではないわっ!)
「結構お喋りなんだよね。こっちも困っててさぁ……。なにか黙らせる方法、知らない?」
(ナッ……コヤツ言いやがった言いやがった! 本人の前で言いやがったぁッ! なにもしないからって、このこのこのこの……)
「んー、水の精霊さんなら、汗をかくようなコトをしていれば水分が抜けて力も弱まるんじゃないかな? だからボクと一緒に運動しようよっ!」
(や、やめるのじゃッ……! 不自然な行為はやめろッ! 普通に過ごすのじゃ! フシダラぞ!)
「はいはい分かったよしませんよ、運動なんかダルいし」
「……鈍感」
(いひひ、言われとる言われとるっ)
あーもーどーすっかなー。まーいーやー。
普段は無口なくせに、いざ口を開くとうるさい幼女。それが川姫だった。一日中ベラベラと喋り掛けられていたらそれこそ気でも狂ってしまうかもしれないので、要件がある時だけ喚くだけまだマシかもしれない。
なんだかんだで気配ってくれているのか、それとも野生の精霊という事で孤独生活が長く人との付き合い方を知らないのか、あるいは単に恥ずかしがり屋で自分からはなかなか話し掛けられないのかは知らないが、口を開くと一々説教臭く、まるで口煩い親のようであった。
あたふたする程度なら可愛気があるというのにこれなのだから、落差が酷くてぎこちないにも程がある。巷に聞く喋るコミュ障とはこういうヤツの事を言うのだろう。なんにしても、自身を保護する器が壊れないようにと心配している事だけは伝わった。
「肌寒くなってきたし、ちょっと急ごっか」
「あ、はい」
確かに陽が影って肌寒い気もするが、付近に魔獣でも生息しているのだろうか? だなんて疑問に思いながらも、先を行き始めたミアの背中に着いていく。前を歩くその脚は本当に足早なものとなっており、ゆっくり目の競歩のような足取りをしていて、着いていくと言うよりも追い掛けると言ったほうがより現状に適していた。
それからというもの、ミアの脚は緩むことなく先を急ぎ続け、正門らしき木組みの門まで辿り着く頃には半ば駆け足となっていた。そんなに急がれると後ろから何かが追ってきているのかと思えて怖くなってしまう。それとも魔族の街が余程好きなのだろうか?
山の谷間にあるだけあって日が落ちるのが早く、薄闇の時間はとっくに過ぎて明るい街の夜となっていた。
文字なんか読めないがおそらく”魔族の街へようこそ”とかなんとか書かれているのだろう門を潜って街なかに入ると、一目散に駆けていき「ここにしよう!」と、二階建ての酒場らしき店を指差してみせるミア。指を指している時もぴょんぴょんと踵を上下させて身体を跳ねさせており、とにかく落ち着きがない。
「いや奢ってもらう立場だからなんでもいいけどさ、もう少し見て回っても……」
「んじゃここねっ! いらっしゃいましたぁ~!」
街の入り口に到着したかと思った途端、最も近くに店を構えていたドアを開けて早速入店してみせるのだから呆れてしまう。もっと色々と店はあるはずなのに選ぶ楽しみを放棄するとはこれ如何に。そそくさと行ってしまった背中を追い掛け、渋々後を追う他なかったのは言うまでもない。
街に入ってすぐの所、街の玄関口に店を構えているということは、きっとこの街を代表する酒場なのだろう。
そうして店内に入ると外から見るよりも思いのほか開けた空間が中には広がっており、四人掛けの机はもちろんのこと、奥の厨房と客間を仕切る形でカウンター席がずらりと並んでいて、すでに何人もの先客で賑わっていた。
壁や天井には透明ガラス製の簡素なランプが幾つも備え付けられていて、例の子供部屋で見掛けた明るく燃焼し続ける不思議な石がその中で灯っており、店内はロウソクの火の色、あるいは夕焼け色に照らされていた。
そんな店内を見渡せる出入り口付近の席、ニスすらも塗られていないのではないかと思われる枯れ色のテーブルに鞄や水筒の類いを置くと、「ちょっと待っててね」とだけ残して何処かへと行こうとするミア。すかさずその裾を掴み、少し待ってもらう。
「何処イクノ、置イテ行カナイデ」
この世界においてミアは、完全に俺の保護者となっていた。ネコの集落ではオバチャンのお世話になっていたので不安感は無かったが、こんな知らない場所で独りぼっちになんかされたら泣いてしまう。咄嗟の行動ではあったものの、一文無しなので逃げられたら本当に困る。
「ちょっ、どうしたのさ……」
ミアからしても年上の男に突然そんな子供じみた事をされて困惑しているらしく、店の奥へと向かおうとしていた足を止めて顔を振り向かせると、アタフタと周囲を見渡しながら、急いでるんだけど……。という心の声が聞こえるような必死な面持ちを浮かべ、
「独りは嫌です」
脚をもじもじとさせているミアの姿を見詰め、今現在思っていることを素直に告白すると、一瞬だけ身動きを止めて瞳を合わせ、目と目で通じ合う二人。しかし、これが単なる戯れであると即座に察したのか、
「お花積んでくるのぉ!」
恥ずかしそうな様子で顔を背け、一言だけ残して行ってしまった。ひとまず安心したのでその背中を見送りながら席へと座り、ミアとは交代で訪れたドピンクロングなウェイトレスさんからメニューを受け取り、頭を悩ませる。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさいますか?」
やはりトイレだったか。それはそうと……。
革の装丁が施された冊子状のそれを受け取り、中を開いてメニューを見る。が、どれもこれもミミズが這ったかのようで読めるはずもなかった。どれにしようか等と悩む楽しみは、ここにもありませんでした。
「えっと……。よく分からないんでテキトーにお願いします。腹減ってるんで、まぁ三人前くらいで」
カッコ、俺は払わないが、カッコ閉じ。
「かしこまりました」
コクリと頷いて踵を返した看板娘らしき美少女さんだったが、伝え漏れている事柄があることを思い出してしまった。人数についてもそうだが、こればかりは伝えねばならない。食事となれば非常に重要となる要素。
「あぁすんません、飲み物は二つで、お酒とかミルク以外でお願いします。なんかサッパリとした……そう、果物のジュースとかあったらそれで。無かったら真水でお願いします」
そう、ドリンクだ。なにを出されるのかは運次第だが、酒は好きじゃないし、食事にミルクなどもってのほか。最低限これだけは抑えておきたかった。後は腹に入れば何でも良い。
「はい、承知しました」
ピタリと止まってコクコクとこちらの言葉を聞くと、再びくるりと身を翻して厨房へと向かっていく看板娘さん。その背中には悪魔のような――それこそサキュバスのような濃い紫色の尻尾が生えており、まるでこちらに見せ付けるかのように無毛らしき尻尾はハート型を形作っていた。
勘違い甚だしい野郎だったとしたら後で連れ出してコトの口実にでもするのだろうが、俺は純粋なので気の所為であると済ませます。確実性が無ければ行動には一切移さぬ。
エロのないエロゲじゃわボケェー!




