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016

 それから更に小一時間ほどすると、本日の主役として上座に座らされているこちらの前には鶏の丸焼きが置かれ、どうやらこれがメインメニューらしい。


 こんがりと焼き目が付いた皮目にはハーブの緑と香辛料らしき粒が振り掛けられており、それを持ってきてくれたのは、あのパイプを嗜んでいた眼付きの鋭いオバサンであった。丸焼きに釘付けとなってしまった顔を上げてその方を見上げると、無言のままコクリと頷き、何も言わずにさっさと背中を見せるオバサン。非常に格好良いと思いました。


 とはいえ、鶏の丸焼きなど実際に食すのは初。どう食べたら良いのかと迷っていると、まるで親戚のお姉さんが如く「取ってあげるねっ」と、疲れているというのにわざわざ中腰になり、丸々とした立派なもも肉を手際良くもぎ取って木製の受け皿に置いてくれる泥棒猫。


 自分の分前としてもう片方の肉に手を掛けている横顔に「ありがと」とだけ伝えると、透明な脂をジュワッとにじみ出させている焼き立ての熱いもも肉をさっそく手にして、ズッシリとした重みが感じられる肉付きの良いそれにかぶり付く。


 うめぇ……。


 四つ脚の動物と違って臭みの無いその鶏肉は、サッパリとしつつもキメ細かな脂が香ばしさとともに口内へと広がり、唇に感じるコラーゲン的なベタつきは舌の上でサラリと溶けて、味覚的な多幸感に陶酔してしまうほどであった。


 噛んだまま口を離すと繊維に沿って綺麗に剥がれる肉はやや噛みごたえがあり、しかしそれ故にか鶏よりも旨味が濃く感じられ、たとえ味付けが無かったとしてもそのまま食せてしまいそうだ。


 匂いを嗅げば湯気に乗って素直な脂の匂いと藁のような香ばしい燻煙の香り、そして香辛料の爽やかさが一度に押し寄せてきて、また一口、もう一口と手が止まらなくなってしまう。


 オバチャン、ありがとぉ……!


 あまりにも旨くて、つい涙目になってしまった。優しさに助けられたような気持ちが心の奥底から込み上げてきて、テーブルの奥でカップを傾けているイケオバに惚れ落ちてしまいそうだ。――そういう趣味は無いが。


「ずっと歩きっぱなしだったけど、大丈夫かな?」


「あぁうん、おかげさまで」


 足はもう地面とくっ付いていて動かないが、おかげさまで意識はハッキリとしている。メシを食ったら随分と気持ちも落ち着いた。「あんちゃん、もっと飲むかい?」などと家庭的なもてなしを受けて、まるで親戚の家にでもお邪魔しているかのような錯覚に陥ってしまう。もちろん応えは「あ、はい」だ。


 みなで食べる食事は本当に久し振りだった。作業的に食らう孤独のエサとは違い、心が弾む感覚を覚えていた。泥棒稼業に手を染めているとはいえ、人は人であり、それ以上でも以下でもない。間違い無くこの集落の方々は、優しかった。


 獣人族の人々は、基本的には邪気の無い素直な微笑みを浮かべていて、言い方は悪いが、大人でも子供のような純朴さをどこか感じられた。


 尻尾に関しては人間の尾てい骨が延長して尾となっているだけであろうが、おそらくその特徴的な獣の耳を受け継いでいるが為に頭蓋骨の形状が少しばかり人間とは異なり、それに伴って脳の形も人間とは僅かに違うのかもしれない。


 もしかしたら外見では分からない他の部位――例えば関節の構造や柔軟性、骨の大小や形、あるいは筋肉の働きや密度まで異なるのかもしれない。物理的、肉体的に差異があるのだから、精神的な面でも特徴が現れてもおかしくはない。


 間違いなく言える事は、尻尾がある訳なのでバランス感覚には優れているはずだ。その俊敏性もきっと、ネコ科もしくはそれに近しい獣の遺伝子を継承しているからこその賜物なのだろう。もしかしたら狭い隙間に入り込んだり、高いところから落ちても柔軟に着地することも可能かもしれない。実際にあの時も飛び降りて来たし。こう考えると、まさに泥棒向きの身体をしているのかも。


 この尻尾って、やっぱホンモノ、だよな……?


「ひ、ひっぽはしゃわるへゃっ……!」


 ゆらゆらしてたのがピンっとなったし、ホンモノか。


「ひゃみぇっ……あにゅっ♡」


 くすぐったそうにピクピク動くし、耳もホンモノらしい。どうやら泥棒猫は、尻尾と耳が弱点らしい。


「「「おぉ~……」」」


 そうやって泥棒猫のネコ部分に触れている間にも、みんな一斉にこちらへと顔を向けており、感嘆の声まで上がっていた。きっとナニとは言わないが、一応伏せておくが、性感帯なのだろう。


「キミって、ヘンタイなんだね……」


「ち、違うしぃ!? 気になっただけだしぃ!?」


「触るなら、もう少し人目の付かない所がいい、かな……」


 トロ顔でこっち見んなヱロネコ……。これじゃなんか、こっちが変態みたいじゃないか!


「ねぇ、私たちも、シよ……?」


「う、うん……♡ あっ、おねぇちゃん……」


 触発されてしまったのか、隅っこの方に座っている百合らしきお二人さんは顔を近付け合った――かと思えば、傾け合った二人の口元を隠すようにして手を添え、手のひらの先で接吻したように見えた。


「やっぱ、ああいうのって多かったり……?」


 俺をサンドイッチの具にする形で泥棒猫とは反対に座っている、物静かなジト目さんに小声で訊ねてみる。クレだのヨコセだのと言っていた割には大人しくしていて、主に姉妹らしいアホの子と喋っていた。


「男子が壊滅なので、エスは多いですね。わたくしはあのような小市民――小さき花々とは違い、地の果てまで、海の極みまで、あなたを知りたい」


「な、なるほどですね……」


 そのネタわっかんねぇ……。泥棒猫ヘルプ。


「あ、あのさ! その横髪の下ってどうなってるの?」


 あまりにも不思議な子なので顔を反らし、話しを別の箇所へと移動させて、未だに夢想しているらしき泥棒猫に正気に戻っていただく。助けて。ついそう思ってしまうあたりに、早くも親近感を覚えている自分が居ることに気付いてしまった。


 例えるならばこの世界における保護者といった調子で、今日出会ったばかりだというのに心の中ではもう初対面の他人では無くなりつつあった。これがなんたら症候群というものなのかもしれない。


「なんだい急に。ボクのほっぺにキスでもしたいのかな? まぁ、そのついてるパン屑を取ってからならいいよ」


「あらほんと。……って、全思考回路の行き着く先は食う、寝る、ヤル。しかないんかよ。そうじゃなくて、人間の耳もあるのかなって」


「酷いなキミぃ……。そんなコト言ってないし、狩る、盗る、逃げる。もあるよ」


「あぁうんそうね。いや気になってるのはそういう事じゃなくて、人間の耳もあったりするのかなって。気になったというか……」


「無いよ。耳は二個の一対に決まってるじゃん。ほら、見て。そんな気持ち悪いことにはなってないでしょ?」


 横髪をかき上げて人間ならば耳がある箇所を見せてもらうと、その言葉の通りにそこにはなにも無かった。耳の穴も空いておらず、頭髪の生え際が見えるのみ。物音を捉えてピクピクと動く猫耳に関してはリアルなカチューシャであると認識を誤魔化せたが、すっかりと人間の耳が無くなってしまっている。その箇所を目にした時はつい反射的に驚愕してしまい、おぞましさを伴った強烈な違和感を覚えてしまった。


 とはいえ、言葉が出てこなくなってしまったものの、思い返せば耳だけを怨霊に引き千切られた坊さんだっているし、有名なあの画家や、刑罰の一種として耳を切り落とされた罪人だって過去にはいた。なので見慣れないだけで歴史的に考えれば、実はそこまでヘンでもないのかもしれない。普通かヘンかの違いなんて、結局は見慣れているかどうか、多いか少ないかの違いでしかないし。


 しかし当の本人たちは劣等コンプレックスにも似た感情を抱いているのか、改めてこの場を観察してみると、みな横髪を垂らして人間の耳があるべき場所を上手に隠しており、サラサラとした髪質の子を始め、天然クルクルパーマなボブさんに至っても同じくであった。みな、不自然さを覚えさせない髪型となっていて、横髪を掻き上げなければ”ナイ”ことが分からない極自然な様子だ。


「まぁ動物に四つも耳なんか要らないもんね」


「ひいひいひいひいお祖母ちゃんまで遡れば、動物だったかもしれないけど……ボクは動物じゃないもん!」


「いや、人間も含めてみんな結局は動物というか……そういう意味で言っただけだから誤解しないで」


「たしかに、頭イイだけで人間も動物だもんね」


「そうそう。でもヒゲは無いんだね?」


「ヒゲ? あー、多分、人間の血が入ってくるのに従って眼が良くなってきたから、それで要らなくなっちゃったんだと思う。ボクのひいお祖母ちゃんは少し生えてたよ。もう随分と前に死んじゃったけど」


 なるほどね。犬は飼ってた事があるから知ってるけど、たしか犬の視界はモノクロで眼も悪いから、それを補う為に代わりとして鼻が効くんだっけか……。ネコは知らんけどきっと同じようなもので、それにプラスして触覚的なヒゲも持ち合わせていて、そんで必要無くなったから退化したと。


 あれだ、穏やかな気性で人懐っこい個体だけを掛け合わせていったら耳が垂れて体色も代わり、緊張と弛緩のバランスが崩れて年一回だった繁殖期も年二回に増えた的な。遺伝子ってスゲー。


「ボクたちの世代はもう殆ど人間になってるけど、ひいお婆ちゃんは顔の形も少し違ってたよ。なんか鼻が前に出てるというか……ほんとに獣人って感じでカッコ良かったなぁ」


「いつの時代もケモ趣味なやつって一定数いるんだなって思いました。そのひいお祖母ちゃん、体毛も濃かったでしょ?」


「よくわかったね! まぁボクはご覧の通りつるっつるだけどっ! 獣人としての血が薄くなって、ボクも完全に人間になっちゃったなぁ♪」


「いや、お前はけっこう獣的な……」


「は? どこがだね?」


「高いところから降りても平気だし、鼻も効くじゃん」


「人間も訓練すればそのくらいできるでしょ」


「それを平然とやってのけるから獣的なのだが……」


「う~ん……。ま、ボクの身体に興味持ってもらえて嬉しいよ。気味悪がる人もまだ居たりするからね。貴族なんかは特に純血主義の人が多いし」


「そういう言い方されるとちょっと……。でも俺は別にそこまでヘンだとは思わないよ」


「ほんと? やったぁ……」


 本当に嬉しそうな顔で照れてみせる泥棒猫の姿に、架空上の存在としてあちらの世界で描かれているから散々見慣れてるし。などという余計な事は言えず、今は口をつぐんでおくことにした。


 ――俺はこの時ハッとした。もしかしたら猫耳属性を最初に考案した絵描きの頭にインスピレーションとしてこの世界の情報が降りていたのではないかと。後続は全て真似事だろうからともかく、第一人者はなにかを感じ取っていたのかもしれない。ともすれば、こちらとあちらとで何かしらの繋がりがあることになるが、今は考えても想像も付きそうになかった。


「それよりもっ。明日も早いし、今日はこのくらいにしないとっ」


「明日早いって、何時くらいなの?」


「ボクは旅支度があるから陽が出たら起きるけど、キミは寝てていいよ。起こしに行くからっ」


「そうさせてもらうよ……」

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