158 第六十二話 幌馬車にて
悪霊に睨みを効かせて人々を守護する怪物――動く石像・ガーゴイルの首には首輪のように綱が巻かれ、犬ぞりが如く幌馬車を牽いてくれていた。それはまるでキャンピングカーを引っ張る大型バイク。とろいけど、ま、いっか。
ソフィアが選んだキルト柄の長座布団に腰掛け、流れ行く後方の景色を眺めてみると、おおよそ人間が駆ける程度の速度は出ているらしく、徒歩よりかは断然速かった。それでも次から次へと普通の馬車が隣を追い抜いていき、とてものんびりとしたものであった。
車輪との間に板バネでも使われてあるのか、小石を弾いても鋭い衝撃に襲われることもなく、グワングワンと衝撃が和らげられているのが感じられる。前方から後方にかけてトンネル状に屋根が張られているので、その言葉の通りに風は筒抜けだが、初夏なだけあって凍えるほどではなく、シーツにでも包まれば夜間も移動し続けられる程度の肌寒さだった。
時速二〇キロは出ているとして、一国の大きさは半径何百キロもあるはず。であれば休憩無しで走り続けたとして隣国まではどれほど要するのだろうか。こう考えるとめちゃくちゃ遅いが、人間四人半と大荷物に加え、幌馬車自体も相当な重さであろうし、ワンコ一頭で頑張ってくれていると思えば文句は言えない。
牽けるだけ偉いよワンコ。凄いよほんと。その苦労、分かる気がした。
「なんだかゆったりしてて、ボク眠くなってきたかも」
「そろそろ日の入りだものね」
「ワンさんへの文句は許さんからな」
「エサ要らずで休み要らず。もっと他の仕事を任せたら稼げそうね」
「田舎に移住してウシの代わりに畑を耕させたらラクそうっ」
「でもなにを原動力にして動いてんだアイツ?」
「さぁ? 歴史ある独立国家、古代魔法の類いかもね。人形に魂を宿らせるものと同じかも」
「霊体を物質化させるんじゃなくて、躯となる器を別に用意して憑依させる感じ、か」
「充填された魔力が枯れたら元の置物と化したりして」
「やっと馬車を入手して意気揚々と出発したのに、縁起でもないこと言わないでくれ……」
などと会話している間にも、蛇を象った杖の握り手を天井に伸ばしてぶら下がっているランプを外し、手元へ手繰り寄せてガラス扉を開くと、白く濁った石英色の石を中から取り出し、足元に置いて銀張りとなっている杖の石突きで叩き小突くソフィア。
すると衝撃を与えられた石は見る見る内に発光して内側から燃え盛るような状態と化していき、ハンカチで掴んでランプに戻すと再び天井へとぶら下げて、薄暗くなってきた車内に明かりを灯すのだった。
隣に座るミアと真向かいに座っているソフィアを見ていると、魔女に見せられた光景が脳裏に蘇り、淫靡な夢を思い出した時のようななんとも言えない気持ちに陥ってしまっていた。実在するクラスメイトで♂×♂カップリングを行い、禁断のボーイズラブに溺れる腐女子の背徳感が解ったような気がする。
なんにせよ、まんまと魔女の策略にハマり、二人を意識してしまっている自分がいた。
全力で頭を振って改竄された関係性を否定し、やり場に困った視線を斜め向かいのシェリーに向けると、今度は(なに?)と訝しめな眼差しを返されて気不味くなってしまい、ならばと前方に目を逃がすと御者台にはロシューの背中があって、手綱握るシルク色の髪には落ちかけの夕陽が反射しており、キラキラと毛先が輝いていた。
キョロキョロと視線を泳がせていると変な誤解でもされそうなので、このままちっこい背中を眺めているのも良いかもしれない。とか考えていると、幽霊なんか見るなとでも言わんばかりに御者台後ろの幕を閉じてロシューの姿を隠し、前から吹き抜けてくる風を防ぐミア。寒がりなのかは知らないが、どこに目をやれば良いのかと視線の置き場に困ってしまう。
みなで夕食代わりの乾パンやドライフルーツ、甘じょっぱいペミカン・バー(溶かした獣脂に細切れにした干し肉とレーズンを混ぜ込み、シリアルバーのような形状に冷やし固めた携帯保存食。言うまでもなく高カロリーなので過酷な環境における栄養補給や緊急時には最適だが、あまりにも脂っこくて食べあぐねてしまった。スープの材料にでもしてやろう)などを各々かじりながら、とにかく追っ手だらけの街から離れることを目的に揺られていく。
この街道に沿って行けば何処かしらの街に辿り着くはずだ。街と街との空白区間をやり過ごす為にこれだけ積んだのだから、なんとかなると信じたい。――ちなみにアンナさんのその後は不明であった。あの状況では望み薄かもしれないが、これもまた、無事であると信じたい。
マルティーナはその才覚を買われて政府から委託された民間の追っ手で、メイド隊とも協力関係を結び、王宮直属の薙刀組とは別行動であるとして……特別に許可されているのだろう、男の調教を。
魔獣や魔者、中央からの刺客や民間人までと、ほんと敵しか居らんのかと。ミアまで満足に歩けなくなって色々と頭を抱える状況ではあるが、しかし今一番の気掛かりは幻惑の魔女に聞かされた話し。ソフィアのことであった。
ソフィアの姿をそれとなく横目で観察するが、傍らに水筒を置いてチマチマとドライフルーツを摘んでおり、どこからどう見ても生きているようにしか見えなかった。空間に満ちる一種のエネルギーを寄せ集めて造られたらしいが、そもそも肉眼で視えて触れ合えるのだから確認のしようが無いし、こちらからしてみれば生きた人間である事に変わりはない。今は気にしないのが一番かもしれない。
ってか思ったけど、エネルギー=質量なんだからなんも問題ねぇじゃねぇか。仲間を疑わせて人間不信を煽り、内部分裂でもさせようってな魂胆か? だとしたら性悪に過ぎる。
「一応確認なんだけどさ、前に言ってたソフィアの姉弟子って、王宮の宮廷魔術士なんだよね……?」
「まさか、会ったの?」
「え……? あーうん。それで色々あって遅れたというか……」
確認しただけで邂逅したことまで見通すその直感力、霊感とも言える鋭い勘に驚いてしまったが、脈略も無く話題に出した時点でお察しではある。
「そう」
ソフィアからの返答はそれだけであった。種々様々なドライフルーツが雑多に詰まっている麻袋を両手にしたまま目を伏せて、本人もあれこれと思いを巡らせているらしい。同じ師匠の下であちらの魔術を教わった二人の弟子、お互いにどれほどの面識があるのかは知らないが、姉弟子からは嫉妬のようなものを感じられた気がする。
「たしか、見た目は三十路くらいのお姉さんで、言動というか口調が幼いまま止まってるというか……片手にパペット人形を嵌めてて、そっちが代わりに精神年齢が進んでる感じだった」
「うん、それは私の姉弟子。一度だけ師匠が口にしたことがある。才能はあるが過去に囚われ、トラウマ――コンプレックスの悪魔を切り離せなかったと。幼い頃に人格が分離して、人形の方だけが精神的に発達し、本人は心が置いてきぼりのまま肉体だけが成長した。師匠はあまり話さなかったし、これは又聞きと噂を元にした私の推測だけど」
「それは、えっと?」
「幼い頃、眼の前で父親を殺され、手人形を介した腹話術でしか満足に人と話せなくなった哀れな魔術師。愛用の手人形は布とフェルトで作られた自身を模したもので、幼少期に服飾職人であった父親からプレゼントされた品。もっとも大切なもの。自分自身であり、もはや己が肉体も同然なのでしょうね」
ソフィアの言に拠れば、あの人は強烈なトラウマを抱えているらしい。同居する二重人格みたいなものかもしれない。多重人格者が新たな人格を作り出すのは精神的な負担、それこそトラウマを肩代わりさせて本人格を守る為だったような覚えがある。
幼い頃のまま止まっている本人格と、子どもの声を作って児戯までする手人形――オトナの人格。二つであるだけまだマシと捉えるべきか。心の中で各人格同士会話を行う場合があるのは知っているが、しかし人格の交代がなされずに表立って言葉を交わすなどという症例はあるのだろうか? 過去の惨劇は手人形が引き受けているとして、それ以外の記憶を共有しているとすれば日常生活に支障も出なくて便利ではあるけども。




