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「ここ、は……」
ビリビリとした全身の神経異常と吐き気を伴った気持ち悪さに膝をつき目を開くと、地面は赤黒く蠢いてドクドクと脈動しており――それは自らの鼓動に合わせて動いているらしく、地面ではなく己の視界がおかしくなっている様子だった。
鬱血した頭に危機を察し、昇った血を下ろすために恐る恐る顔を上げると、そこに広がるは地獄の光景。
業火に焼かれて肉と臓腑を失いつつも、本来は象牙色であるはずの骨は血液と肉片に染まり、骸骨の状態となった亡者共が地面を這いずり、崩壊した壁をよじ登っている。ゆらり立ち上がった目線の先には数千数万もの獰猛なる犬畜生が地を駆け巡り、黒いホコリのようなコウモリが群れを成して焼け色の空を泳いでいた。
「ここは煉獄。これが戦禍。この者共は互いを殺し合い、地に伏せてもなお憎しみに焼かれ続けている哀れな者共。堕天使の救済を待ち詫び、神聖なる灼熱の焔によってのみ救われる」
コレがたとえ幻であろうとも、地獄の光景はあまりにも恐ろしく、おぞましかった。灼熱の業火に包まれて汗が止まらないというのに身体は凍え上がり、幻の焔は熱くないはずなのに暑い。視覚的な情報を受けて脳が勘違いしているらしかった。
「ワタチ……いや、もう児戯はやめよう。我はこのようなおぞましい結果は望んでいない。どうか王宮に戻り、頼みを聞いてくれまいか。悲惨な未来を回避する手立てはある。指示に従ってほしい。王宮に戻レ」
裏声で遊ぶのが辛くなってきたのか、第三の声色――出会った際のお姉さんらしい声に戻して真面目な語り口になるがしかし、人形を介さずにはマトモに喋れないのだろうか?
その言葉を聞いた瞬間に全てを理解した。メイドは居ても付き従う主の姿は見掛けなかった。しかしこの人が……。この魔女は、宮廷魔術士といったところか。
あの部屋も場末の宿とも受け取れる作りをしていたし、メイド隊を動員してこの人の下へと誘導されてしまったらしい。一般人のフリをして職権を乱用、一晩だけ好きにしようってな魂胆だったのだろう。そして拒否られたから幻惑の術にハメて今と。にしても、これが王宮の……。
敵わない。そう思い知らされていた。今回はこの人の独断なのかもしれないが、宮廷魔術士がわざわざ出向き、壮大な幻影を見せてご説得するのだ、生命を奪おうと思えば瞬時に奪えるハズ。あまりにも非現実的で、非力であった。ただ相手の手中に命を預け、幻に溺れるのみ。剣や銃などといった次元ではない、知覚を狂わせ五感をハックする業。その術の前ではただただ無力だった。
しかし俺は諦めない。幻影に心を打ち砕かれ、頷いた時が終わりだ。雑談は連想ゲーム。それを繰り返す事によって相手を知り、自発的に望む方向へと向かわせなければならない。コミュニケーションは合気道であり、従わせようとするから上手くいかない。力の強弱ではなく和気藹々と上手くやらねば、相手に自分の望みを押し付けたところで逃げられ反抗心を抱かれ殴り返され、自我と自我とがぶつかり合うだけの無毛な争いに発展する。俺だって傷付きたくなんかないし、エゴの塊みたいな王宮はそれが解ってないから逃げるしかなくなる。余裕を欠いているのは解るけども。
「色々と凄いのは、分かったけどさ……帰してくれよ! 妄想はいいから帰してくれ!」
「妄想? これは確固たるイマジネィション。制御できぬ思い込みとは違う。全て意識的に映し出し、掌握している」
「そしてお前も手のひらの中って言うんですねワカリマ」
「話しが早くて結構。これは指導」
頷くまで指導し続けるつもりかよ……。ならばこちらも利用するのみ。頷かされる前に聞き出してやる。
「ならこの世界はなんなんだよ。何処の惑星だよ! それくらい教えてくれよ……」
「此処はアストラルで隔てられた一つの大地。お前らの流儀に従って言えば別のマルクトとなる。男はみな好んでネオ・アースと呼称していたがな。傲慢で嫌になるよ」
相手からすれば呆気に取られてポカーンっとしているように見えたのだろう、必死で言葉を噛み砕こうとしているこちらの反応を前にして、魔女は続けた。
「この世界は人々の意識によって観測され、形成されたもの。数多存在する中のひとつの物質界。仲間の魔術師もこのくらい知ってると思うけど?」
「え、なら未確認飛行物体でキャトルミューティレーション――アブダクションされたわけじゃ……」
「アストラル界を挟んでお前の星とこの星とが存在している。時空を超えた大地のセフィラー。想像に難いなら五次元空間の先にある別惑星とでも思っていれば良い。同一宇宙の歴史が重なり合う四次元ではなく、パラレルな複数の宇宙の歴史を内包するひとつ上、そこを経由する。場所で言えば並列、兄弟の中のひとつ。違いはそう無い」
この物質界が三次元であるのは言うまでもなく、過去や未来を全て一度に見渡せるのが四次元人として……多世界解釈における別宇宙の別惑星ということか?
「まだ難しいか……。つまりだな、ここは同じ森にある別の樹。同一の大地に根ざしている以上、同じく上に向かって伸び、同じように葉を広げている。基本的な植生は大きく変わらず、故に森の規律は保たれている。とはいえ別の樹木。細かな特徴の差異はある。世界樹――生命の樹は一つではないのだよ。人もまた同様で……」
「ごめん、よくわからない」
「あなたは車にひかれたの。買い食いして、ジュース飲んでるときに」
「コンポタの最後の粒を求めてめっちゃ上向いてたのは分かった……。けどさ! ならどうやって男を連れて来ているのかと問い詰めたい!」
「太古の昔、未だ魔法が盛んだった頃。別の大地を夢見た大いなる術者、史上最も神に近付けた者の遺産――遺された智慧による。アデプタス・メジャーの神人は秘密の首領となりて我らを導き、救済の手を差し伸べてくださっている。お前もその御方の抱擁を受け、この惑星に降り立ち、再びの受肉となったのだ。贄として乙女を捧げている。自らその身を犠牲にした乙女の献身を踏み躙るな。その生命、軽くはないと知れ」
「えーっと?」
「つまりだな、死した者の霊魂が欲望を洗い流す煉獄へと入る前に、再び輪廻を巡る前に、あるいは悟って一者に還る前に秘密の首領が手を取り、浮遊し漂う意識をこの惑星の引力で引き寄せ、こちらで肉の衣を纏わせてやっているのだ。霊的な導きと人為的な蘇りだと思え。
一度遊離したものは空中を彷徨い、重力に引かれて再び沈殿、定着する。これが人間をはじめ神霊が抱える陰の特徴、世の理。輪廻転生もこのようにして成される。遊離は就寝時にも起こる。現から夢へと呑まれる直前、顕在と潜在の狭間、人の意識は霊妙な身体が受け取る知覚を認識し、時にアストラルへと至り世界を飛び回る。その意識体を核にして肉体を与え、大地へと固定するのだ」
「なら霊体となった俺を直接連れて来たのは過去の魔術師の亡霊で、ソイツが生きていた頃に遺した知識を用いて王宮が肉を纏わせて……輪廻転生する前に他の、こちらの物質界で生き返らせている感じとして……」
「乙女の血肉からもたらされる半霊半物質的な生命エネルギィ――魂魄の魄を練り合わせ、個別の形を未だ有する、前世の人格を失う前の霊魂に纏わせ、崇高なる天地からの御力を注ぎ込み、半霊的な衣を物質化、肉付けしていく。テウルギアの秘儀、紅の儀式にも近しいか」
だから途中の記憶が途切れてるのか……? 衣服もコピー品というか、俺の記憶に基づいて再構築されたのかもしれない。
「第二の人生を歩める事に感謝したまえ」
「何度言われても解んねぇよ……」
「ならば説明しようッ! わからないなら解るまで教えるのが指導者の務め。人々を導き、精神性の向上を願う羊飼いの務め。上に立つ者の務めだ。順を追えば、人が視る幽霊の正体は空間に満ちる場のエーテルに刻み込まれた意識の残滓が殆どであり、これは物品の記憶を読むものと同じく、惑星記憶や宇宙のアカシャとも同じく。感情が強ければ強いほど刻み込まれ、勿論その者の生死は問わない。
同時に二箇所に存在する魔術や秘教の業もあるがしかし、自立した自我ある本物、本体そのものであり分身ではない霊魂、肉体から丸々抜け出した魂はあるのかと。みなが考える幽霊は存在するのかと。答えは、非常に稀だが、ある。それは時空を闊歩し、一つの歴史のみならず並行する世界までをも移動し得る。そもそもとして星幽の狭間――”アストラルの禁断領域”に迷い込んだのはお前の方だ」
「ご説明はありがたいけど、ならどうやったら戻れるんだよ!」
「王宮で目覚めた時、茶を出されただろう? ものを口にした時点でもう戻れぬ。とはいえ、死ねばあるいは」
「死んだら、輪廻にのまれるだけ――」
「どちらの惑星の引力に囚われるのだろうな?」
とか会話しているが、ヨモツヘグイかよと。って事はここは黄泉の国? いや、星海の先にある彼の国か……。
ただでさえエゲツナイ光景に囲まれた中、あーだこーだとワケの解らない御託をゴチャゴチャ言われて更に気持ち悪くなってきた。まだお説教の方が感情的になれる分マシかもしれない。新しい拷問だと思った。人の成仏を妨害して無理やり連れ去るとは何事よ。
話しを聞くに、どうやら片道切符で戻れず、こちらからあちらへも同じくらしい。往復出来ない事によって安寧が保たれているとして、惑星どころか平行世界の別の宇宙……。半ば諦めてたけどもう完全に戻れないのかも。あちらに未練が無いのがなんとも悲しい。きっと未練という名の執着が無い者が惑星の引力から抜け出せるのかもなとニワカ理解。




