015 第六話 猫の集落、旅支度
おぞましい魔獣の姿を目の当たりにして恐れ慄き、丸一日なにも食べていない凍える身体を更に戦慄かせていた。
脳裏にはあの光景がシッカリとこびり付いており、まさかたったの一日で二つものトラウマを植え付けられるだなんて――。自分が置かれている状況とこの星の現実を、垣間見てしまった。
周囲を警戒しながら森の中を進んでいくと、ふと前方にボンヤリとした明かりが見えてきて、ぬくもりある人工的な灯火を目にした瞬間、心底安堵したのは言うまでもない。
やっとの思いで到着した頃には既に日が暮れていて、森の中は真っ暗闇となっていた。暗闇の中を凝視して小柄な背中を必死で追い掛けていた目を小さな灯りへと移し、一目散にそこを目指していくと、泥棒猫も気を張り巡らせていたのか、
「とうちゃぁーくっ! はぁ~……」
枯れ葉が積もっていない人の道に出た途端、やっと解放されたと言った調子で明るい声を上げ、すぐさま深いため息を漏らして肩を撫で下ろしたのだった。まったく同意である。脚に響く踏み固められた硬い土の感触が、なんだか愛おしく思えてしまった。
顔を上げて見てみると、森と里とを隔てるようにしてぐるりと設置されている二メートルほどの柵にはアーチ状の入り口が設けられており、おそらくは村の名が記されているのだろう木製の看板が付されていた。
先を行く泥棒猫に着いて行きその簡易的な門をくぐると、まず何件かの素朴な家々に囲まれたちょっとした広場があり、奥にはツリーハウスが点在している様子だった。各戸には明かりが灯されていて、夜だと言うのにまるでクリスマスのように明るい。
アジトと言うからてっきり掘っ立て小屋のような隠れ家を想像していたが、森の中にひっそりと佇む隠れ里と言った趣きで、まさに少数民族の人々が肩を寄せ合う小さな集落であった。
「ここがアジト?」
「うん、ボクの故郷っ! 今晩はゆっくり休も? 旅の身支度しなきゃだしっ」
「旅って、え……?」
「中央国の領地から出るんだよ。じゃないと遅かれ早かれ捕まっちゃうよ? そんなのはイヤでしょ?」
「それはそうだけどさ……」
満腹の状態でメシの話しを聞かされても嬉しくないのと同じく、歩き疲れている状態で旅の計画など聞かされても、今は過酷な未来しか頭に浮かばない。ともかく、今晩はここで休み、翌朝出立するらしい。
ここに訪れるまでは誰にも知られない秘密基地のような場所を想像していたが、公には森の中にあるただの獣人族の集落ということになっているらしく、あまり長く滞在していると追っ手が来るかもしれないとのこと。緊張は抜け切れないものの、それでも足を休められるのは助かった。泥棒猫の生まれ故郷に立ち寄ることになるとは思いも寄らなかったが。
「まっ、みんな仲間だから安心してよっ」
「ってことはつまり、みんな泥棒なんか……」
取って食われたりしない、よな? 野蛮なのは流石に御免だぞ……。
話しながら広場を見渡してみると、猫耳と尻尾を生やした人々の姿がチラホラと窺えた。どうやら此処は獣人族は獣人族でも、猫耳族の集落らしい。それぞれ毛色は違うものの、みな泥棒猫と似たような民族衣装を着ており、泥棒とは思えない普通の格好をしている。
しかし仲間ということは、あの時あの王宮の広間に飛び込んできた際もそうだし、恨み節を炸裂させていた近衛兵の口振りからしてもオトモダチと言った調子だったので、てっきりコイツのあだ名として”泥棒猫”と呼んでいるのかとも思っていたが、実際はもっと広い意味で口にしていたのかもしれない。みな知ったような口でコイツの事を呼んでいるから勘違いしてしまった。
今更ながら発覚したそれを元に考えると、つまり此処は、どこにも属さないはぐれ者の盗賊団の、ねぐららしい。表向きは女子らしくカラフルな布切れや木の葉などを用いて所々に飾り付けが施されている小さな集落に見えるが、裏では窃盗で成り立っている泥棒の里とは……。女子特有の二面性が感じられて恐ろしくなってしまう。
「心配しなくていいよ。庶民はみんな苦しいから、余裕のある貴族とか商人からしか絶対に盗らないもん」
「いや、胸を張って言われましても……」
思うに、義賊というやつなのだろう。泥棒としての仁義だかなんだか知らないが、富を独占する貴族連中に対する一種の反抗なのかもしれない。正々堂々と抗えるだけの人数もこれでは確保出来ないだろうし。
戸口に腰掛けて、やけに煙道が長いチャーチワーデンのパイプ――鈍い銀色をした大振りのパイプを手に煙を吐き出していた恰幅の良い強そうなオバサンなんか、ジロリとこちらの姿を見遣ると立ち上がって家屋の中に入っていくし……いやなんか怖いっす。
「あとは探索とかっ! 古いものには価値があるー♪」
頭の中のオタカラに目を輝かせている泥棒猫はともかく、屋外に出ている住民の姿を観察すると若い者の姿はチラホラと確認出来るには出来るが、それでも見たところ幼い子供の姿は少なく、殆どが泥棒猫と同程度の年頃をしていた。
川姫のような年端も行かぬ幼い子は片手で数えられる程度であり、ちょうど十歳前後といった調子。おそらく一〇年程は男が訪れていないのだろう。道理で躍起になってこちらの腕を離さないわけだ。男を逃すということは、この民族の消滅を意味していた。
「帰ってきましたか。もうメシはありませんよ、ボンクラ」
「うっ、なんだいそれは! こっちは怪我もしてるんだよ!?」
「どうでもいいから、それクレ」
若い層はみんな異母姉妹? なんだよな。頑張ったな前の人……。どれほどの頻度で男が連れて来られるのかは不明だが、十数年前に此処に誰かが訪れた足跡があるということは、きっと今も存命中であり、明日の俺と同じく旅をしている可能性もあるのか。んで前の人が来た時にはあの王女様もまだ幼かったから、こちらにその役目が回ってきたと。ナルホドデスネー。
「ボクが一番最初だにゃ! 早い者勝ちの掟を忘れるにゃ!」
「わかった、忘れるみゃ」
「そうじゃにゃーあぁい! 忘れるにゃにゃ!」
「だから忘れるみゃ。安心して、それ、ヨコセ」
「ふぅううッ……!」
「フぅううッ……!」
「エモノだにゃぁ! ウタゲだにゃぁ!」
「みんなぁ! うたげにゃ~っ!」
納得している間にも、ネコ達は尻尾を立てておでこをくっつけ合い、シャーシャーフーフーと威嚇し合っていた。何処からともなく現れ、満面の笑みを浮かべながらカボチャ色のアホ毛さんが両手を跳ね上げると、それに続いて深緑ショートのロリっ子が皆に呼び掛け、ぞろぞろと住処の中から姿を表すネコたち。発情期の猫ってやたらと騒ぐけど、ここでもそうなんだな。まるでお祭り騒ぎだ。
「はじめまして。吾輩は猫である。月が綺麗ですね。草枕を共にしませんか?」
いやなんか混ざってる混ざってる! 確かに猫だし月も綺麗だけども!
泥棒猫とにらみ合っていたその子は、背丈に関しては泥棒猫と同じくらいで顔の高さもほぼ揃っているが、泥棒猫よりも若干細身で更に身軽そうな身体付きをしていた。
バンザイしてクルクルと身体を回らせているアホっぽい子と姉妹なのか、その子と同じカボチャ色の頭髪を肩まで伸ばしてツインテールにしており、濃い紫の瞳は知的な眼差し――ジト目をしている。泥棒猫と横に並ぶと、まるでハロウィーンみたいな組み合わせだった。いや、二人とも服が深緑なのでクリスマスツリーかもしれない。
「これは幼馴染なんだよ。気にしないで、バカなだけだから」
「は? 羅生門に捨て置きますよ? 魔術も使えない阿呆には言われたくないです」
今度はそっちかぁい……。まぁ、仲良いのね。そんなことよりも早く休みたいんだが?
などと騒がれて困惑している間にも、各戸からテーブルを持ち出して広場に並べ、椅子代わりにするらしい切っただけの丸太を転がし始めるネコたち。
双子らしきロリっ子さんたちは「「よっせっ、よっせっ」」とこちらまでテーブルを運び、小太りのオバチャンは「ほらあんちゃん、座りナっ」と丸太椅子を用意してくれる。
時計など持っていないので分からないが、感覚的にはものの数分で宴会場が完成された。みな目的を同じにしてせっせと準備しており、だらけているのは我々のみであった。
「ま、座ろっか」
「そうさせてもらいます……」
促されるがままにテーブルへと手を付けて、身体を労りながらゆっくりと腰を下ろすと、ただ”座る”という単純な行為のはずなのに、腰を下ろし始めた脚には強烈な鈍い痛みが走って背筋に緊張が走り、つい眉間を寄せてしまった。全身の筋肉は完全に立って歩く状態にあったらしく、かなり凝り固まっていた。
「ほれっ、これ食いな! 元気になるよぉ~」
椅子を持ってきてくれたオバチャンに差し出されたのは、虫だった。正確には丸々と太った白い幼虫の干物であった。確かに精は出るだろうが、遠慮させていただく。イナゴならばともかく、ザザムシならばともかく、蜂の子なら……。うん、カブトムシの幼虫みたいなソレはいいかな。などとたじろいでいる間にも横から手を伸ばして、
「ひょいぱくっ! ひょいぱくっ!」
むにむにとほっぺを膨らませて、物凄い勢いで食べていくネコ。泥棒猫は、たくましかった。
このような感じで、これから晩飯を食べようとしていたのだろう家庭からは湯気を立ち上らせている出来立ての料理が、すでに夕食を食べ終えたらしき家からは複数の保存食が持ち寄られ、様々な家庭料理を振る舞ってもらえた。まるで公民館にタッパーを持ち寄って即席の飲み会でもするかのような雰囲気だ。
それをみなで分かち合い少量ずつ摘んでいる間にも、女将さん連中はここぞとばかりに鍋を振るっているらしく、次から次へと運ばれてくる料理。集落に訪れたこちらの姿を目にして、すぐさま準備に取り掛かっていたのだろうと察せられた。まだ卓に付いてからそれほど経っていないというのに温かな料理が目の前にあるのだから、冷静に考えたら驚きである。
こちらを待たせないようにと気を配ってくれているのか、すぐに出せるものをお通しのような感覚で並べ、次いで手短に作れるサラダや、燻製肉を細切れにしてタマゴに混ぜたスクランブルエッグみたいなものを始めとする簡単な料理、それから少し時間が掛かるスープ類――といった調子だった。
「あぁ染み渡るぅ……」
やはり疲れた身体に最も嬉しかったのは、甘いハチミツジュースであった。木材をくり抜いた質素なカップに注がれたそれは、ただハチミツを水で溶いただけではなく、柑橘系の果汁も入っているらしく、中毒性の高い甘酸っぱい味に頬がジンワリと溶けるような感覚を覚え、何度もお代わりしてしまった。
木皿に盛られているナッツらしき木の実をかじってみると油分の多いこってりとした深味があり、まさにジュースと合っている。
乱切りされた野菜や獣の肉が見えるポトフのようなスープはしっかりと塩味が効いていて、これまた凍えていた身体には非常に有り難かった。
急に食べると胃袋が驚いてしまうのでチマチマと口へと運んでいる間にも、半ば呆然としていた意識は次第に回復していき、一枚膜が張っているように見えていた視界もクリアとなっていった。
非常に捻くれたネガティブな考えではあるものの、歓待のもてなしは一種の口止め料であると考えると、みなが浮かべている明るい笑みが邪悪な微笑みにも見えてしまうが、捕まらなければ口を割る必要は無いし、その為にも泥棒猫は逃げる手伝いをしてくれる訳で……。
引き入れる為には先ず自らをさらけ出し、敢えて弱みを握らせて信用を獲得するという、裏切ったら完全にこちらが悪者になるやつであった。
だとしたら結構ズルいなコイツ……。あぁ、どんな手を使ってでも逃げる泥棒だった。ま、いっか。
――王宮に捕まるのは御免だし、この世界のことを何も知らない一文無しの俺にとって、いま頼れるのはコイツしかいない。そう思い始めてもいた。