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アンナさんに付き添われてまずは干し肉、次いでチーズを塊で購入し、残り僅かとなった残金で軽食用の乾パンでも買おうかと菓子屋の前で品々を眺めていた折、ふと隣を見るとちっこい女児が並んで立っており……。
糖蜜にくぐらせた甘ったるそうなクッキーを見詰めてゴクリと垂涎な女児にあろうことか「あなた、ひとり?」などと声をかけているのだから勇気があるというか、優しい人だ。周囲を見渡すが、しかし母親らしき姿は無く。
「ぅん、はぐれた」
迷子にしては泣いたりもせずに落ち着いている幼女は、レモン色の髪を片結びにして肩から下げており、ついあの子の姿を思い出してしまった。男が狩り尽くされる寸前に生まれたのであろうちびっ子は水色の高そうなドレスを身に纏っており、瞳の色もライム色でシンシアとはやはり別人であった。
「では一緒に探しましょうか」
その子の姿を眺めている間にも、こちらが口を挟むよりも前にそういう流れになっており――ドーテーなのに親子に思われるのはなんだかイヤではあるが、こちらも気になったのでついでに購入した糖蜜塗れのベタベタクッキーを三人で食べながら親御さんを探す。
薄くコーティングされている糖蜜はレモン風味で仄かに酸味が感じられ、口の中は大甘味。これならバラ売りでもクッキーが湿気らず、よく考えられたものだなと関心。
「そんなにアタシのこと見て、男ってほんと……野蛮なの? アタシまだ子どもだよぉ~? 自信無さすぎぃ」
その子は聞いていると共感覚的に唾液が染み出すようなキレートな声をしていた。ひとまずはクエンと名付けよう。マセガキめ、レッテル貼るのはやめてくれ。
「優しい男の人もいますよ」
「ウンウン、俺みたいなね」
「まぁ男はみんなオオカミですけど。夜になると特に、がおーって……」
うんうんうん……っておい想像で語るのはやめてくれ。間違いじゃないけどさ!
「あーおっも……結構買ったなぁ」
「だっさぁ~♪ それでも男ぉ~?」
とか話しを変える為に呟いたら即座にコレですよ。ちっこい背丈で扇情的に見上げてくる迷子は目元や口元を弓なりに歪ませてニヤニヤしており、お前自分の立場解ってんのかよと。こちとら初対面ぞ?
「事あるごとに煽るのやめてもらえません……? チビって言うぞチビ!」
「ひっ……!? えぐ……ぐすん……」
「よしよししてあげますから、ね? 怖かったね~?」
嘘泣きやんけ、口元笑ったままやんけ……。さっさと親んとこ返してやろ。なにしてんだろ、オレ。
改めて考えてみると唐突過ぎるこの現状。頭が追い付かず、冷静に見れば異様である。しかし、かと言って出会いはいつも突然で、そもそも迷子ならば尚更。おまわりさんに声を掛けられて勘違いされるよりも前にこのメンドー事、片付けてしまおう。
「あっ、ママっ」
「あれがお母さん?」
「うんっ」
さっさと親御さんを探して……そう考えている間にも母親らしき女性の元へと走っていく迷子のメスガキ・クエンさん。アンナさんと共にその背中を追い掛けていくと、豪華な馬車の前にドレスを着た令嬢風の女性が立っており。その姿を見て警戒するが、母親はペコペコと頭を下げるのみで怪しい動きは見せず、お礼の言葉を口にしたのは小間使いらしき付き人の老婆であった。なにも言わず申し訳無さそうに頭を下げるあたり、どうやら口が聞けないらしい。
「ほら、おじょっちゃまも」
そんな母親の背中に隠れてドレスのスカートを掴み、プイッと唇を尖らせて言うは「ありがと」のみ。いやそれだけかいっ! とつい突っ込んでしまいそうになったが、なにはともあれ早々に見付かって良かった。
親御さんに引き渡した女児とバイバイして「良かったですね~」と隣に並んだアンナさんと共に「ほんと良かったよ」と胸を撫で下ろし再び歩み始めると、「次はなにを?」とか言われ、こちらも「なんだろ」です。
乾燥パスタに乾パン、干し肉にチーズ、あとはジャガイモとかも日持ちしそうだけど、これは馬車を調達してから箱買いするとして……。などと考えていたら、「ならこちらに行きましょっ」と不意に腕を掴まれて連れ込まれましたは、路地裏。
この子はがめつくない、安心できる。そう思ったのも束の間、薄暗く人気のない路地裏に連れ込まれ、お祭りの音が遠ざかると両手で突き飛ばすように背後の壁へと押し付けられ――次の刹那、唇に柔らかな感触が訪れるのだった。ほんのついさっき親御さんの元に迷子を返したばかり、唐突過ぎてワケがわからない。
は……?
あまりにも突然のデキゴトに呆気に取られ、されるがままであった。
壁ドンされて強引にキスされている……らしいが、背伸びをして、頬を染めて、艷やかでハリのある唇でこちらの口を塞ぎながら、顔を斜めかせて深く深く舌先を挿入してきたかと思えば、さり気なく太ももを撫で上げ触ってくる一般人。もとい、ストーカー。
アンナさんの唇には砂糖の甘さが残っており、レモンの風味がほのかに感じられた。サードキッスは路地裏でした。
「またお逢いしたかった……」
ひとまず満足したのか、困惑しているとふと胸元に頬を寄せて、切なげな声でそっと抱き着いてくるアンナさん。無理やり迫ってきたかと思えばこちらの胸元に真っ赤な顔を埋めており、まるで何晩も愛し合った仲かのような言い草であった。背中に回した両手でこちらの外套をギュッと掴んでいるのが感じられる。
無邪気な町娘かと思ったら思っていたよりも情熱的で、やはり偏愛的なストーカー気質であると察せられた。
「もう一度遭いたかった。それだけで良かった。でも、やっぱり……」
一般人にまで騙され、完全に人間不信に陥ってしまいそうであった。王侯貴族がアレなのは流石に学んだし、魔族の方々はそういった欲求が強いのも把握しているけども、まさか普通の一般人がこんな……。
「ごめんなさいっ……」
「え、いや……」
これでもかと深く俯いて一歩下がり、抱き着いていた身体を離して恥じらいと罪悪感に悶えている乙女を前に、こちらも顔を背けてキョドる。
なんとも言えない悩ましい初夜感に二人で包まれ、言葉も無しにお互いどうしようかと考えあぐねていたその時、背けている目線の先、路地裏の外を行き交う人々の中にチラリ見えたのはモノクロームな姿で――。
その姿は一瞬ではあったが、ピンク色に緩んでいた背筋には緊張が走り、まさに冷水をかけられてしまった。次から次へと状況が変わっておかしくなりそうだ。がしかし、先に口火を切ったのはアンナさんのほうだった。
「思いのほか早かったようで……逃げましょう」
通り過ぎていったメイドの姿はもうそこには無かったが、硬直するこちらを前にして事態を察したのか、真面目な顔で見上げてきてさっと手を取ると、路地裏の奥へと向かって歩み始め、逃亡犯に惜しみなく協力してくれるアンナさん。
この場の流れで一緒に逃げ隠れる事態に陥ってしまったのは仕方ないとして、ふと呟いた言葉が引っ掛かっていた。もしかしたらこの街に訪れる以前、同じ方角へ向かおうとしている追っ手の姿を目撃して話しを盗み聞き、こちらが置かれている立場をその時に知ったのかもしれない。
なんにせよ状況整理をする暇も無く、今は今を必死で駆け抜けるほか無い。頭も心ももうグチャグチャであった。
さっきまで全く見掛けなかったのに……なぜ居場所が割れた。あいつらが報告したのか? いや違う、それにしては早い。複数の部隊が手分けして追っているのか。あるいはやはり占いかなにかで居場所がバレているのか。夢中でお買い物している間に到着した感じであろう事は察せられた。時間を巻き戻して呑気にもはしゃいでいた自分に忠告したい。チュロは二本までが限度だと。
そうしていつかと同じように、しかし異なる路地裏を進むが、行く先々にはメイドの姿があり、何人ものメイド達が彷徨いている様子。やはりこちらの動きはお見通しらしく、しかもアンナさんはネコ耳族にあらず普通の人間、見付かるまでは時間の問題であった。




