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144 第五十八話 カーニバルの始まり

 少々時は遡り――。


 ミアを背負って近くの街へ赴くと、本日は祭りをしているらしく、街中の至るところにカラフルな布切れや巨大な旗が飾り付けられており、人々は飲んで踊ってと活気に溢れていた。


 メインストリートらしき大通りには、木組みに紙を貼り付けて白竜の形に造形された巨大な山車を中心に、笠鉾のような行列がぞろぞろとパレードしていて、まさにお祭り騒ぎ。みな出し物に目を奪われているだけあってそれほど視線は集まらなかったものの、怪我人背負ったこの状況、こちらもまたゆっくりと鑑賞して楽しむ暇などは無かった。


 こうしてミアをおぶっていると、いつもとは逆でなんだか違和感を覚えてしまう。いつもはソフィアを担いで隣にミア、それを日常として認識している自分がいた。今までの人生において女子を背負うなどという経験など皆無だったというのに。


 この付近に他の街はない。強いて言えば今朝出立した農村となるが、歩きとなれば数時間はかかる。あいつらも怪我をしているから俺達の後を追うようにして、もっとも近場にあるこの街で宿を取るはず。運悪く隣の客室にでもなったら苦笑する他ない。


 同じ街に滞在していると思うと気が重いが、お互いに痛み分けをした以上、街なかで遭遇したとて今は睨まれるだけだろう。ともかくあいつらも動けないはず。こちらも今のうちに準備を整えさせてもらう。


 ――先に街へと入った御一行は、街の様子もほどほどにミアの治療へと取り掛かっていた。


 身を隠すようにしてなるべく静かな裏通りを進み、表の祭りとは裏腹に裏では日常生活を送っていた地元の方々に教わって場末の宿を借りると、背負っていたミアをベッドに座らせて早速ソフィアと共に治療へと取り掛かる。


「うちが治そっか……?」


「頼むよぉ~……痛くて痛くて、ボク泣きそ……」


「いい。良い機会だからお灸を据えなければ。治療して放っとけば治るから、あなたは無理しないで」


「魔法使うと痛いもんね。体力も消耗するみたいだし」


「ボクはそれよりもずっと痛いよッ!」


「では、治療を始めます」


 傍らに置かれた手提げ鞄を開いて火薬臭い中からソフィアが小瓶を取り出すと、目配せされたので一先ずはシェリーの肩に手を置いてどいてもらいまして、ミアの太ももに突き刺さったままの棒手裏剣を抜き去る。そう、躊躇無く一息に。


「イッ……! キ、キひっ……キミねッ、抜くなら抜くって言ってよ! ボクにも覚悟が……」


「あごめん。だって」


「や、やめ……イッひぃいい~ッ!」


 溢れ出す血液に眉間を寄せながらテキトーに謝って、だって目配せされたから。と続けようとしている間にも、もはや一種のファッションと化している古い包帯を解いて小瓶の栓を抜き、自らの両手、そしてカッポリと肉が見えてしまっている傷口に透明な液体を盛大にぶっ掛けるソフィア。涙目の患者に消毒液ばっしゃーするのだから容赦ない。


 頭髪と共に猫耳やしっぽまでピンっと逆立たせてビリビリと震え上がりながら変な声を出したミアはといえば、貧乏揺すりがごとく無事な片足で地団駄踏んでおり、まさに床ドン。その痛み、想像すらしたくない。直視もしたくない。


「痛いうちに痛いコトしとかないとね」


「へ、ソレまさか……え、麻酔は?」


「麻酔は、ない」


 裁縫用の縫い針に糸を通しながらソフィアが返すと、その言葉を聞いたミアの瞳からは光が消え失せていき、感情失われた顔で微動だにもしなくなるのだから哀れ。もはやされるがままのまな板の鯉。あまりの絶望感にヤルならヤレとでも言わんばかりの無抵抗だ。


「骨で受け止めたのね、丈夫な骨。では、皮を縫っていきます。猿ぐつわはいる? あでも、ネコも立派なレディーだものね、わーきゃー言わないよね」


 ミアの反応は、無かった。


 言い終えると同時にミアの素肌へとチクリ縫い針を突き刺すと「ヒッ……」と魂抜けていた顔を青ざめさせて肩をすぼめるミアであったが、怯えた姿も構わずに手際良くチクチクと縫っていく白魚の指。


 平常時ならば針先で突かれるだけでもかなりの痛みであるが、大きな痛みの前では小さな痛みなど掻き消されてしまうのか、あるいは終始痛くてもう全部が全部痛いのか。きっと後者だ。


「ほら、手握っててあげるから」


 あまりにも痛々しくてこちらも目を背けずには居られなかった。一目散に命を狙われるほど今まで散々盗みを働き、王宮に恨まれてきた泥棒猫もそうではあるが、すべては俺に原因があると言えなくもない。隣に腰掛けてミアの片手をそっと掴んでみると微かに猫耳が動き、痛みに耐える表情がほんの僅か穏やかなものになったような気がした。


 しかし歯を食いしばる無言の中に安堵の色を見せた横顔よりも今は、掴んだその手に浮かぶ尋常ではない汗の量、そして風邪でも引いているのかと思われるほど熱く火照った熱感に意識が持っていかれてしまった。


「なんか熱出てるみたいなんだけど……」


「肉体の危機を受けて本能が活性化しているのかもね。細菌も侵入しているでしょうし」


「なるほど。で、それは治るの?」


「傷は治るでしょうけど、うーん……」


 などと小首を傾げながらもジグザグと糸を通していき、最後に家庭科の授業で習った覚えがある懐かしい玉結びをして傷口を縫い終えるソフィア。手慣れた手付きではあったが診療所を開いていたわけでもなし、きっと暇潰しとして嗜んでいたお裁縫で培ったのだろうなと。


「ネコ、いま私になにされてるか分かる?」


「体重かけて思いっきり足踏んでる」


「神経は生きてるみたいだし、リハビリすれば歩けるようにもなるでしょ。よかったね、ネコ」


「はい。……って、え、もう終わり?」


「次は包帯を巻く。キツく締め上げるから覚悟して」


「はい」


 痛みからの解放に期待を抱いて現世に戻ってきたかと思えば、いつもの調子に戻ったばかりの顔はまたしても無と化し、こちらの手を握っている指先を静かに強張らせるミア。その太ももを見ると縫い終えた箇所からは新たな血が滲み始めており、床掃除も後回しにして自らの手を消毒していたロシューから包帯を受け取って、脅し文句とは裏腹に丁寧な手付きで巻いていくのだった。


「シェリー、一緒にお掃除しましょう」


「あ、うんっ」


 ミアの手当ても仕上げとなり、邪魔にならない片隅で静かに見守るのみだったシェリーとロシューが消毒液と血液に塗れた床を掃除し始めると、また歩けるようになるという希望に肩を撫で下ろしながら少々話題を変え、下唇を噛んでいるミアの気を紛らわせてやることにした。


「それにしてもその杖、道理で顎にクルわけだ」


「私に剣技は向いてないから、あくまでも護身用だけどね。魔術師で銃、銃だけと思ったら仕込み。次はなんでしょうね」


「次は爆弾、というか煙幕ですね分かります」


「まさか木製の杖で刃を受け止められるとは思わなかったでしょうね。でもあの二人にはもう通用しない。あなたも口外禁止っ。はい、終わり」


「ちょっ……痛いからッ!」


 終わり、と口にすると同時に包帯が巻かれた太ももをぺちんっと叩いて立ち上がるのだからなんとも。


「痛いのは生きてる証拠。良かったじゃない」


「良くないよ! その子が恨ましい疎ましい羨ましい!」


「羨ましいならまずは欲を捨てることね。シスターになって修行あるのみ」


「あああまだ痛いよ……痛いいいぃ~! なんかボク、痛くてイライラしてキタァ」


 傷付いていないもう片方の足で床をドンドンと踏み叩くネコ。案の定振動が伝わって傷に響いたらしく、涙目で即座にやめている。痛みに耐えるものではなくなっただけマシではあるか。


「喚くなネコ。毒を塗られてなかっただけまだマシじゃない。化膿する前に手当てが間に合って幸いじゃない。なぜわざわざ肉体を纏ってこの世に生を受けたのか。それはね、痛みや辛苦、悲しみや哀れみ、もちろん楽しみや快楽もあるけど、そういった肉体に起因するものを体験する為にその肉体があるの。だから甘んじて受け入れなさい。それが霊性の進化に繋がる。あなたの魂は喜んでるはずだよ。いつまでも健康無事だなんて、この世に生きている意味がない。もっと苦しみなさい。あなたには苦しみが足りないのよ」


「お説教はいいからどうにかしてよ! 魔術師なら痛みくらい消せるでしょ!?」


「知ってても教えない。今までに傷付けてきた人々に対する懺悔をするまでは。今後一切、他人に刃を振るわないと誓うまでは。他人を痛めつけるのは構わないけど自分が傷付くのはイヤだなんて、そんなワガママは認められない」


「なら黙って捕まれって言うの!? キミだって鉄砲でバンッてしたじゃん! 檻の中なんてヤだよ! もういい。新人クン~、よしよしして~……」


 か弱い顔して瞳をうるんっとさせられると、電波降り注ぐソフィアのようには非情になれなかった。隣に腰掛けたまま握っていた手を離し、ネコ耳避けて後頭部のあたりを「よ、よしよし?」と撫でてやると、


「なんで疑問形なのさぁ~!」


 細かい不満を口にして唇を尖らせるミア。なんにしても、少しは元気になったみたいで良かった。――がしかし、これは序章に過ぎなかった。それからも事あるごとに甘えてきて、ミアは結構、重い女であることを知った。


「ぎゅぅして~……?」


 頭を無心で撫でている間にも、まさに”猫撫で声”でこちらに肩を寄せ、スリスリと甘えてくるミア。もちろん立ち上がってミアには空気を抱いてもらう。


「ちぇっ、監禁してやるぅ! 誰にも渡さない……ほらおいで?」


「ハイハイ……」


「やはっ、なかよーしっ♪」


 ぎゅーして満足するならいくらでも抱き枕になりますよ。えぇ、それで黙るなら。


「でもさ、こんなに誘ってるのに襲わないなんてさっ、キミって無能なの?」


「そう思いたいならそういうコトでいいよもう……」


「おっぱいを押し付けても平気なら……あ、ならお尻に欲情する派とか?」


「女子が女子である時点で全身が毒だよ(白目)」


 にしても相変わらず素で辛辣なことを言う。悪気は無くただ思った事をそのまま言ってしまうだけなのだろう。だとしてもまさか無能とまで言われるとは。そういうコトにしといてもらったほうが都合が良いのかもしれないけれど、なんか、なんか……。このデリカシーの無さよ。まぁフレンドリーな田舎者として考えよ……。


「ねね、今度一緒にお風呂入ろっ? 全裸で語り合お?」


「その傷じゃ入れないでしょ」


「じゃあカラダ拭いてっ」


「はい?」


「病人の看護と言ったら濡れタオル!」


 監禁してやるとか渡さないとか言われるのはまぁ泥棒猫っぽい言い方だなと納得はできるけども、身体を拭いては流石にアウトっすわ。絶対調子に乗ってる。ここぞとばかりに甘えて、自分が怪我人なのを利用してやがる。


 ソフィアにヘルプミーと視線を遣るが、あまりの駄々っ子振りに見てられないといった呆れ顔でそっぽを向かれ、ならばとロシューに目を移すが主と同じ方向に視線を反らし、ではシェリー! と思ったら「拭いてあげれば?」とか言われるものですから、仕方無く背中だけは拭いてやる事にした。以前入院した際も背中以外は自分で拭くようにと言われたし。


「フィアちゃんごめんね、色っぽいボクの背中に欲情して襲われちゃうかも。みんなの前で結ばれちゃうかも。あーぁ、ケガしてるのに押し倒されちゃうよこれ」


 ロシューが持ってきた濡れタオルを手にベッドへと上がってミアの背後に回り込み、衣服を捲って背中を見せてきた矢先にそのようなコトを自慢げに口走るものだから、もうジョークにしか聞こえない。


「ネコにそんなフェロモン無いよ、大丈夫、謝らないで」


「小さい背中だなとは思います」


「それだけっ!? えっ、それだけ!?」


「え? ゅん」


「絶対ウソじゃん、うんって言えてないもん」


「はいはい、ちょっとヒヤッとしますよー」


「ひゃっ……」


 元々脚が悪いソフィアと脚を怪我したネコ。しかし一箇所に留まっているわけにもいかない。こちらは追われる身、移動し続けなければ捕まってしまう。かと言ってこの二人を置いて自分一人で行動するだけの知識もなければ処世術も無く、シェリーも世間知らず。いくら旅費があろうとも人を見分ける能力はおろか、一人で魔獣と対峙するだけの身体能力もなかった。


 ――と、傷跡どころか肌荒れすらも無い綺麗な背中から目を逸らして考える。


「ねぇもっとちゃんと拭いてよ、好きなだけボクの背中見ていいからさ」


「いや遠慮しときます」


「遠慮されたらキレイにならないじゃんっ!」


 大金払って馬車を買うにしても馬なんて動物園でしか見たことが無い。ミアも身軽さ優先で今まで自分の脚だけで行動していたのだろうし、ソフィアも鳥籠状態だった元引き籠もり……三人とも御者の技術なんて無いとして、どうしたものか。


「ねぇシェリー、操馬の技術とかあったり?」


「あるわけないでしょ」


「ねぇ聞いてる!? そんな雑巾で床を拭くような感じじゃなくてさっ、もっと隅から隅まで丁寧にさ!」


「そっすよねー……」


「御者がいないなら怪物に牽かせればいいじゃない」


「あ、なるほど?」


 自律行動をしているガーゴイルならば、ある程度の命令も聞けるハズ。アリかもしれない。


「こうなったら買うしかないわね」

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