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 という事で翌日。この街は1日中薄暗いので朝なのか夜なのかも判別が付かないが、「食事をするとお腹に血が集まって動きが鈍くなる」とのことで朝食はお預けのまま出陣となっていた。


 盾を固定するためのベルトを強く締めると、ポケットの中の鉄拳に指先を触れさせながら夜道をゆく。何度も盾に助けられ、精神的に依存してしまっているのを実感していた。刀剣の腕なんかあるわけがないから諦めるしか無いけども、盾だけは絶対にあった方が良い。これだけは断言する。自分の身も人の身も護れるのだからこれ以上の無い装備だ。盾持ちは厄介、裏を返せば手こずらせる事が可能だということ。簡単に死んでたまるか。


 自分を護れない奴は他人の生命も護れない。自分を護り、その上で他人を護るのだ。そうでなければ意味がないし、誰だって自分の生命は惜しい。これは誰にも否定できぬはず。故に俺は自分を第一に考える。


 ミアとソフィアが使い捨ての駒や人間サイズをした肉の盾であるとは決して言ってない。異界で出逢った大切な仲間だ。自由へと導く貴重な現地人だ。感情移入もしているし、友達と言っても良い。嘘偽り無く大切に思っている。その上で自分を第一に考え、誰かに護ってもらうだけではなく自分で自分の身はしっかりと護ろうと決意している。


 俺は虫も殺せない。だから勘違いしないでほしい。みなを置いて逃げても許してほしい。それは致し方ないのだ。目の前で誰かが死んだとしても、己が死んでしまったら意味がないだろう? その場に留まってみなと一緒に喰われてもいいだなんて覚悟を決められる奴は本物の勇者――真正の莫迦だけ。無論、俺は凡人。だから逃げる。独りよがりだと避難されたとて、逃げる。


 冒険好きの勇者など冷静に考えたらヤベェー奴だ。俺は絶対に酔わない。衝動を強める酒も飲まない。いっときの感情には呑まれない。あくまでも理知と理想を掲げ、憎む相手を打ち砕き逃げる。これが俺の生存戦略。俺の我欲だ。


 誰だってみな自分のことばかりを見つめ、他人を利用し合っている。悪く言われる筋合いはない。ミアとソフィアを盾で護り、川姫も護ってくれる。そう、金銭問題に突き動かされて依頼を引き受けてしまったが、内心では超ビビっていた。


「ねぇ本当に行くの? ボクの直感がビリビリしてるんだけど」


「怖いけど、お金は汗水垂らして稼ぐものだと思うんだよ」


「じゃあ貴族はどうなるの?」


「戦争になったら真っ先に突撃したり、とか?」


「手柄なんか立てなくても、もう充分な地位を得てるよね」


「そ、それはそうだけど……とにかく! 泥棒イクナイ!」


「旨味を知ったのはイイけどさぁ……なに? キミはなんの係?」


「逃げる係かな!」


「ハァ……」


「ほらさ! 恩を売ってですね、そうすれば罪も少しは軽くですね?」


「捕まらなければいいだけにゃー」


 それは、明らかな棒読みであった。


「手柄を立てたら強いボスになれるよ」


「まぁキミがそこまで言うなら付き合うよ。ほら行くよっ!」


 どんだけ食っちゃ寝したいんだコイツは……と呆れてしまうが、文句垂々ながらも着いて来てくれることを嬉しく思っていた。完全に保護者である。


 泥棒は良くないと口酸っぱく言っている手前、できそうな依頼があるならば積極的に引き受けたい。人助けをして良い印象をこの惑星の人々に植え付け、中央と対抗する際に手助けしてもらえるように布石を打って置かなければならない。


 旅費を稼ぐためとはいえ危険に飛び込むのは如何なものかと思われたが、様子を見に行くだけで――しかも逃げても良い調査依頼で金貨一〇枚はあまりにもうまかった。


 未だ体力が回復していないシェリーに荷物番を頼み、などと言い合いながらもやって来ましたは旧道の入口。山の中へと続く細道にはそこら中に小枝や枯れ葉が散らばっていて、入ってすぐの所には道を塞ぐようにして倒れている倒木まであり、長いこと誰も踏み入れていないのが窺えた。


 ほとんど獣道のような旧街道の前で立ち止まり、松明片手に暗闇の中を覗き込むが、懐中電灯とは違って闇を散らすには足りず、足元を照らす程度が関の山であった。この先へ行くと人が消えるとされる場所があるらしい。シエラさんは”道”としか言っていなかったので、もしかしたら一歩踏み込んだだけで忽然と異空間に紛れ込んでしまう可能性もあり得る。


「風が鳴いてる」


「今日は風の精霊が騒がしいわね」


 悲劇の主人公は気取りたくない。そんなナヨっちー人間であると認めたくもない。クール振った痛い人間にもなりたくない。リアリストではありたいが、燃える時には燃えてがむしゃらに生きたい。でも、怖いものは怖かった。鉄拳が錆びるのではないかと思われるほどにまで手は汗ばんでいて、暗闇を前に足がすくんでしまう。


 しかしここまで来てやっぱ帰ろうだなんて言い出せるわけもなく。ゴクリと唾液を飲み込んで覚悟を決め、躊躇無く漆黒へと歩み出した背中に着いていく。松明なんかよりもミアのほうがずっと頼りに思えた。これじゃまるで廃墟巡りの物好きだ。


 闇の中へと踏み出し、しかし着いてこない隣に振り向くと、額、左肩、右肩といった順に三角形の頂点で指を弾き鳴らして魔除けをしており、こう見えて案外ソフィアも怖いらしい。


 一寸遅れて隣にやって来たソフィアは心を落ち着かせるかのように乳香を噛んでおり、身に羽織るふわもこコートの内側には謎の文字列がビッシリと浮かび上がっていた。御守りにもなるだなんて便利なものだが、霊的なものから身を守ったところで奴らは物理だから気休め程度にしかならないだろうに。それよりも精神状態の安定化のほうが効果がありそうだ。まさに”気休め”なのだろう。


 右手に杖を突きながら左手に銃を構えており、流石に銃口は上に向けられてはいたが、その指は早くも引き金にかけられていた。一方のミアはといえば緊張も見せずに手ぶらで前を進んでおり、夜目が効くだけあって余裕の様子。


 松明の灯りに照らされている範囲しか見えない恐怖と、おおよそ視えて細かな音も聞こえるという余裕の差が伺えた。こちら二人に背中を預け、背後からの奇襲に怯える必要性が無いというもあるかもしれない。そんなわけなので前はミアに任せるとして、


「後ろから来そうで怖いんだけど……」


 前方や左右をネコの眼で確認してもらい、その後に続いてはいるものの、空を飛ぶ怪物に背後から襲われたらひとたまりもない。嫌な想像をしてしまって何度も無人の闇を振り返ってしまい、心が落ち着かなかった。


 そのようにして不規則に歩みを乱しているこちらの様子をミアも察してくれたのか、「誰か来たら音で分かるから安心して」とのこと。背後への心配なんかよりもちゃんと着いてきて、と言われているのは暗に察せられたので、ソフィアの隣に寄り添いながらミアの背中をしっかりと見定め、はぐれないように気をつける。


「なんか、静かね」


「魔者の周囲は音がしない。とかあったり……?」


「ありえるわね」


 旧道に踏み込んでしばらく行くと、あれだけ騒がしかった風の音がピタリと止んでおり、鳥の囀りや虫たちの声も聞こえない。まるで時が静止したかのような真の静寂。心臓の音が鼓膜を揺らしているのが感じられる。自ずと囁き声になっていた。


 いまのところ魔者は単独行動をしていて魔獣を従えるのみ。魔者同士は人間のような組織構造を持たないのではないか? 同時多発的に発生して希薄な箇所を埋めるように自らが担当するテリトリーのようなものを有し、同じ磁極同士で反発し合っているのか。あるいは人間が知覚できない術で繋がっており、それを知らないだけなのか。いずれにしても魔者まで群れてしまったら手も足も出なくなってしまう。


 周囲に満ちる肌寒い黒色はこの身に染み込むようで、歩みを止めたら得も言えぬ恐怖に身体の芯から凍て付いてしまいそうだった。意図せずして三人の足取りは慎重なものへと変わっており、枝葉に隠れる鳥たちのように交わす言葉も失われていた。

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