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132 第五十二話 サイコメトリー

 ボッタクリ食堂から出ると、杖を突きながら片足を引きずるソフィアはどこか気怠げな歩みをしており、身体の芯が左右に揺れるような形でフラフラとしていた。


 白磁の肌と言えば聞こえは良いが、食事を摂ったというのにいつにも増して血色に乏しく、げっそりとした血の気が感じられない顔色をしている。目の下には薄っすらとクマが浮かび、この街の住人の生命エネルギーが負であるとしても、それだけではなさそうな様子であった。


「前もよろけてたけど大丈夫?」


「脱魂して星幽の世界を見て回っているからね。未だ数刻で引き戻されてしまうけど、一晩に何度も短くトライしている。青く美しい光を貴方にも見せてあげたい」


「つまりは幽体離脱にハマってて寝不足ってな感じですか。万年寝不足の原因はわかったけど程々にしたほうがですね」


「わざと寝不足になって介抱してもらいたいだけでしょ。キミに寄り掛かりたいんだよ」


「青みがかった銀色の光。アストラル光……。嗚呼なんと美しい……」


 聞いちゃいねぇ……まぁそれはそうと。


「あれは?」


 しっとりとした街をゆきながら裏路地の先に見えたピンク色の看板に目を遣り、ポケットに手を突っ込んだまま「あれあれ」と、振り返ったシエラさんに訊ねる。すると、こちらの視線を追ってそちらへと顔を向けたかと思えば、表情一つ崩さずに、


「娼館です」


 などと言うものだから唖然としてしまう。


「はい?」


「娼館です。甘い蜜が滴る、女と女の戯れ場です」


「そ、そうなんすね、ハハハ……」


 その言い方やめてくれ即座に浮かんできたぞ脳内に。パブかなにかだと思った俺の純粋さをどうか褒めてください。久し振りに酒でも飲んで暖まりたいものだ。


「しょーかんってなに?」


「さぁ? ボクもしらにゃーいっ」


「召喚とは神降ろしのことを意味する。人という器に神や天使を招き入れて一心同体となる事で神の御力を借りる高等魔術の業。巫術の系譜。私も嵐を鎮めてみせたでしょ? もう忘れたの?」


「なら女神と巫女が戯れる場所かぁ~。なんかえっちぃね!」


「魔術脳の救いを台無しにしようとしないでくれ」


 とかなんとかと純真無垢なシェリーを引き連れてシエラさんの導きに伴っていくと、てっきり今宵の宿に案内してくれているものかと思ったら、辿り着いた場所は夜風吹きすさぶ青空市場であった。


 夜空のもとに開かれているので実際は薄闇市場だったが、クリスマスが如く煌々とした明かりが灯されていて案外綺麗な光景だった。街の中心部らしき広場には様々な出店が立ち並んでおり、気配を隠していた住民の姿がチラホラと窺える。吸血鬼とはいえランプの光ならば平気らしい。


「この街では年中市場が開かれているのかしら?」


「はい、昔からの伝統なんですよ。寒くて薄暗いこの土地、辿り着き住み着く者はみな省かれ者ばかり。ただ暮らしているだけだと仕事以外は家に引き籠もってばかりになって人間関係が希薄となってしまいますので、せめてもの顔を合わせる機会として集まるようになったのが最初です」


 なら昔の神社みたいなものか。今なら祭りや、それこそ公会堂とかかな。そういった集まりは一切出たことないなぁ。ビールとか無料で飲めたりするみたいだけど。って、今じゃもう遅いか。


 貴族の領主に血を分け与えられたこの街の住人は、年齢や服装は様々であったがみな青白い顔をしており、移住者である先の店員さんとはやはり様相が異なっていた。そのような方々に囲まれながら食後の運動を兼ねて屋台や骨董市などを見て回る事にしたものの、心の目は外界に向かわず、油断すると思考の渦へと呑み込まれてしまいそうだった。ともかくなんの気無しにそういう流れとなり、暗に気晴らしだった。


「年中お祭りでもしてなきゃ気でも病みそうだものね」


 太陽光不足によるビタミンD不足でソフィアの言う通り鬱にでもなりそうだ。それもあってみな表情に乏しいのかもしれない。ロルィタン島の島民とは機序が異なるものの、成長ホルモンの分泌も悪いのか、各々の姿を眺めてみると平均して身長が低めで揃いも揃ってやや細く、胸元がぺったんこであった。


 吸血鬼とはなんとも哀れな宿命。北欧でヘビメタ人気が根強いのと同じで、祭りでも開いてせめてテンションだけでも上げていかなければやってられないのだろう。空元気ほど危険なものはないと思うけど。あの店員さんもいずれは領主の血を飲み、ネコ耳吸血鬼となるのだろうか。


「ヘイラッシャイッ、そこの旅人さん! アイスクリィン~ムッはいかがかねっ?」


 意識的になにか甘いものでも食べてこちらも鬱に沈み込まぬようにせねばと思案していたところ、やけに粘っこいような言葉が聞こえて来て思考は瞬時に停止。見遣ると、薄ピンクと白の縞々模様をしたテントの下で亜麻色のセミロングさんが両手をバタバタと振って”ここだよここ!”と精一杯存在をアピールしており、こちらが気付くと無理のある笑顔で山積みのワッフルコーンを両手で指差してみせるのだった。


「あいすくりーんっむって、なに?」


「食べてみれば解るよお嬢ちゃん!」


 どっちもお嬢ちゃんじゃね? というツッコミは置いといて、楽しげな声に誘われて田舎者が真っ先に釣られたのは言うまでもない。


 監督者が如くシェリーの後を追って今度こそはボッタクられまいと売り子を観察してみると、くすんだ亜麻色の髪を真ん中分けにして耳にかけ、芥子色をしたコーデュロイのキャスケット帽を頭に被っており、テントと同様の配色をした縞々エプロンを前にかけているアイスクリィム売りは、吸血鬼のようであった。


「お目が高いねボクチャン! わたっしの名はタルタッタ・メィニィ~! またの名を場違いなジェラート。の、売り子! オススメは一点のみ! すべて手作りの一点のみ!」


 ボクチャンって、じゃあキミはいくつだよ……。などと苦笑を返して助けを求めるために振り向くとそこには誰も居らず。まるで押し売りから逃げるかのようにミアたちは他の出店を見ており、いつの間にやらシェリーの子守りを任されてしまっていた。


 一点物推しが激しいアイス売りを前にして隣ではワケがわからないといった横顔を浮かべており、ふとこちらの視線に気付くと紅い片目を隠すように顔を背けてそっと俯くのだからどうしたものかと。


 無言の後頭部とキラキラの瞳に板挟みにされて困惑してしまったが、「試してみる?」と訊ねてみると、しばし無言の後、こくりっと小さく頷くシェリー。であれば即決だ。


「なら二つください」


「あしゃぁーっす!」


 それからの手際は素早かった。店先に積み上げられているアイスクリーム・コーンはザクザクとした食感が特徴的なワッフルコーンであり、これもまた自ら焼いて円錐形に巻いているらしく、どれも形が不揃いで、溶けたアイスが下からポタポタと垂れ落ちることが容易に想像できる作りをしていた。このようなレシピまで伝わっているとは驚きだ。


 とか思っている間にも「どーぞっ☆」と両手で二つのアイスを手渡してくるメィニィさん。


「こちらユキヤマとなりますっ。二つで銀貨一枚ね!」


「あちょっと待ってください銀貨銀貨……えーっと、これで良いですかね?」


「大丈夫ですよっ、まいどぉ~!」


 財布から銀貨を取り出してメィニィさんの前に置き、”はよせい”とばかりに踵を上げてぴょこぴょこと身体を跳ねさせながら待っていた両手から受け取ると、そのアイスは丸型ではなく山型に盛られており、バニラ香が感じられない素朴な牛乳アイスの上には蜂蜜がかけられていた。コーンの巻紙が無いのはともかくとして、この組み合わせは案外初めてかもしれない。


 なんにしても真冬のアイスとは解ってらっしゃる。まぁ冷たくて甘い事すらも知らなかったんだろうけど。なんかビックリしてるみたいだし。


「冷たい……あまい……」


 山の頂を口に含んだこちらの真似をして差し出したそれを舌先でぺろり舐めてみせたかと思えば、どこか達観していた瞳は控えめながらも年相応に輝き、手にしたアイスを眺める表情は無邪気な子供のそれであった。が、こちらの視線を感じると咄嗟に目をそらし、恥ずかしそうにパクっとアイスの先端を食べるシェリー。


 孤島から飛び立ち、呪縛から解放された事によって心を取り戻しつつあるのかもしれない。見せる表情の種類が増えているような気がした。


「あ……」


 たったのアイス一口で今までに見せなかった驚きや感動を見せてくれるのならば、これからはもっと様々な経験をさせてあげたいな。


 などと心に抱きながらミアたちの元へと歩み始めた折、そのような短い声を上げて石畳の段差に下駄を引っ掛け躓いたかと思えば、買ってやった牛乳アイスはシェリーの手から離れて空中に投げ出され、ボトっ……と地面に食われているのだからやるせない。


 まだ数口しか味わっていない地面のアイスを前にして、空のコーン片手に呆然と立ち尽くしており、ならばと振り返った先では知らぬ存ぜぬと口笛吹く売り子。口にしてしまった時点でもう遅かった。もしかしたら可哀想な……まぁ気にしないどこ。嗚呼アイスうっめぇええ~!

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