129 第五十一話 常夜の街
その惑星は、女児しか産まれない異界の星であった。
広大な大地には女子しか居らず、時折健康な男子をさらってきては片っ端から気に入った娘を選ばせ、先代が死ぬと新たな男をさらってはこれを繰り返す。そんなどうしようもない世界だった。しかも自らの手で一人残さず駆逐したかと思えば、一人ずつ慎重に調教を試みるのだから根深い。俺は男を手懐ける為に入植させられた、第三の実験体であった。
現実逃避して夢ばかり見ていた自分は、今また逃避している。しかし見定めるは架空の夢ではなく明確な目標であり、信念を持って確固たる拒絶行動を前向きに行っている。すべての行動は未来の自分を生かす為の自己投資であると同時に、理不尽なこの世への反抗であった。惑星が陥っている救いようのないループに終止符を打つため、と言えば聞こえは良いが、すべて自分のためである。
不幸すら起こらない日々に飽き飽きしていたし、道を踏み外して取り返しのつかないところまで行ってしまっていた。今となっては王宮の思惑も理解しているし、嫌味混じりに言えば、つまらない人生を打破してもらえて、第二の人生を歩めて、心のどこかでは感謝すらもしている。
でもだからといって好きでもない乙女達と身を交わすのは違うと思う。屈しそうになっている自分はいるし、どこまで貫けるのか自信もないけども、少なくとも親のようにはなりたくない。誰かを悲しませたくないし、不幸を振りまくような人間にはなりたくない。
男にトラウマを抱える王宮もそうだが、不足や不満に悶えつつも安全な生活を送っていた俺からしても二律背反であった。そんなやるせない王宮はともかくとして、目的はたがいながらも我々を結び付けるものは同じ恨み、裏を返せば同じ喪失感で。
幼形成熟という生存の道を選んだ半妖の孤島を出港し、しばらく船に揺られて超大陸の北方――薄暗い街に降り立つと、真夏の様相だった例の島とは打って変わり、その大地は極寒の真冬であった。この数日間で春と夏と冬とを一挙に味わい、身体のみならず心まで疲弊してしまっていた。これだけ寒暖差が大きいとおかしくなりそうだ。
流石に季節は春という事で道端に雪は積もっていなかったが、この調子だと夏になったとてあまり暖かくもならないだろう。作物も充分に育たなそうな不毛の地にあっても、人という種は生き延び暮らしている事実に驚く。いったい日頃は何を食しているのだろうか。まさか全てを貿易船で賄っているとも思えないし、きっと石炭のような、それこそ石炭ランプに使われる燃焼石等主要な産出物があり、陸路でも他国と取引しているのかもしれない。食料まで輸入に頼っているのだとしたらどうかと思うが。
「そそそそれでここは、ど、どんな街で?」
「此処か? 此処は吸血鬼が住まう、陽が昇らない最北の街だ」
これ見よがしに毛皮のコートを羽織っている隣に凍え声で訊ねると、外套の襟を握り締めるこちらとは裏腹にキリリと背筋を伸ばして白い息を吐き出している船長によれば、この街の住人はみな吸血鬼で半妖同様に長命とのこと。吸血鬼とは言っても人の血を吸う訳では無いみたいだが、ならば何故に吸血鬼と呼ばれているのかと疑問に思われた。
どうやら貴族である吸血姫が領民たちに永遠の生命を授けたらしい。建前上では永きに渡り男の渡来を待ち侘びる為であるのだろうけども、その実、孤独に生き続けるのは寂しかったのだろうなと想像した。身勝手だが同情する。
だが今の問題はこの街――ひいては超大陸の北西に位置するこの北国はどこの派閥に属するのか。つまり、中央に媚びへつらう王宮派・傍観的な中立派・密やかな対立派のどれか。
それとなく船長に探りを入れてみると、これといった取引先は限定しておらず、売れるならどこにでも売るというスタンスらしい。これが意味しているものは、大陸の共通通貨は流通しているものの、政治的には宗教的独立国家をはじめとした我存じぬ系の中立国で、大陸の経済圏に参入した資源国家でありながらロルィタン島と似た傍観的な立場にある。というものだった。
面倒事には巻き込まれたくない、しかし金は最大限で儲けたい。そんな声が聞こえてくるような気がした。きっと『あっちには売るな』『こっちにだけ売ったら税を優遇してやる』とかなんとかと政治的な圧力をかけられていて大変だろうなと他人事。表立ってはみな中央に頭が上がらないにしても、まっすぐに我を通せているということは、それだけ領主の手腕が優れているのか、あるいは経済的に強いのか。
こうして今も国として存続している以上、中央からの男の供給を多少なりとも受けていて……いや、王宮と言えども市中に降りた男の移動は縛れないみたいだし、なによりも長命となる方向への適応進化。男を供給するというカードを受け取らずに中立を貫き、先の島と同様に国境を越えてくる男たちをひたすら待ち続けているのか。
男を平和的に奪い合う為、移住者に対する優遇合戦とかやってそうだなと思いました。
男の供給をチラつかせて強大な政治力を有するに至った中央政権には屈しないド田舎根性、この星全体の繁栄を願う志、反独占の自由主義。中立とは密やかな対立を意味しているのかもしれない。となれば民族消滅のリスクを負って理想の為に戦っている、三つ巴ではなく二分の構造だ。この惑星を色塗りする赤と青の構図が見えてきたかも。
「さ、さむむむっッションッ! ずびー……ギビはヘイギなぉ?」
「ウチはガマンできるから」
模様が如く血飛沫の跡が染み付いた裾の短い麻織物の着物一枚だというのに、人工精霊と同様に平気な顔で寒風切って歩いており、自らの身体を抱き締めて凍え上がっているショーパン猫とは大違いだ。まるで短パン履いた小学生。子供の体温の高さを改めて思い知らされた。
「ロシュー、け、毛皮になりなさいっ……」
「イェス・マスター」
テクテクと歩いているちびっ子たちを横目に三人でガクブルしていた折、震える杖先でロシューの肩をぽんっと叩き、付き従う使い魔をケープ付きのコートへと変化させて身体に羽織り、ご満悦な顔でシェリーのおともだちを防寒具にしてみせるソフィア。わずらわしい詠唱もすっとばして暖を取るとは魔術師ってズルいなって思いました。さぞかし生きる毛皮は暖かろう。
恨めし顔を浮かべているミアを引き連れて港近くの商会らしき建物へと入り、受付カウンターで業務連絡を済ませている背中をしばし見守ると、しばらくして一人の小娘さんを紹介してくれる船長。隣に佇むその子は色の薄いねずみ色の髪を細いツインテールの形に結っており、下はロングスカートであったがブラウスに黒のベストを羽織っているのみで、肌寒い外気温に対してやや薄着にも思えた。こちらも春夏向けの衣服なので人のことは言えないが。
「こいつはこの商会の新人。あたしらは作業があるから案内してやってくれ」
「ご紹介され、指示されました、当商会の新人です。滞在中はお付きしますのでよろしくお願いします」
案内役として付いてくれるらしい商会の木っ端娘さんは血色の悪い顔色で表情に乏しく、その口調も感情の見えない淡々としたものであった。どこか退廃的な顔をしており、薄幸少女という言葉が相応しい。
荷下ろしと荷積み、船員たちの食料確保などで二日ほど停泊するらしいので、船長とは一時別れて街の様子を見て回るのも良いかもしれない。これじゃまるで観光客だが、今のところ追っ手の姿は見えないし気晴らしにちょうどいいかもしれない。作業をしない船客として厄介払いされたとも言える。――あ、因みにワンコは船の上でお留守番です。邪魔なので。
「おや、魔族とは珍しい」
などと顔を合わせている間にもシェリーを見下ろして反応を示しており。
この街ではそんなにも珍しいものなのだろうか? だとしたら幸運な街だ。みな差別ではなく区別をしているのだろうが、俺は異星人。区別もつかないアホである。魔族と言われても、摩訶不思議な人工精霊やら二階から飛び降りても無事着地してしまうネコたちとの違いが正直よくわからん。いや頭では理解しているけども、変なやつが多くて疲れてきた。
――とはいえ俺は思考する系主人公。考えるのを止めたらアイデンティティーがひとつ失われるので少々考えてみる。
「このあたりには暮らしてないの?」
「我々吸血鬼は元からして不純。吸血霊虫の魔物に取り憑かれた生命力に乏しい者など、干からびた乾燥花など、魔者とて興味が無いのでしょう」
「若い者好きってことか。いやオッサンかよ!」
錬金霊薬や精霊の血筋で若き新鮮さを保っている者たちとは異なり、どうやらこの街の方々は生きる屍と化す方向で長生きしているらしい。物理的な眼で観察した肉体年齢は小娘とも言えるほど若いものの、きっと霊視なりをしたら生命エネルギーに乏しく、その身に触れたら体温も低いのかもしれない。であれば肉を欲する魔者が見向きもしないのも頷ける。商会の方々はみな美少女ばかりであったが顔色が蒼く、あまり健康的とは言えなかった。
「ところで吸血霊虫ってナンスカ」
「人体からエネルギーを吸い取る霊的な寄生虫。血液ではなく生命力を吸って浮遊する。そのまんまの意味」
「ならマイナスの川姫みたいなものか」
(わらわはチカラを漲らせる聖なる精霊じゃからなっ! 邪悪なる名もなき雑魚どもとは違う)
「そなんっすね」
「肉体的な面では皆さんと変わりありませんけど、霊的な面では骨と皮です」
「そ、そうなんっすね……」
なんだか話しているだけで、それこそ対面しているだけだというのに、どこかで倦怠感を覚えてしまっていた。もちろん相手はなんら疲れるような話しをしているわけでもないし、敵意を見せているわけでもない。むしろ無関心な様子で淡々としているというのに、まるで生気を吸い取られているかのような感覚を身に覚えていた。
船長やミアたちは平気みたいだし、タマゴの邪眼よりかはずっとマシではあったけど。もしかしたら普通に疲れているだけなのかもしれない。
「あのさ、なにか栄養剤みたいなのは持ってないの? なんかダルいんだけど……」
「この街の人々はエネルギー・ヴァンパイアに視える。みんなエーテルの殻が穴だらけ。負圧のように意図せずして吸い取ってしまうのよ。私も同じだから食事をしっかり取るしかない」
「それで栄養剤は無いっと」
「砂糖水でもガブ飲みすることね」
「銀貨何枚もするんでしょ? やってらんねー……」
吸血娘たちには聞こえないように声を潜めて耳打ちし合っている間にも、「では行きましょう」と出入り口の扉に手を掛けて外に出ようとする小娘さん。からっ風吹いているお外にはあまり出たくないので、無駄なあがきとして少々引き伸ばしを図る。
「でもさ、吸血鬼っていうけど、人の血を飲まないならなにを食ってるの?」
「ロルィタン島の果物を薬として食し、吸血衝動を抑制しています」
「あー、なるほど」
生命力溢れる島の産物で極負を中和している感じか。
何事かと振り返って簡潔に答えると、言い終えると同時に躊躇無く扉を開き、颯爽と寒空の下へと歩み出ていく背中。扉が開かれるとヒンヤリとした冷感がすぐさま足元に広がり、覚悟を決めるよりも先に渋々着いていくしかなかった。多分一番嫌がっていたのは薄着をしたミアだと思う。




