012 第五話 夕焼けの終わり
それは自らの意思で着いて行くというよりも、半ば連行されていると言った方が正しく、休む暇さえ与えてはもらえなかった。もはやこちらの身柄は自らの手中にあらず、前を行く小柄な背中に全てが握られていた。
だからといって別に手縄を掛けられているわけではないし、首輪を引かれているわけでもない。しかし、駆けずり回っていた脚には疲労が溜まっており、鉛玉がついた足枷を引きずって歩くに等しい状態にあった。
誰からとは言わないにして、助けてもらえたことには感謝しているが、こうして二度も匂いを辿って来たのだから、コイツから逃げられるとは到底思えない。今は素直に着いて行き、どこでも良いから早く休みたい。もう逃げる気力すらも残ってはいなかった。
泥棒猫と合流して歩みを再開させると、徐々に陽が傾き始め、世界は橙色に染まり始めていった。小川を下るにつれて遠くの方からは無邪気な子供の声が聞こえ始め、それは森中に木霊し、周囲に響き渡っていた。
そちらの方向へと足を進め、茂みに身を隠しながら様子を覗ってみると、
「やっ、やめてくだしゃっ……あひゃっ♡」
「いっひっひ~♪ 嬉しそうな声を出しておろうがっ。ほれっ、ほれぇっ♡」
触手状に凝固した川の水によっておかっぱ娘の身体は緊縛されており、愉悦の笑みを浮かべた小川の精霊に弄ばれているのだった。
白のニーソックスが映えるむっちりとした太ももや、袖口からスラリと伸びる女の子らしい腕、今にも溢れ出してしまいそうな柔肉の真下や極短スカートの合間など、様々なトコロに触手が巻き付いており、見るに堪えない有り様であった。
あとは想像に任せるが、精霊ということは両性具有だったりするのだろうか?
「いいざまにゃ~♪」
一緒に身を屈ませている隣に目を遣ると、幼女と同じ悪い笑みを浮かべている泥棒猫の口元からは、二本の犬歯――ならぬ、犬よりも若干細めの鋭い猫歯が覗いており、夕陽をキラリと反射させていた。
そこから下に目を移すと真新しい胸当てがあり、ちょうど肋骨の終わりあたりで森林色の布地が終わっている。完全におヘソが丸見えだ。
「てかお腹寒くないの? 腹巻きしなよ」
「ダサいからヤダにぇ~」
更に視線を落とすと、膝上のあたりまで黒に隠れている右脚とは違い、もう片方の靴下は無惨にも破れ去っていて太ももには包帯が巻かれており、左右でアシンメトリーな状態になってしまっていた。
きっと手当てをする為に邪魔な箇所をナイフで切ったは良いものの、脚を動かすのに連れて次第にビリビリと破けていき、残ったのは足首までだったのだろう。
細いながらもハリのある健康的な四肢を眺めている間にも「行こっ」とだけ口にして、背を屈ませたまま背中を見せる泥棒猫。
布越しに薄っすらと肩甲骨の形を浮かばせているその背中には、胸当てを固定しているクロス状の革紐と、腰から下げているナイフの柄があり。
眼の前にあるコレを抜いて後ろからその首元に押し当てることも可能ではあったが、そんな気力などとうに失せていたし、なによりもこの子は身を挺して助けてくれた恩人。女の子に乱暴なんてしたくないし、もちろんするだけの度胸もない。故に、痛い脚にムチを打って立ち上がり、後を追うのみ。
「そういえば、キミはなんて名前なの?」
「キミとか新人クンでいいよ。別に長い付き合いになるわけでもないだろうし。こっちもお前とか泥棒猫って呼ぶからさ」
”お遊び”している二人の声から遠のくと、こちらに振り向き、後ろ足で歩きながら両手を背に訊ねてくる泥棒猫。小石はもとより地面には木の根まであるというのに、そんな歩き方をされるとこっちがヒヤヒヤする。
「連れないなぁ……。ならもっと仲良くなったら教え合おっ! それならいいでしょ?」
「それならまぁ」
いくら恩人とはいえ、コイツは人攫いの盗賊。自分のことをかっさらった誘拐犯に本名など教えられない。なによりも、自分の名前はあまり好きではなかった。苗字はともかく、下の名前はあまりにも量産型で普通の名前だったからだ。シコティッシュ・フィールドは……王宮絡みの人間に限りってことで。
「そういえばさ、街を見た時に張り紙がやけに多かったけど、あれはなんなの? お前も賞金首だったり……?」
いくら物騒なモノを腰に下げた盗賊だろうと、目の前の獣人は結構可愛い女の子。女子と無言で歩くのは流石に気不味いのですぐさま話題を変え、別に気になっていたという程ではないが訊ねてみる。なにか喋って気を紛らわせていないと脚が痛くてツライ。
「それは失踪者の捜索を呼び掛けるものだね。路地裏で人知れず姿を消すんだよ。まぁ今どき誰かに拉致られることなんて無いだろうし、世間的には家出って思われてるかな。だからキミが気にする必要はないよ」
「今どき人を拐った人間がなにを……ほんとは賞金首だったりするんじゃないの?」
「さらったんじゃなくて、ボクはボクたちとキミの為に助けたんだよ。賞金掛かってるかどうかは知らにゃーぃ」
「似顔絵みたいなのが描かれてあったらなぁ」
「人物を描くことはその人の魂を写し取る行為だからね、基本は文字だけなんだよ。信じてくれなくてもいいけど、あれは賞金首とは違うよ」
あまりにも疑われて機嫌を損ねてしまったのか、語りながら背中を見せて前を行ってしまった。
こちらよりかは元気な様子を見せているものの、歩いたり走ったり飛び跳ねたりと忙しなくしていたし、流石に疲れが溜まってきているのだろう。疲労に伴って精神的な余裕も無くなってきたのかもしれない。だとしてもちゃんと教えてくれるあたり、律儀だなと。
逃げるなら不貞腐れて背中を見せている今こそチャンスだが、こんな場所でひとりになってしまったら――はぐれてしまったら、どうなるか分かったものではない。
やはり今は、その小柄な背中に黙って着いて行くほか――あぁそういえば、どっちみち匂いで分かるんだっけか……頭まで働かなくなってきた……。