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 なんとか巻けたか……。そう思ったのも束の間。


 誰かを背負ってさえいなければミアと並走できそうな程にまで成長してきた己の脚力に自負を抱きながら、軽快な足取りで密林の中を駆け抜けて行くミアを必死で追い掛けていくと、開けた窪地に出たかと思いきや逆手にナイフを構えている背中がそこにはあり、肩を撫で下ろす暇もなく荒れた息を呑み込む事態となっていた。


 臨戦態勢で様子を窺っている視線の先には行く手を阻むように灰色の獣が佇んでおり、ミアの隣に並んで恐る恐るその姿を眺めてみると、ソイツはオオカミよりかは一回り大きな体躯をしていて、長毛に覆われている胴体からはケロベロスが如く三ツ首が生えていた。地面に顔を伏せてガツガツとなにかを貪っており、バリボリと骨を噛み砕く音まで聞こえてくる。


 これはヤバイと反射的に半歩後退ると、不運にも小枝のようなものを踵で踏み潰してしまったらしく、パキッという乾いた音が足元で鳴ると三頭の内の一頭がピタリ動きを止め、頭を傾げて流し目に眼を向けてくる獣。


 その口元は赤く彩られており、こちらの存在に気付いて二つ三つと見せてきた細長い横顔は脂ぎった灰色の体毛に赤い眼をしていて、アルビノという言葉がふと頭に過った。そう、チビカミという名と共に。


 体色や見た目からしてあいつ等の親分かとも一瞬思ったが、口からはヨダレの代わりに血混じりのヘドロを垂らしており、随分と尾も長く筋骨も発達している様子であった。


「おろして」


 潜ませた中に殺意が感じられる声色的にも、やはりアレは普通の獣とは異なるらしい。抱えていた脚を下ろすと同時にパキパキっと乾いた音が更に複数聞こえ、眼球だけを動かしてソフィアの足元に目を遣ってみると、視線の先には土に還り始めている小動物らしき骨がいくつも散乱しており、丸呑みにした後の未消化物であると即座に察せられた。餌場、あるいはテリトリーに入り込んでしまったらしい。


 今度は本物の魔獣が登場ですかっと……。


 まさか真っ昼間に運悪く魔獣と出くわすとは。頭では警戒しつつも内心ではそんなわけねぇだろと思っていた。自己防衛本能による恒常性維持機能が悪い方向に働いてしまっていた。自分だけは、今回だけは大丈夫だと謎の自信を持っていたのが災いしたのだ。


 殺る気満々の二人をどう説得して逃げれば、と思案している間にも、後ろに控えていたかと思えば嵌めている手袋を下に引っ張りながら前に出て行き、ソフィアのみならずミアまで護ろうとする気概を背中で見せ付けてみせる執事。だが、格好良かったのはそこまでであった。


 本人は御主人様のお手を煩わせる前に仕留めてやろうとでも思ったのだろうが、こちらへと踏み出してデカイ体躯を向けてきたかと思えば、警告を発するよりも先に獣の首が伸びてきて執事の脚へと巻き付き、ヘビが如く片脚を封じると肉壁の脇腹へと慈悲無く噛み付いて頭を振る魔獣。まるでろくろっ首のようであった。


 今回ばかりは逃げるわけにもいかない。相手からしても、またこちらからしても獲物であるからだ。狩りはすでに始まっており、ロシューに噛み付いて敵意を示してきた時点で、恨みを抱く二人の眼差しは既に変わってしまっていた。こうなればヤルしかない。


 カチャリと撃鉄を引いて小首を傾げ、杖を手にする腕先に手首を置いて十字を形作り、狩人の眼差しで照準を合わせるソフィアであったが、男の姿を模している高身長の執事が前に立ち塞がっていて獲物の頭が見えないらしく、「チッ……」と舌打ちするソフィア。


 その間にも執事の脇腹は喰い破られ、次に伸びてきた頭に片腕まで喰い千切られながらも、主人が撃ちやすいようにと懸命に魔獣の長首を取り押さえようとしているのだから立派だ。


 執事はつまるところ使い魔なので、主人を護る為に身体を張るのが仕事。それは分かっているけども、こうもボロボロになられると見ていて痛々しく、血液は飛び散ってはいないものの、あまりにも凄惨で直視に耐えられなかった。しかし目を逸らしてはならない。目を逸らしたら次の首が伸びてきて、次はこちらの番かもしれないからだ。


 片腕を失ってもケロッとしている非現実な光景に圧倒されつつも、ロシューはもうダメだと判断して盾を構えながらソフィアの前に一歩踏み出し、震える手で鉄拳を握り締めて次の動きを見逃さぬよう予測する。どう動くか、こちらから行くか――視界に映るミアも同様に身動ぎを止めており、獣との読み合いになっていた。


 肩関節から先を奪い去り無我夢中で咀嚼する魔獣であったが、噛み砕くに連れて執事の腕は霧散して空に消滅していき、先に動いたのは傍らに控えていたガーゴイルであった。置かれている状況を把握したのか、その身を踊り出してこちらと魔獣との間に入り込み、どこかゴボゴボとしたガルガル音を喉で鳴らしながら威嚇すると、味も食感も乏しいのであろうロシューを解放して小突き払い、自らと同じ四脚の怪物と睨み合う魔獣。


「そ、そうだよワンコ! ヤッちまえッ!」


 普通の人間以上に物質としての密度が薄い執事とは異なり、そもそもとして石像であるガーゴイルならば比べ物にならない程の強度を持っているはず。魔獣とはいえ所詮は柔い有機物の塊、雨風にも侵食されず長年人々を見守っていた丈夫な無機物には勝てまい。


 そう期待を込めて鼓舞すると、やはりガーゴイルの躰は石像のそれらしく、果敢にも首元へと噛み付いてきた魔獣の牙が勢い余って砕け散り、狼狽えると共にそこへと残されたのはヘドロの汚れのみであった。


 魔獣の鋭利な牙を簡単に砕き、しかし微動だにもしないとは……この不気味な怪物は最強かもしれない。三つ首とはいえ相手は一体。これなら勝てるかも。調子、乗っちゃっていっすか?


 続けざまに伸びてきた真ん中の首に右前脚を噛まれながらも、怯み縮んでいく左の喉元へとガーゴイルが喰らい付き頭を捉えると、突如として乾いた発砲音が立ち上がって白い硝煙が風になびき、動きを止められた左の頭を即座に仕留めるソフィア。ミアがどう出るかも判らない中、狙いが定まった極短いタイミングを見極めて見事ヘッドショットを決めたらしい。が、なにも言わずに発砲するものだからビビってしまう。


 同じようにビクッと肩を跳ね上げてみせた一方のミアはといえば、恐怖を振り払うようにクルリと順手に持ち替えると、ガーゴイルは喰えないと判断したのか、柔らかな肉へと向けて急速に伸びてきた右の頭をひょいっと横に躱し、スッポンが如く伸び切っている首を一刀両断にしてみせるものだから呆気ない。


「見た目だけでチョロイねっ!」


「危ないッ!」


 しかし油断は出来なかった。ゴトリと足元に落ちて粘度のあるヘドロ色の体液を切断面から垂らしている首に目を遣っている隙にも、一心同体である仲間を殺られて狙うべき獲物を変えたらしく、ガーゴイルの脚を止めていた頭が残心に浸るミアの腕へと襲いかかり、気が付けば身を挺して狂牙から護っている自分がいた。


「大人しくッ、おっチネやぁッ!」


 ゴツンッ……という鈍い音を立てて盾から伝わってきた衝撃を受け止めつつガムシャラに振り払うと、弾けるようにしなった頭へと一歩踏み出して拳を握り、大きく振りかぶって魔獣の頭骨を全力で砕く。人生初となる鉄拳制裁の暴力は、気持ちの良いものであった。


 これで三つの頭を地に落とせた、勝った……。そう早くも安堵してしまった己の希望的観測は、次の瞬間には残酷なまでに打ち砕かれていた。


 威力やべぇ……やはり破壊は拳だな。

(油断するなっ!)


 確かな手応えに酔い痴れながら俺もやれば出来るじゃん! と手中の鉄拳を見下ろしていたその時、不意に川姫の声が身体中に響き渡って何事かと顔を上げると、なんと三つの首を殺ったというのに未だ本体のほうは地に伏しておらず、先ほどミアが切り落とした首元からは体液が半凝固した複数の触手が生え始めていて――。


 その光景を唖然と眺めている間にも、新たに発生した細い触手群は渦を巻いて螺旋を描き、イカやタコが獲物を捕食する際のように触手を広げて、一斉にこちらへと伸びてくるのであった。


「危ないではないか!」


 案の定、俺は護られていた。


 同じように透明な触手を手のひらから伸ばして枝分かれさせると、襲い掛かって来る触手を次々と打ち払い、即座に応戦してバサバサと切り落としていくミアと共に、ガーゴイルまでソレを噛み千切ってくれるのだった。ヘドロ色の触手は細く、鉄拳では打ち砕きようが無かった。しかし、全ての枝を断ち切り終えるよりも先に複数発の連続した発砲音が響き渡り。


「まだ生きてる」


 その声を受けて急ぎ本体のほうへと目を向けると、触手の根本にはヌタウナギのような牙で囲まれた丸い口が形成されており、ダウンしていた頭までゆっくりと持ち上がり始めいて未だ健在の様子。


 それぞれの頭を殺ったというのに……これは普通の魔獣じゃない。みな、そう察し始めていた。


 護拳の威力を実感すると共に、限界も知った。ならば、狙うは胴体ッ!


 切り落とされた触腕が散りばっている地面へと踏み込んで駆け出し、


「トンチキが! 魔獣退治など素人のお主にできるわけがなかろうにっ!」


 とか言っているが、その言葉、訂正させてもらうぜゴラァッ!


「シャオラーッ!」


 蹴りなら内臓にダメージを与えて吹き飛ばす事も可能かもしれない。状況が悪化するよりも先に、触腕や首の再生が成されるよりも先に殺ってやる。狙いは目先の胴体ではない、その先の空間、そこへと力を届かせる勢いで助走を付け下腹へと蹴りを入れてやる。


「だから言ったじゃろ!」


 が、相手はバランスを崩して倒れただけであった。そりゃそうだ。だって魔獣の体躯には純粋な魔獣の血肉で満たされており、水に混入して希薄されまくったほんの僅かな体液しか身体に入れていないこちらとは純度が違う。人間相手ならばともかく、魔獣に対しては素手では敵わないと知った。蹴り倒して体勢を崩す程度、まったくのダメだった。


「チキショーがよぉおおッ!」


 横倒しになった胴体を起き上がらせようとしている頭をモグラ叩きが如く一つ二つとぶん殴っていくが、今度は尻尾を伸ばし始めてあろうことか変形させていき、あの時と同じくウナギの頭へと移り変わらせていく魔獣。


 何が何でも獲物を喰らい我が肉にせしめんとする気概を顕わにするものだから、もはや恐怖でしかなかった。眉間を寄せて狼狽えている間にも、ヒンヤリとした川姫の腕が首元に絡み付いて来て後ろに引っ張られ、文句を言うよりも先に目に映るは、新たな触腕が形成され始めている魔獣の切断面で――。


「すっとこどっこい! なぁにをっ、しておるのじゃ!」


「新人クンッ……!」


 川姫にまで何度も助けられて……現実として眼の前に佇む無情な状況に、何かがガラリと反転するのが感じられた。頭を打ち砕いてもいっとき動きを封じられるだけ、切り落としても新たな触手を発生させて触腕とする。戦闘が長期化するに連れてミスを犯す確率は増加していき、生命が危険に晒される頻度も増えていく。


 もし一撃で本体を消し飛ばせるのであれば別だが、状況を踏まえて逃げるのが得策であると即座に察せられた。悔しいが決定打を与えられるだけの戦力、そして魔獣の弱点に関する知識が無かった。結局俺は、逃げるほか無かった。


「もういい、ワンコに任せよう!」


 執事はもうボロボロの消えかけだから役に立たないとして、ガーゴイルならば身を挺して魔獣を抑え込んでいてくれるはず。踵を返してガルガルワンコ頼んだぞ! と目配せすると、図体デカイ割には子犬のような素振りでハテナ? と小首を傾げていたが、こういう時に無機物な怪物は便利だなと。てな事で気にせず置いていく。


「ほら逃げるぞッ!」


「へっ……?」


「あきゃっ……」


 今ではウナギの頭と化した尻尾の突き刺しをサラリと躱し、跳ね退いてどこが弱点かを見極めようとしているミアの腰を引き寄せ、どこを狙えば良いのかと銃口を泳がせているソフィアの腹に腕を回し、


「人抱えて逃げる事しか出来ねぇっす! なんかしゃーせぇええんッ!」


 両脇に二人の女子を抱え込んで全力疾走。見上げた空はどこまでも青く、体力だけあっても意味が無いと悟った。魔獣の生命力は、強靭でした。



 そう、周囲の反対にも構わず強引に我を押し通していた。つまり、本日も逃げていた。格好付けたかっただけです、俺もやれるって思いたかっただけです、すみあせん。


 ――そんな調子で情けなく逃走していた折、俺はその子と出逢ったのだった。地面にしゃがみ込んでいる少女の先には獣の死骸が横たわっており、小さな手を血に穢して獲物の腹を裂いていた。その子は、ひとりだった。

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