108 第四十二話 宮殿の二人
王宮内に設けられた小さな研究室。そこに彼女は居た。
無数の薬瓶が棚に並べられ、草色の霊薬がフラスコに滴り落ちる部屋には、申し訳程度の黒板と教卓が据え置かれており、狭い教壇に上がってチョークを手にし、眠そうな声でボソボソと教鞭を執る師と、ダルそうに足を組む弟子の姿があった。
王宮内でも特に日当たりの悪い場所に位置するのか、教壇に影を落とすが如く半分だけカーテンが閉め切られている採光窓は用を成してはおらず、石炭ランプや蝋燭の類いもまた灯されてはいない。
香皿に横たわる一本の線香が細い煙を上げる埃っぽくて薄暗い小部屋の中、螺旋図を描いて一部を丸で囲み「これは遺伝子」とだけ口にする教師。弟子は心此処に非ずな顔で小窓の外を眺めていた。
「対になってる。これがおかしくなると魔獣になる」
「魔法の授業なんだから魔獣の話しはいいよ」
金髪お姉さんと赤焔の魔法剣士は一旦王宮へと戻り、エルザは上への報告――という名の叱責を別室にて受けていた。一方のルゥナはといえば見習いという事で責任は追及されず、叱責を免れて一対一のこの授業へと至る。
もう一人の師が気になって仕方無いとでも言わんばかりにルゥナは組んだ脚を揺すっており、気怠げでゆったりとした声とは真逆の様相であった。
「魔法は脳。原始的な脳の部位――松果体を中心とした周辺とエーテル体との強力な接続。これで神通力の奇跡、意識の監視者を通さぬ魔法となる」
「ならセンセーの魔術は?」
「神との繋がりによってなされる。諸霊の力を借りるか否か。学問か体術か。高等魔術の先は魔法と同じ。いかに常識を捨てるかが大事……」
ルゥナが呟き捨てた「妄想癖なだけじゃん」という言葉は届かず、白衣のポケットに片手を入れたまま魔術師はチョークを走らせるのだった。描いているのは、子供が描くような愛らしい動物の落描きであった。
「この子はペット。ほら、ルゥナちゃんにご挨拶は?」
身体をどけて黒板に描かれたウサギらしき落描きをルゥナに見せると、幼女のような声を作って「ハロゥ~」と言ってのける魔術教師。内気な眼差しをした三十路ほどの大人が表情も崩さずにそんな児戯をするものだから、ルゥナは目を丸くして呆気に取られ、すぐさまため息を吐き出してそっぽを向くのだった。
はーあっ、こんなつまんない授業なんて懲り懲り。
「ちゃんとお辞儀できて偉いね、よちよち」
本人には黒板の中で動いているようにでも視えているのだろうか、チョークで描かれたウサギの頭を撫でる素振りをしてくすりと微笑み、「なかまを増やさないとさみしいね……」と次の絵を描いて鬱陶しそうに螺旋図を消し、黒板いっぱいに動物たちを描き終える頃には、ニコニコ笑顔で落描きたちと会話を交わすのだった。
「もういい? 次があるんだけど」
その背中に我慢ならなくなった様子でダルそうに声をかけると、はっとするでもなく傍らに置かれていた香皿の中を一瞥し、先程まで煙を上げていた線香が燃え尽きているのを確認するやいなや、
「これ、研究するように」
濃紫色をした液体が封じられている小瓶をルゥナの前に置き、それだけ伝えると再び背中を見せて「ふふっ……♪」と学芸会を開く動物たちの姿に微笑む声。魔法の授業は毎度このようなものであった。
こんなのまったく興味ない。それよりもお姉さまと剣の稽古! 早く行かなきゃ!
差し出されたソレをテキトーにポケットへと突っ込んで、くすくすとした複数の笑い声が木霊し始めた陰気な部屋から出ていき、駆け足で階段を下って次の講義へ急ぐと、陽光照らす中庭にはお説教を終えたエルザの姿があり、腰に下げているのは木刀ではなく真剣であった。
「お待たせしましたっ! あれっ、稽古ではないのですかっ?」
「すぐに出立せよと仰せつかった。今は北北西へと向かっているらしい。私たちも行くぞ」
「あっはい! お姉様とならどこへでもっ♡」
歩み出した背中を追い駆けて髪の毛を揺らす姿は年相応のそれであったが、明るい声色とは裏腹に抱くものは黒く渦巻いており、満面の笑みを作る彼女の髪先からは微小な焔が滲み散っていた。
お姉様との稽古は好き。お姉様が振るった剣にはお姉様の力が込められていて、刃を受け止めるとその先に居るお姉様と繋がれる感覚がしたから。でも稽古じゃなくてもいい。お姉様と一緒ならなんでもいい。
魔法の才はあるが剣の腕は未熟。才能に頼っている状態。何度もそう言われてきた。でも陰口は慣れた。愛しのお姉様は気にしていない様子だけれど、アタシは許さない。手当て療法でなんとか治せたものの、傷跡は残ってしまった。アイツだけは絶対に……。
一方その頃、王女の寝室では。
中庭を駆けて行く同年代ほどの年頃をした赤毛の娘を上から眺め、
「まるで、風のよう」
横目に呟き、カーテンを戻す姿があった。窓際に飾られた新鮮な生け花へと触れる指先からは水滴が滴り、くびれた花瓶を伝わって落ちゆく雫。音無き軌跡に霞む視線を注ぎ、細い指先で垂れゆく雫をそっと止めると、透明な流れに沿ってつまらなそうに花瓶を撫で上げ、
「貴女は良いのですか?」
「私は花――王宮に咲く一輪の花。その名に相応しいよう振る舞ってきた」
潜む影へと目も向けぬまま呟き返し、その指先からまた一つ雫を滴らせる王女。小さな水滴はぽつりと絨毯に落ちて染み込んでいき、王女は細い腕を力なく下ろすのだった。仮眠から起床したばかりなのか、彼女の額には寝汗が滲んでおり、ヒステリックに暴れていたのかと思えるほどに衣服や髪も乱れていた。
「いまこの星に男は一人。魔者がなんの御用でしょう」
ゆるり振り返って金色色をした卓上のメイドベルを背に隠すと、朧気に淀む空気を隔てて見定めた先には若い紳士がおり、細長い指を揃えて胸元に当て、まるで執事のように目を伏せて控えているのだった。
「内に秘めたるその欲望、ワタクシが叶えて差し上げましょう」
その部屋は初夏だというのに蒸し暑く、花の香りがむわんと充満していた。その声は灰色をしていて、どこか冷たく、しかし情熱に溢れていた。
「随分と流暢に話すのですね」
人語を口にする痩身の紳士は一定の距離を保っており、蒼白な姿を一瞥して背中を見せ、外光透けるカーテンへとまた手を掛ける王女。無防備な背中を前にしてしかし獲物には手を付けず、同じ空気を吸い込み、共有するのみだった。
「その美しい声を聞きたくて」
これが王女と魔者との出会い――芽吹きの邂逅であった。
第二章おわり。第三章へつづく。
「今回、久し振りのご登場となりましたが、如何だったでしょうか?」
「なに喋ればいいか悩みました」
「初登場時に『はい、お母さま』としか発してませんでしたもんね」
「えぇ、ずっとヒマしてました」
「それはそうと、魔者さんにアタックされちゃいましたが、やはりドキドキとかしたり!?」
「身震いしました。だって初対面で『その美しい声を聞きたくて』ですよ? いやキモすぎです。さっき考えただろ! って感じですね」
「喜びのあまりに震えたのかと思いました。ところでやけに汗ばんでますけど、それは?」
「寝汗です」
「ナニしてたんっすか?」
「寝汗です!」
「こんな真っ昼間に寝てたんっすか?」
「はい!」
「お仕事もサボって?」
「はい!」
「そっすか……」
「それがなにか?」
「いやなんでもないです。それでは”第三章”お楽しみに~!」
「で、あなたは?」
「メイドです」
「なにしてたの?」
「聞き耳立ててましたっ! ってやめ……やっ、ひゃぶちッ!」
「三章でもヒマしたいです」
☆あとがき☆
第二章もお付き合い下さり、ありがとうございました。
連載開始から丁度3ヶ月となりましたが、3ヶ月間毎日更新はさすがにハイテンポすぎる気がしたので、第三章は1話ごとに隔日連載とします。(epごとではない)
以下は例
一日目 ep111 第44話
二日目 ep112 (第44話の続き)
三日目 お休み
四日目 ep113 第45話
五日目 ep114 (第45話の続き①)
六日目 ep115 (第45話の続き②)
七日目 お休み
八日目 ep116 第46話
このような感じで投稿して参ろうかと思います。
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では、次の章末でお会いできる事を心より願っております。