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「キミの子供時代ってどんなだったの? なにして遊んでたの?」
「田舎だったから外遊びもしてたけど、基本は部屋に引き籠もって工作とか読書かな」
幼い頃からのゲームっ子だったのでジャンル問わず、ボードゲームやカードに至るまであまねく好きだが、言ったところで伝わらないと思われるのでこうとしか言えなかった。実際に嘘ではないし。
さざ波の音のみが支配する無言の気不味さではなく、重い話題を変える為にミアが気を利かせてくれたのはすぐに分かった。
昔の思い出話など退屈で好きではないし、まるで真っ暗なトンネルの中を歩み続けているようなもので、微かな灯火すらも覆い尽くす勢いで過去から伸びる無数の鎖がひしめき合っていて、振り返ればもちろん気分を害すだけではあるけども、お互いを知る為に少しくらいならばそれぞれの思い出を語り合い、過去の記憶を交換し合っても良いかもしれない。楽しかった記憶も今では羞恥でしかないから、ミアの気遣いに応えられるかどうかは謎。
「疫病神って言われた事もあるよ。実の親に、しかも幼い子供に向かって疫病神だぜ? 信じられるかよ」
「ボクは泥棒って呼ばれてるよ、みんなから。ヒドイよね」
「それはいかんともし難い事実ですし」
「ひっどぉ! ボクは貧富の差を埋める正義の泥棒だよ!」
「はいはいそっすねー」
「あーもー!」
こうして二人談笑し合っていると、このまま時が止まれば良いのにと思ってしまった。この瞬間を切り取り、好きなだけ引き伸ばしたい。それが叶わぬ願いであっても、今は瞬間的この現実を直視したくはなかった。すべてが見渡せる海上、追っ手の姿は無いと確認出来る安心感に満ちたこの状況が、隣に仲間が居るこの現実が、とてつもなく幸福に思えたのだ。
「俺はこっちで言うところの魔族みたいなものでさ、まぁそういう感じだよ」
この一言でおおよそ察してくれたのか、「なるほどね~」と欄干に腕を組んで首を落とし、しっぽをくねらせながら海原を眺めるミア。現代の魔族、そうとしか言えなかった。隣に並んで同じように海を眺め、お互いにそれからの言葉は無かった。
俺は全てを捨て去って独りで暮らしていた。人も物もなにもかも失うものなど無かったので刑務所でも良かったが、なによりも束縛されるのがとにかく嫌だった。会社や他人をはじめ、病にすらも束縛されぬ自由人でありたかった。
友人関係はもちろんゼロで親戚付き合いもゼロ。親族など血の繋がったただの他人でしかない。誰も助けてはくれないし。でもその場限りの会話は好きだった。――まぁ誰か好きな子や仲の良い友達に束縛されるのならば、むしろ嬉しいのかもしれないけども。
お察しかもしれないが、人というものは自ずと適した型に嵌まるもので。俺はあちらでも似たような生活を送っていた。地に足付けぬ浮き草生活、旅人と言えば聞こえは良いが、放浪者とも言える。端的に言えば、住み込みのリゾートバイトを転々としていた。
弁当も出るため食費はかからず、光熱費や部屋代なども全てが無料。バイトして稼いだら全額貯金に回して、シーズンが終わったらまた新たなバイト先へとみな向かう感じだ。様々な話しを聞いたし、こんな人も世の中には居るのかと知見も広がった。
湖畔のキャンプ場でオールを使ったボートの操船技術も身に着けたし、朝早くに起きて気球を飛ばす手伝いもした。都市部から離れた山奥の非現実的な日常がとにかく好きだった。
そこでは客や夏休み中の大学生などはともかくとして、従業員の仲間はみな俺と似たような一箇所に腰を据えない者ばかりで、とにかくみな優しくしてくれた。職場で彼女を作ろうだなんていう思惑すらも基本的には希薄で、みなバイトをする事そのものを目的としており、色恋沙汰を感じない雰囲気も助かった。
仕事は早朝の気球上げから始まり、昼は宿泊施設の掃除、少し休憩して夜の湖でホタル観賞や後片付けという過酷なものであったが、それでも夏は肌寒いほどに涼しくて空気も美味しく、気持ち的にはのびのびと過ごせて鬱になる事なども無かった。定職に就いて彼女を作って結婚して子供を授かって……という規範的な常識からはかけ離れた世界なのも好きだった一つだ。
地元に居ると結婚しただの彼女が出来ただのとキラキラとした話しを小耳に挟んだり、社会人やってる立派な人々に囲まれていると現実を突き付けられるような気がして、逃げたかったのもある。色々と諦めた結果、住み込みから住み込み。俺の動機はいつも”逃げ”だった。
そんな調子なのであまりアパートには帰らなかったけども、あちらでの最後の記憶は冬のスキー場を終えて夏のキャンプ場までの期間、貯金を潰すだけの自室の中だった気がする。
まぁなんだ、部屋の中で孤独死したとしても誰にも気付かれないと思う。遺体が発見されるまでには少なくとも数ヶ月は掛かり、既に白骨化しているかもしれない。遺体が無かった場合はただの失踪者として扱われ、誰にも捜索願を出されずに終わり。捜索届が出されている人間は相当恵まれてると思う。
ただ家畜と同じく生きているから生きているのであり、人生ゲームに挑む意欲も薄かった。社会性ある人間ではなく、孤独に死する野犬に近い存在。人の眼には映るものの誰の記憶にも残らない生きる幽霊、モブの有機的構造物。死神の訪れを切に願っていた。暗い部屋に引き籠もっているといつもこんな事を考えてしまっていた。
うちは片親だった。父親は顔も知らない。物心付く頃には母親は家庭持ちの男の浮気相手。家庭をぶち壊す浮気は絶対悪であり、加害者の子供ながらにして絶対に許せないと思っていた。なぜ浮気が犯罪じゃないのかと。デキた子供。邪魔な存在。アンタさえ居なければ、そう言われて育ってきた。ふしだらな大人たちを憎んでいたし、そんな大人にはなりたくなかった。
他人とは時間と空間を共にし、同じものを見聞きして言葉まで交わしていた。だから紛いなりにも一般的な常識はある。しかし、表面上は同じでも生きている世界が異なっていた。触れ合える距離に居るというのに無邪気にも人生ゲームに勤しんでいる皆とは違って空腹に喘ぎ、スーツすらも買ってはもらえなかった。卒業式や成人式にも出られず、新卒というブランドも活かせずに就職も叶わなかった。流石にここまで語れば、住み込みバイトを転々としていた理由も解ったと思う。
この世に産み落として責任を放棄した親はもちろん許せないが、同時に一切他人へと手を差し伸ばさず、成人男子ならば尚更絶対に助けないこの世を憎み、臭いものに蓋をする人々を逆恨みし、またその一方で尊敬し、憧れてきた。他人はみんな仮想敵だ! と強がっているだけで、その反面、みんな良い人たちで敵なんかじゃないと本心では分かっていた。
この星では妻帯する必要も無ければ子供を養う必要も無いみたいだが、そんなのは無責任だという思いが未だ払拭出来ず、後先考えずに好き勝手された人間にソイツ等みたいな自由奔放な行為を求められても困惑してしまう。あんな人間にはなりたくない。プラトニックラブという概念に蝕まれているのかもしれない。恨み憎み嫌悪する反面教師どもと同じコトをしろと何故言える。なんの仕打ちかと。
とはいえ頭と心、あるいは理性と情動、もっと言えば感情と欲求というものは別々に存在し、同居するものだった。過去の記憶に頭が囚われている一方、女の子を目の前にするとキョドってしまう。そう、意識してしまう。一箇所に留まらない孤独を選んだ反面、心の奥底では幸せな家庭像を夢見ていた。それを理性で誤魔化しているのは自覚していた。
本心で言えば、イイヨのサインを出し続けている隣のネコを今すぐにでも押し倒して、母親たちと同じく獣欲に身を任せてしまいたい。弓なりに反らしているその腰を引き寄せ、溺れるほどキスを交わし、とわに見詰め合い、愛し合いたい。
しかしコイツは盗賊であり、お互いに放浪者。盗賊は身軽でなければ生きていく事が出来ず、話を聞くに頼れる親族も居ないらしい。なのでもしも身重になったとしたならば俺が面倒を見る事になるわけだが、この手に職は無く、役に立ちそうな技能も無い。こんな旅の最中にそんなコトは出来ない。
故に今は衝動を抑え、冷静な行動を意識しなければ。そう、求められてもだ。コイツはきっと後先考えられないタイプだろうから、プツリと一線を超えぬようこちらがしっかりとしなければ。一言で締め括るとすれば、逃亡の旅をしながら腰を据えるなど無理。
王宮が諦めるか、追跡の手が届かない辺鄙な土地へと辿り着き、そこで充分な衣食住を確保するまでか。いや、てかコイツとの未来をなんか自然と考えちゃっていたけども、盗賊を妻にするのは流石にどうなんだ? 子供がある程度大きくなるまでは仕事なんか出来ないだろうから当分の資金も必要になるけど、そんなカネも……。
もういいや、今は修行僧みたいに禁欲一択。それしかない。機械みたいな使い捨て腰振り人形になんかなりたくないし、逃げ延びる事を最優先事項にせねば。やはり普通の仕事を探してもらって、陶芸教室とか開催されてたら参加するように促してみるか。なんだか不良を公正させる職員にでもなったかのようだ。
どちらにせよ諦めたらそこで終わり。最後まで立ち止まらなかったバカが最後まで生き残る。数年もすればみな諦める。俺はバカだから普通に憧れ続けるし、幸せな家庭像を夢見続けるし、決して王宮の妨害にも屈しない。人としてのフッツーの幸せを掴み取ってみせる。
飢餓には慣れた。絶望感にも慣れた。厭世観を抱いて文句を言うワガママな時期もとっくに卒業してある。一度は諦めた……いや、環境に諦めさせられた野良犬を舐めんなよと。これが心機一転の再スタートだと言うのならば、俺はくぁいい奥さんといちゃラブにゃんにゃんして子供をもうけ、家まで建てて奥さんと子供を絶対に幸せにしてみせる。
うりゃりゃぁーん! クソ反面教師どもクソありがどッ! 恨みを原動力に変えッ! がんばりゅっ!
などと自家発電してひとり燃えていた最中、「錨を準備せよッ! 帆を畳めぇ!」という声が響き渡って船上が騒がしくなり、疑問符を浮かべながらミアと顔を見合わせて船の前方を眺めてみると、緑生い茂る絶海の孤島が間近にまで迫っており、船長は声を轟かせるのだった。
「さぁ着いたよ諸君! 妖精と魔法の島国だ!」